マクロビオティック

マクロビオティックとは宇宙の法則のことです。
近年「〇〇を食べてはいけない」が強調された食事法だけが広まったマクロビオティックですが、健康ブームの波で広がったのですからそれも仕方ありません。
多くの誤解を招いていて残念ではあります。
近代化におどらされたくだらない概念など足元にも及ばない智慧と美しい調和の世界。
日本人にとっては馴染みのある食材と料理法は超シンプルで「余分なことはしない」のが鉄則です。
また、マクロビオティックは「一物全体」と「身土不二」というふたつの柱を元にして陰陽で宇宙の理をはかります。

この夏、玄米を美味しく食べている。
去年までは梅雨から夏にかけての間、玄米にこだわればこだわるほど玄米が食べられなくなっていくという事態に悩まされていたのに今年は食べ続けている。
玄米を食べることにこだわらなくなったから、頑張ってもいない。
ただ玄米が美味しい。

玄米を無理して食べていると、顔がみるみる真っ黒になる、経験済み。
日焼けした時のような健康的なテカテカした黒ぢゃないの、皮膚の下から浮き上がるようなオソロシイ黒。
鏡を見て恐ろしいのに、排毒作用だと疑わなかったから嬉しくもあり、食べ続けていた。
ある時、どうにも我慢できなくなった。
茶色い米粒を見るのも嫌、匂いも嫌。
考えが変わったわけではなく体の方が悲鳴をあげた。
制限という名の牢獄の柵を壊して、私も壊れた。
そして、どうにでもなれとばかりに屋上からジャンプした。
わかりづらいが、分つき米に変えた(←最初からそう書け)
私にとって「どうにも我慢できない」とは、辛抱できない事を意味するので、私は自分のことを根性がないヤツとダメ印をつけて、分つき米を食べるたびに脱落者呼ばわりしてさらに痛めつけた。

今になって振り返ってみると「我慢」が異常で、食べたくない、実はそれが正常だったんだなぁと思う。
あの時は気づくのが遅すぎた。

我慢していない時、玄米のアレンジはとても興味がある。
そのアレンジは簡単なものから手間をかけたものまで無限。
新しいアイデアに出会うとやってみたくなる。
簡単なものなら混ぜご飯やチャーハン、あんかけ丼、少し手間をかけて巻き寿司、コロッケにしたり、小麦粉と玄米でパンにしたら全粒粉のもっちりパンにもなる。
私は活動的な夏にあまり手をかけたものは作らない。
せいぜい巻き寿司まで。
玄米は白米に比べて油を吸いにくいから、冷蔵庫で寝かせたパラパラ玄米はチャーハンにすると手軽でヘルシーで美味しい。
梅酢でさっぱりした酢飯も手軽で美味しい。
干し椎茸と生姜の玄米ちらし寿司にミョウガ、大葉、海苔の組み合わせも好き。





どこもかしこも草刈りにいそがしい。
早朝、草刈り機のエンジン音が遠くから聞こえる。
この時期、午前中はどこかで草刈り作業をしている。
田舎は田畑も空き地も多く、
都会のようにコンクリートで固めていなければ当然、草が生える。
雑草といえども大地に力があるから根付くわけで砂漠ではこうはいかないわよと
と、夏こそ雑草をポジティブに捉えよう!
草を敵にしても絶対に勝てませんから。

でも雑草なら可愛いものだ。
田舎では高齢化や、いろんな事情でどうにも手をつけられずそのままになった所にはアレチウリが一面を覆うように繁殖してしまくっている。
アレチウリは大量の種で広がっていく特定外来生物として指定されているために、駆除については市から再三の注意喚起がされている。
車で走っていると空き地一面のアレチウリをよく目にする。
ウリと呼ぶなら食べられるんじゃないの?と思うけれど、食べられません。
空き地いっぱいに広がった彼らは、新天地を求めて、あろうことか、となりの田んぼに入り込んでいることもある。

夏は早朝に働く。
気温が上がる前の労働は集中して取り組む。
途切れることのないけたたましいエンジン音は集中力の表れのようだ。
その代わりに午後は、ご近所みんなが眠っているかのような静けさだ。
うちも、夏は午前中の涼しい時間帯に家事を済ませるように働く。
深さんは5時半に畑へ、私も朝焼けを眺めながら家事を始める。

日中の強い日差しでは買い物に出かけるのも本当に億劫。
マクロビオティックは穀物と野菜の料理なので、夏のごはんは畑の野菜に、豆や乾物を合わせてささっと作る。
陰性よりの女性の体に、マクロビオティックの夏野菜料理はピッタリ。
野菜作り担当のケンはまだまだ初心者の域なので、野菜は小さくゴツゴツしている。でも強い太陽の下で水分を蓄えたカラフルな野菜が、実は私たちの体をクールダウンさせるという天の采配で現れていることを知れば姿形など気にならない。
マクロビオティックの陰陽は天の采配を知ることだと思っている。
料理から始まった陰陽は、たくさんの疑問を私に投げかけてきた。
その疑問が広がっていくのを自然に任せていると、ある時に回答がやってくる。その度に視野が広がっていく。
間違いは訂正する。間違いは罪ではないので罰ではなく訂正する。
疑問は解決できるものよりも、解らないものの方が圧倒的に多い。
でも、ほんの少し理解できたものだけでも、
私たちがたどり着くのは生命の確かさというゴールなのは明白だ。
何かしらの不安が元で始めたマクロビオティックが行き着くゴールはダメな自分をどうにかする方法ではなくて、ダメな自分なんかじゃなかったと気付くこと。
まさか、そんなゴールが用意されているなんて、私も知らなかったよ。
たまたま私はマクロビオティックを実践しているけれど、これはあなたにも、君にも、人類共通に用意されているゴール。

夏土用も過ぎた。
空は真っ青の夏空。
セミが鳴き、夏の風物詩が揃ったところですが見かけの季節に踊らされないように。
すでに自然は秋に向かって準備を始めた。
だから、私もそのようにする。
理由はひとつ、自然がそうし始めたらのだから私もそのように準備をする。





外出を控えるようになって、家ごはんが充実しはじめているらしい。
調理家電がスゴイ売れ行きだそうで。
わたし的に充実した家ごはんとは、
「最高判断力メニュー」と呼んでいるもの。
マクロビオティックレシピの中で最も基本的と言われるものは、
油は使っても少量、そもそも食材の中に含まれる油分だけで十分なのだから。
甘みは穀類の甘み、次に野菜の甘みで十分。玄米がすでに甘いし、小豆もとても甘い。
最初の頃は、そんな事を言われても食材の中の油なんて味わえないし、穀類の甘みも小豆の甘みも、そんなもの一切感じなかった。

それでも根性で基本的レシピに忠実に従った。
それが正しいことだと思っていた。
理論が正しければ私が我慢していることには目をつむってよいという自己虐待をした結果、自己崩壊寸前に。
それでもマクロビオティック理論に惹かれた私は、美味しいと思いたい、このトンネルから抜け出したいという一心でレシピ本を真似たり、ネットで検索した料理で崩壊を免れ、諦めずに半歩前に進んだ。

普通にアニマルフードを食べている人も「これは美味しい!」という大豆タンパクの揚げ物に質の良い油を使ったドレッシング、マクロビオティックではオプションとされている甜菜糖やメープルシロップを使ったスイーツ。
我慢のない、家族が喜ぶマクロビオティック料理に落ち着いたときの満足感、充足感にしばしくつろぐ。
でもこれは移行食であって、実は、そこからは引き算が始まる。

何がきっかけになるのかは人それぞれだけど、
私の場合には主食、玄米。
バランスシートでは食事の4〜6割を主食となっているので、どうしても主食の玄米が一番美味しいと感じる副菜を食べたくなる、作りたくなる。
ごま塩はいちばんというのは当たり前、シンプルなものが玄米の甘みには合う。
副菜を変化させるために、移行食中もまずは玄米をしっかり食べる。

そして、美味しい!と作っていたものから引いて、引いて、引いて行くと、最初の最も基本的と言われるものに帰って行く。
あまり美味しいと思えないのに理論だけで食べていたものが、油も甜菜糖も使わず、満足して飽きがこない、味覚的にも理論的にも最高判断力がなせる陰陽調理だったと知ることになる。

ご馳走が並んだテーブルに切り干し大根が並んだとしても、最高判断力によって調理されたマクロビオティック料理が劣るということはない。
のど元過ぎて、体の中で食材が細分化されて、きれいな血となり、細胞は臓器を強めていく。臓器が滞りなく機能することで正常な判断力を身につける。
この状態を健康の基準にした。





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