同じことを繰り返しているようで、
目的が違えば全く別の意味が生まれる。

最初は玄米を暮らしに取り入れるためという目的でマクロビオティックを始めたのに、カリキュラムが進むにつれて最終的には資格をとるという目的に変わっていった。

目的は何か?と問うことは大切。

マクロビオティックという名前に抱いていた特別なイメージも、
玄米を中心にした献立が普通になってくると、
自分が料理したものにそんな仰々しい名前を付けるのもどうかと思うようになってきた。

玄米を中心にした献立が食の最高判断、
つまり、過去現在未来と宇宙全体を見渡す目を持つ存在が、地球で、日本で生きる私たちに授けてくれた知恵、愛だと思うようになってからはマクロビオティックの目的が少しづつ変化しはじめた。
物質を陰陽というはかりを使って見ることは、物質の中に愛を、感謝を見るレッスンになり、おまけとしてもれなく健康がついてくる。

目的は何か?という問いの前には、自分とは何か?という問いもある。
私は肉の塊だと思うなら、私は生まれて死んでいく者。
それならば恐怖に怯えながら目的は健康だ。
健康のために玄米がいいと聞けば玄米を食べることで安心感を、
常に新しい情報に敏感になって安心感を、
そうしていつになっても平安はやってこない。

自分が肉体ではなくスピリットだと思うなら、
愛そのものであるなら、恐怖もないはず。
愛そのものなので個人という見せかけの自己に気付いているだろうし、
私たちがひとつの存在としてつながっていることも知っている。
それならば目的は心だ。
マクロビオティックの目的が心を変えていくレッスンになっていく。

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最近のおそうじの会は自主的に始まる。
私が9時過ぎにお寺に着くと、すでに軽トラックの荷台には草が山のように積まれていた。
聞けば8時前から始まっているらしい。

今日は本堂で法事があり、いつもの予定を変更。
8月のおそうじの会が中止だったために、今回はなんと2時間の草取り作業。
朝は冷えていても日が昇ると暑さで汗だくになる。
草取りの後で座禅、その後は少し早めのお昼ごはん。


今回の献立
・お味噌汁
・玄米
・サツマイモとワカメの煮物
・かぼちゃの青海苔和え
・ひじき蓮根
・油揚げと玉ねぎの生姜炒め
・小松菜のお浸し


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春分0度から始まった地球号ですが、太陽を中心とした地球暦上で秋分を通過、めでたく180度を超えて2020年後半に突入しました!
普通のカレンダーを見て生きていると時間は早く過ぎていくのに、地球暦で生きている私にとっての2020年前半は長かった。
毎日、コルク版に約2ミリ幅でピンを刺していく。
グッと力を込めて、今日の始まりをココロにぐさっと差し込むみたいな感じ。
「ここにいる」と宣言するように、グッと力を入れて差し込む。
繰り返していくと、地球暦カレンダーに約2ミリ弱幅で画鋲の穴が弧を描く。
この半円の中には、新陳代謝、細胞の生まれ変わり、出来事など、いろんなサイクルが交差している。
弧を描くカレンダーを心の目でみると、それらは全て愛おしい模様になっていた。

秋分過ぎて9月後半は味覚的にも視覚的にも行楽のシーズン。
今年の夏にやり残したレジャーを取り戻したい気持ちになるのがこの連休。
秋に取り戻さなかったら、
夏と秋にやり残したことを冬に取り戻すの、無理だから。
連休中はそこそこの人出に恵まれたようで、観光関係の方たちはホッとしたと思うし、困難を伴った2020年の思い出があったからこそ、計画通りの連休でなくても、一緒に過ごす時間を取り戻せた幸せに満たされた人たちもたくさんいるはず。

うちは連休といっても、
ケンは草刈り、私は混雑を避けて家で過ごした。
コロナウイルスの第二波の可能性は少なくなってきたのか、集団免疫という見識になってきたのか、やんわりと収束かとにおわせておいて、実のところウイズコロナ時代に突入したのか?
とはいえ、免疫力が弱い高齢者や持病がある方にとっては、世間の風潮とは別に自粛生活は当分続くという覚悟で暮らしているのだと思う。
この世界は平等というわけにはいかない。
でも地球号全体を見渡せる目を持っていたら、サンシップを見渡す目を持っていたら、どんな模様になっているんだろう。
美しい曼荼羅が幾重にも重なる模様だったらいいな。
平等なんていう薄っぺらで直線的な模様は嫌だな。
ひとつとして同じ色のないカラフルなピンが暗闇に弧を描き、虹色と曼荼羅が幾重にも重なっている。
私もその中のピンのどれかで、あなたも、その中のピンのひとつ。

みんなで描いた虹色曼荼羅。

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マクロビオティックで食べ物を変えていくことは、自分に対する信頼を積み重ねていくようなことだった。
自分の臓器の働きは医学的な知識から想像するしかなかったのに、陰陽で見ることによって五感で感じる体験になっていく。
五感で感じられないものがあるのはわかるけれど、正体を知らない。
感謝あるのみ。
環境と呼ばれているものが身近なところから地球環境へ、地球から壮大な宇宙へと視野が広がる、と同時に自分の心の奥底に深く耳を傾けることができるようになる。

自分が求めている理想に問題があったとわかる。

マクロビオティックが螺旋を描いて振り出しに戻る。

自分が、そうありたいと願う理想像には、少なからず期待が散りばめられていたし、
期待の裏側には恐れがあるから、戦いがある。
理想という強固な信念が戦いを挑んでまで見たくないものがあって、
それを見たくないのは恐れてもいるから。
見たくないもの、恐れているものとは、たぶんワンネス、愛。
愛を恐れるなんてあり得ないと思うかもしれないけれど・・・
深いところで愛を恐れている。

マクロビオティックで女性は陰性寄りだと学習しても、私は陰性の中でも陽性よりだった。学習したことを信じて疑わず従っていると、私というユニークな生命体の個性を生かしきれなかったかも知れない。

陰陽の偏りをなくし中庸の食事をすることとは、どういうことなのだろう。
絶えず変化していく世界で、中庸の一点に留まる続けることは不可能だけど、中庸を「今ここ」という意識に置き換えることで多くのスピリチュアルマスターたちの教えとマクロビオティックが一本の線で繋がる。

理想や期待が中庸でないことを理解しはじめると、
マクロビオティックは理想像を追う手段にはならないことが自ずと理解できる。
また、マクロビオティックの健康とは、病気でない状態を言っているのではなく、健康の心配をせず毎日楽しく暮らすこと。
マクロビオティックにとらわれながら、依存しながら暮らしている状態では本当の健康とは言えない。
そして、病気でも体にとらわれず依存もなく、スピリットとしての自分が毎日楽しく暮らせているのなら健康と言える。

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この夏、玄米を美味しく食べている。
去年までは梅雨から夏にかけての間、玄米にこだわればこだわるほど玄米が食べられなくなっていくという事態に悩まされていたのに今年は食べ続けている。
玄米を食べることにこだわらなくなったから、頑張ってもいない。
ただ玄米が美味しい。

玄米を無理して食べていると、顔がみるみる真っ黒になる、経験済み。
日焼けした時のような健康的なテカテカした黒ぢゃないの、皮膚の下から浮き上がるようなオソロシイ黒。
鏡を見て恐ろしいのに、排毒作用だと疑わなかったから嬉しくもあり、食べ続けていた。
ある時、どうにも我慢できなくなった。
茶色い米粒を見るのも嫌、匂いも嫌。
考えが変わったわけではなく体の方が悲鳴をあげた。
制限という名の牢獄の柵を壊して、私も壊れた。
そして、どうにでもなれとばかりに屋上からジャンプした。
わかりづらいが、分つき米に変えた(←最初からそう書け)
私にとって「どうにも我慢できない」とは、辛抱できない事を意味するので、私は自分のことを根性がないヤツとダメ印をつけて、分つき米を食べるたびに脱落者呼ばわりしてさらに痛めつけた。

今になって振り返ってみると「我慢」が異常で、食べたくない、実はそれが正常だったんだなぁと思う。
あの時は気づくのが遅すぎた。

我慢していない時、玄米のアレンジはとても興味がある。
そのアレンジは簡単なものから手間をかけたものまで無限。
新しいアイデアに出会うとやってみたくなる。
簡単なものなら混ぜご飯やチャーハン、あんかけ丼、少し手間をかけて巻き寿司、コロッケにしたり、小麦粉と玄米でパンにしたら全粒粉のもっちりパンにもなる。
私は活動的な夏にあまり手をかけたものは作らない。
せいぜい巻き寿司まで。
玄米は白米に比べて油を吸いにくいから、冷蔵庫で寝かせたパラパラ玄米はチャーハンにすると手軽でヘルシーで美味しい。
梅酢でさっぱりした酢飯も手軽で美味しい。
干し椎茸と生姜の玄米ちらし寿司にミョウガ、大葉、海苔の組み合わせも好き。

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どこもかしこも草刈りにいそがしい。
早朝、草刈り機のエンジン音が遠くから聞こえる。
この時期、午前中はどこかで草刈り作業をしている。
田舎は田畑も空き地も多く、
都会のようにコンクリートで固めていなければ当然、草が生える。
雑草といえども大地に力があるから根付くわけで砂漠ではこうはいかないわよと
と、夏こそ雑草をポジティブに捉えよう!
草を敵にしても絶対に勝てませんから。

でも雑草なら可愛いものだ。
田舎では高齢化や、いろんな事情でどうにも手をつけられずそのままになった所にはアレチウリが一面を覆うように繁殖してしまくっている。
アレチウリは大量の種で広がっていく特定外来生物として指定されているために、駆除については市から再三の注意喚起がされている。
車で走っていると空き地一面のアレチウリをよく目にする。
ウリと呼ぶなら食べられるんじゃないの?と思うけれど、食べられません。
空き地いっぱいに広がった彼らは、新天地を求めて、あろうことか、となりの田んぼに入り込んでいることもある。

夏は早朝に働く。
気温が上がる前の労働は集中して取り組む。
途切れることのないけたたましいエンジン音は集中力の表れのようだ。
その代わりに午後は、ご近所みんなが眠っているかのような静けさだ。
うちも、夏は午前中の涼しい時間帯に家事を済ませるように働く。
深さんは5時半に畑へ、私も朝焼けを眺めながら家事を始める。

日中の強い日差しでは買い物に出かけるのも本当に億劫。
マクロビオティックは穀物と野菜の料理なので、夏のごはんは畑の野菜に、豆や乾物を合わせてささっと作る。
陰性よりの女性の体に、マクロビオティックの夏野菜料理はピッタリ。
野菜作り担当のケンはまだまだ初心者の域なので、野菜は小さくゴツゴツしている。でも強い太陽の下で水分を蓄えたカラフルな野菜が、実は私たちの体をクールダウンさせるという天の采配で現れていることを知れば姿形など気にならない。
マクロビオティックの陰陽は天の采配を知ることだと思っている。
料理から始まった陰陽は、たくさんの疑問を私に投げかけてきた。
その疑問が広がっていくのを自然に任せていると、ある時に回答がやってくる。その度に視野が広がっていく。
間違いは訂正する。間違いは罪ではないので罰ではなく訂正する。
疑問は解決できるものよりも、解らないものの方が圧倒的に多い。
でも、ほんの少し理解できたものだけでも、
私たちがたどり着くのは生命の確かさというゴールなのは明白だ。
何かしらの不安が元で始めたマクロビオティックが行き着くゴールはダメな自分をどうにかする方法ではなくて、ダメな自分なんかじゃなかったと気付くこと。
まさか、そんなゴールが用意されているなんて、私も知らなかったよ。
たまたま私はマクロビオティックを実践しているけれど、これはあなたにも、君にも、人類共通に用意されているゴール。

夏土用も過ぎた。
空は真っ青の夏空。
セミが鳴き、夏の風物詩が揃ったところですが見かけの季節に踊らされないように。
すでに自然は秋に向かって準備を始めた。
だから、私もそのようにする。
理由はひとつ、自然がそうし始めたらのだから私もそのように準備をする。

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今回、おそうじの会の講話は方丈さまのおはなし。
とても深い内容を私たちにもわかるように、
丁寧にかみ砕いて論じていただいた。
私が理解したことは、坐禅の時に頭をよぎる「念・想・観」は量ることなく、仏であろうとする心も必要がないのだという話だった。
人によってはもっと深く読み取ることもできる内容なので、
私が理解できたと思っていることが、意味するところ全てではない。

振り返って、何ものかになろうとする心はいつだって苦しいものだもんなぁ・・・と、
煩悩だらけの私は思う。

坐禅をする姿形は仏そのものであっても、仏になろうとする心は必要ないのですよ、だってそもそも、みんな、全てが仏なのですから。
そう言われると、心が安らかになり、自然と笑みがこぼれる。

次の瞬間、またまた煩悩が疼きはじめる。
この笑みを誰にも見られていないことを案じ始めた。
見事というしかない煩悩にあきれるわ。

そして、その次に私の心によぎる考えは、
いえいえ、仏なんて、私はそんなもんじゃありません。

私こそ救われるべき人なのだと思った次第・・・

今回の献立は、夏の開放感というよりも、陽性を補うつもり。
大根、ゴボウ、人参。
ゴボウと旬のジャガイモ、セロリ、油揚げのマリネ、大根のハーブの香り蒸し、おからの豆腐マヨネーズ和え、こんにゃくの味噌漬け、大根とキャベツのプレスサラダ梅和え。

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外出を控えるようになって、家ごはんが充実しはじめているらしい。
調理家電がスゴイ売れ行きだそうで。
わたし的に充実した家ごはんとは、
「最高判断力メニュー」と呼んでいるもの。
マクロビオティックレシピの中で最も基本的と言われるものは、
油は使っても少量、そもそも食材の中に含まれる油分だけで十分なのだから。
甘みは穀類の甘み、次に野菜の甘みで十分。玄米がすでに甘いし、小豆もとても甘い。
最初の頃は、そんな事を言われても食材の中の油なんて味わえないし、穀類の甘みも小豆の甘みも、そんなもの一切感じなかった。

それでも根性で基本的レシピに忠実に従った。
それが正しいことだと思っていた。
理論が正しければ私が我慢していることには目をつむってよいという自己虐待をした結果、自己崩壊寸前に。
それでもマクロビオティック理論に惹かれた私は、美味しいと思いたい、このトンネルから抜け出したいという一心でレシピ本を真似たり、ネットで検索した料理で崩壊を免れ、諦めずに半歩前に進んだ。

普通にアニマルフードを食べている人も「これは美味しい!」という大豆タンパクの揚げ物に質の良い油を使ったドレッシング、マクロビオティックではオプションとされている甜菜糖やメープルシロップを使ったスイーツ。
我慢のない、家族が喜ぶマクロビオティック料理に落ち着いたときの満足感、充足感にしばしくつろぐ。
でもこれは移行食であって、実は、そこからは引き算が始まる。

何がきっかけになるのかは人それぞれだけど、
私の場合には主食、玄米。
バランスシートでは食事の4〜6割を主食となっているので、どうしても主食の玄米が一番美味しいと感じる副菜を食べたくなる、作りたくなる。
ごま塩はいちばんというのは当たり前、シンプルなものが玄米の甘みには合う。
副菜を変化させるために、移行食中もまずは玄米をしっかり食べる。

そして、美味しい!と作っていたものから引いて、引いて、引いて行くと、最初の最も基本的と言われるものに帰って行く。
あまり美味しいと思えないのに理論だけで食べていたものが、油も甜菜糖も使わず、満足して飽きがこない、味覚的にも理論的にも最高判断力がなせる陰陽調理だったと知ることになる。

ご馳走が並んだテーブルに切り干し大根が並んだとしても、最高判断力によって調理されたマクロビオティック料理が劣るということはない。
のど元過ぎて、体の中で食材が細分化されて、きれいな血となり、細胞は臓器を強めていく。臓器が滞りなく機能することで正常な判断力を身につける。
この状態を健康の基準にした。

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きゅうりの収穫と消費のバランスが崩れてきた。
「きゅうりを無駄のないように、飽きない常備菜として取り入れたい」と、毎年この季節に考えることになる。
はじめの頃は、甘辛く佃煮風にしたものが家族にも好評だったので、定番になると思っていたのに、残った漬け汁を廃棄するたびに本当にコレなのだろうか・・と疑問を抱くようになった。

その日の気分で塩麹に漬けたり、酢漬けにしたり、塩昆布と混ぜてみたり、佃煮風にしたり、プレスサラダにしたり、すり下ろしたりと色々やってみる。なんなら塩漬けにして長期保存という手もある。

今日は雑穀を合わせてスープにしてみようと思い立つ。
特に、長引く梅雨に生野菜ばかりではカラダを冷やしてしまう。
陰性の夏野菜を陽性にしていただきたい。
さて、うまくいくかなぁ。少し不安がよぎる。

近年、うちの定番はきゅうりの味噌煮。
きゅうりと生姜の千切りをきゅうりの旨味が詰まった水分だけで味噌煮にする。
玄米にも合うけれど、そうめんにかけたり、オリーブオイルと合わせて味噌パスタにしたり、梅雨明けて暑さに負けそうな時にも時短お助けおかず。
麦味噌、玄米味噌、豆味噌、味噌の陰陽でバランスをとることも出来るし、きゅうりの切り方を変えて火を入れる時間の陰陽でバランスをとることも出来る。

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1.柔らかいテイッシュ
2.コーレン
3.カイロ
4.湯たんぽ

まずは、柔らかいティッシュ。
鼻をかむ時、拭く時などに使う頻度が高いテイッシュ、こんな時だからこそ柔らかいものがあるとストレスがないです。

蓮根の節の部分が粉末になったコーレンという飲み物は陰性の咳や鼻水の症状を和らげてくれます。味付けは醤油or塩、香ばしい飲み物です。
粉末だから常備するのをオススメ。

カイロで腰回りを温め、靴下を重ねばきして、足元には湯たんぽ、窓は開けたまま。その状態で3時間、すると汗ばむ感じで体温が1度以上上がっていた。体温が上がったからなのか、鼻水も軽い咳も止まっている。
体がポカポカして安定感がある、安心感に包まれる。

「これさえあれば認定」のおやつ少量。
私はマクロビオティックでは基本NG、でも自分で納得して作ったグラノラ、甘みが甜菜糖じゃないモラセス(廃蜜糖)のものを食べ続けて今回のような陽性の症状のデトックスに繋がった。
自分に優しくしたいなら「人生はダイナミックな方がいい」と呟いて食べ続けてもいいけれど、いまの私はシンドイのは嫌なので「これさえあれば認定」のおやつはナッツとドライフルーツ。

コロナ対策として、家族と一緒に食事をしない。
家でもマスク、タオルは別、私が使ったものはゴミ箱も別にした。

軽い症状の時に体と心を温めるのがコツ。
陶器の湯たんぽは、そのどちらにもいい仕事をしてくれる。
ネギをたっぷり刻んで焼いた味噌と一緒に大きめのマグカップに入れてお湯を注ぐ、それをふぅふぅ言いながら飲んでもいい。
自然治癒力に任せて治ったその後は、体も心も半端なく気持ちいい。

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