メガネが出来上がってきた。
今回は家専用の頑丈フレームのメガネで、ブルーライトをカットするのでパソコン作業にも貢献するメガネ。
店員さんに車の運転には向かないと言われた理由は、レンズの端が若干歪むから。
勝手口の段差を踏み外してみて理解した。
私の肉眼に歪みのようなものが現れてピントが合わなくなって、
メガネで調整するけれどもレンズの端には歪みが残る。
自分が見ているものが、こんなに不確かなものだと気付くと盲信していいのかと思うし、盲信してきたことが恐ろしくなる。

10月に入って、これからは日差しが恋しい季節になっていく。
何から手をつけようか。
まずは居間の日よけシェードを外した。
庭にコルチカムの群生、耐寒性があり毎年この季節になると花を咲かせる。
コルチカムは葉が枯れた後に花が咲く植物で、球根も葉も花も全て毒がある。
別名イヌサフランとも呼ばれていて、山菜の行者ニンニクと間違えた人が食中毒になったというニュースを聞いたことがある。
きれいな薄ピンクの花だけど、家には飾らない。
家に持ち込まない意味を形にして伝えていきたいから。

どんよりした雲間にお日さまが顔を出したら、
その時は私と猫のだいちゃんのエネルギー充電タイムとしよう。
座布団をふたつ並べて、大の字になって日向ぼっこをする。
葉っぱに反射して輝く太陽のエネルギーを私は吸い込み、
猫は大きなあくびと共ににまどろみの世界へ、
さあ、何から手をつけようか。

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今朝、窓辺に差し込む朝日はギラギラしておらず、じんわり暖かい。
天気予報では日中の最高気温は21度、
じんわりと体に染み込む日差しを浴びる貴重な午前中になりそう。

我が家の畑の隣家屋根に大きく立派なスズメバチの巣を発見。
最初に見つけたのはケン、今月初め頃からスズメバチが飛び交いベランダに洗濯物が干せない日が続いていた。
あんなに目をこらして探していたはずなのに、
いつも見ている風景の中に潜んでいたとは。
大きくはみ出した巣は、もう誰の視界にも入ってくるほど立派なもの。
見えるところだけでも大きいので、隠れている部分を想像すると博物館で見るような立派な巣だと思う。
巣の回りに働き蜂はまだまだ盛んに飛び回っている。

秋になるとスズメバチの被害が多くなるけれど、彼らの目的は巣を守ることなのでこちらが不用意に巣に近づいたりしないことが大切だとされている。
スズメバチはやたらめったらに人を刺すというようなことはないので、凶暴というよりも巣を守るため勇ましさゆえの行動と解釈するといい。
ただ、人が行き来するところに巣を作るスズメバチは、人の動きにある程度慣れているらしいが、ひっそりとした山奥のスズメバチは危険を敏感に察知して攻撃をしてくるという話だ。
行楽の秋、出かける前にスズメバチの生態を調べておくといいかも、あらかじめ刺されたときの応急処置も知っておくに越したことはない。

うちのベランダにはスズメバチは来なくなったところを見ると、
今回発見したスズメバチの巣は、うちとは別のコミュニティなのかも知れない。

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朝、室温18度。
足元が冷えてきた。
そろそろ素足も終わりかと、靴下を履く。
今朝は薪火の三年番茶をしっかり煮出して飲むことにしよう。

三年番茶にも色々あるようで、
細かく裁断されたものや葉の部分が多く入っていて色味ともに濃いものから、大きく裁断されていて煮出しても色は薄く、さらりとした口当たりと薪の香りがするものまで様々。
茶葉の色や香りなど、自分の好みに合わせて選べばいいと思う。
本物じゃないという三年番茶もあるそうで、それは嘘ではないにしても、私は三年番茶だけで生きているわけではないので情報として知っている程度で、いつも同じ三年番茶を愛飲している。
それよりも、私が三年番茶を好む最大の理由は、時間という自然な形でカフェインレスにしてあるということ。
カフェインフリー飲料の中には薬剤を使っているものが多いということだから。
省かれたカフェインの行く先はどこなのだろう。

いよいよ冬へ備える時期になった。
膵臓、脾臓、胃が活発に働く季節だ。
日常の衣食住において、
この臓器の働きを邪魔するようなことはしないように心がける。

臓器が疲れてくるとイライラしたり、悲しくなったりと感情に影響を与える。
お手当は痛みなど体の反応に対してだけではなく、感情に対しても役に立つ。
ただ、お手当をやって見たらわかるけれど準備も時間も使うことなので、本当はお手当をする必要がない日常の暮らしが好ましい。
わかっちゃいるけど、私たち人間は自然の秩序を大きく踏み外している動物。
体にも心にも優しいアプローチのお手当を本当に必要としている人がいるのは事実で、その場合には少しづつ体本来の機能を取り戻していくことになる。

調理法は生野菜をやめて、さっと火を通すようにしていく。
かぼちゃや玉ねぎなどの丸い野菜、小さくて丸い雑穀。
さつまいもはワカメや生姜などと組み合わせて。

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最近のおそうじの会は自主的に始まる。
私が9時過ぎにお寺に着くと、すでに軽トラックの荷台には草が山のように積まれていた。
聞けば8時前から始まっているらしい。

今日は本堂で法事があり、いつもの予定を変更。
8月のおそうじの会が中止だったために、今回はなんと2時間の草取り作業。
朝は冷えていても日が昇ると暑さで汗だくになる。
草取りの後で座禅、その後は少し早めのお昼ごはん。


今回の献立
・お味噌汁
・玄米
・サツマイモとワカメの煮物
・かぼちゃの青海苔和え
・ひじき蓮根
・油揚げと玉ねぎの生姜炒め
・小松菜のお浸し


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振降り続ける雨、明日も雨予報。
これで週末の稲刈りの予定はなくなった。
戦力になっていた息子の手を借りることもできなくなったので、
平日にケンと私でボチボチやろうという話になった。

去年は雨が上がるのを待っているうちに、タイミングを逃してしまったから、今年は天気サイコーでなくても稲刈りをしようと思う。
他にも稲刈り機の取り替え部品が作業日に間に合わないと連絡があったりして、今年のところは修理して使う他ない。
こうして当初の計画はボツった。
天候不順が続く時期でもあるから、この先は稲刈りがうちの最優先事項。

これまで私が育ってきた環境に農業はなかったのでどうしても慣れない。
小さい頃から見て真似てきた人がちょっと羨ましいよ。
飲み込みが早いし、手つきも身のこなしも、どことなく板についてるから。
私が出来ないことなんか全部お見通しなんだけど、
それでもせめて、大変なことはご機嫌さんでやりたい。

「まさか、私の人生に農作業の経験が運命付けられているとは!」
と、ちょっと大げさにしてみると、大変さが軽減されるという魔法を使う。


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幼なじみのMちゃんと久しぶりに電話をする。
都会でキャリアを積んでたくましく生きていた。
前に話したのは一年以上前のことで、
その時の彼女も自分の仕事に誇りを持っていて、だからそれまで勤めていた会社を辞めて自ら希望する会社へと再就職をしたところだった。
今年届いた年賀状に書き添えられていた元気でいるという便り以降、コロナ自粛の時にも連絡はとっていなかった。
お互いに不精なところがよく似ている。

数十年ぶりに、Mちゃんは故郷へ戻った。
Mちゃんと私は故郷の家族同士もよく知る間柄で、うちの母とお茶をすることもあるほど仲良しなのだ。

10代の後半、Mちゃんと私は厳しい両親の元に生まれたことで自由を奪われたと、互いにその不幸な境遇を慰めあった。
音楽=バンド=不良、みたいな縮図がある時代に、親に反発するように私たちはバンドにのめり込んだりして。
私たちは早くに結婚して地元から離れた。
20代、30代、40代、50代と時々だけど長時間に渡って電話で話した。

・・・・・書けなくなってしまった。
いや、書いては消して、書いては消して。

書けない理由は、
50年以上の長い付き合いのMちゃんとのエピソードも思いも深すぎる。
ドラマの枝葉が多すぎる上に、毎度のことだが私は語彙力がない。
書き出したものの、書くほどに心から離れていくもどかしさ、何よ、これ。

書こうと思った理由は、
最近、Mちゃんが、私の母がどんなに今も私を愛しているかを語り出したから。
Mちゃんの声を伝って母の愛がダイレクトに流れ込んできたから。
泉が湧くように溢れたものに突き動かされたから。

溢れるものは愛だけど、自分が知っていると思っていた愛とは概念の違うソレを愛と仮定したいのに、自分が納得できる言葉が見つからんのよ・・・

すまん。

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朝から始まった低気圧頭痛は夕方になって、偏頭痛の兆し。
最悪のパターンになるか、持ち直すかの別れ道で、何を施すかと毎回考える。
薬を飲むのならこのタイミングだけど、
最悪を想定して食事の支度も、家の諸事も済ませておいた。
音、光、皮膚感覚などの刺激をできる限り避けて自室で休む。
偏頭痛の痛みを和らげるお手当はツボ押しや、ハーブなど色々あるけれど、最近の私の手当といえば、心が痛みをどう捉えているのかについてのお手当をする。
それは「自分を再定義する」というお手当。

ここから先はあくまでもずっと偏頭痛に悩まされてきた私の現時点での判断と持論。
私には薬に依存しないためのマクロビオティック実践でもあるので、もし薬を服用するとしたら、それはとても限られた場合だけと決めている。
基本的には暗く静かな部屋で後頭部を冷やして休む。
吐き気がひどくなると脱水になり危険なので、そうならないように偏頭痛の兆候が現れたらすぐに休む。
気圧の変化を知らせてくれるアプリを使い、急激な気圧の変化があるならば、その週の予定を緩やかに調整、変更する勇気も身に付いた。

そして自室で休んでいる時、しばらく心を観る、内観する。
いろんなものが現れて消えていくけど、現れるままに、消えるものも追いかけない。
自分が、自分だと信じている事が肉体に影響を与えることはあっても、スピリットが肉体に影響を与えることはないと、自分を再定義する。
自分が、痛みと同化した肉体であると思うと、それに応えるように痛みが増していくし、自分は、痛みと同化している肉体などではないと思うと、それに応えるように痛みが遠のく。

それでも痛みはすぐにはやまない。
それでも、痛みが私に影響を与えることはできないと心で言い続ける。
体はスピリットに対してイエスとしか言わないので、だんだんとスピリットに従いはじめる。
個性を持った私は静まって、体の力が抜けて、眠くなる。
それを繰り返しているうちに、少し頭が重いと感じる程度におさまる。
最近はこのパターンでおさまる。


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友だちが淹れてくれたコーヒーをいただく機会に恵まれて、
コーヒー断ち終了。
コーヒーを口にすることにもっと抵抗するのかと思っていたのに、
香りに釣られて我慢できなかったというふうでもなく、
訪ねることを待っていてくれた友だちが差し出してくれたもの、それがコーヒーでも果物でも、甘いおやつでも、私の受け取る意思は強かった。
最近、自分の中でいちばん好きな側面に”私は愛を受け取るに値する”というのがある。
それは言い換えれば、人類全員に初めから備わっている働き。
反対に、私は愛を受け取るに値しないというのは備わっておらず、不可能なので結果的にそれはできない。

友だちと遅めのランチをして夕方家に帰る。
まだ5時を過ぎたところだと言うのに家の中は薄暗くて、
ケンの事務所の暖色系の明かりが暖かく灯って見えた。

物憂げな夕暮れ時は誰かと話したくなるもので、
だいちゃんでも、だぶちゃんでもいいけど、できれば人間と会話がしたい。

そんな時は、いちばん近くにいて、気を遣わない、それでいて感覚的には似通った夫婦で揃って買い物に出かける。
仕事を切り上げてきたケンが「来週の稲刈りを前に予祝をしようか」と言うので賛成した。
そんな大義名分はいらないと思ったけど、
そんな正当な理由を出してくると言うことは美味しい日本酒が飲みたいと言っているようなもので、私もそれ、賛成だ。
近くのスーパーで、以前に友人が美味しいと勧めてくれた日本酒「佐久の花」を見つけて購入。
お酒が決まれば、それに合うものを、お刺身、酢締めにした光り物、味噌こんにゃく、辛子なすなど、酒飲みが好きそうなものばかり。
それらとは一線を画して、バジルとチーズをのせたシンプルなピザが日本酒と良く合うのにびっくり。
その中でもその日、いちばんお酒に合ったものはと言うと会話だった。
以前に須坂のセレクトショップで一目惚れした日本酒グラスに、佐久の花を注いで、ケンとふたりの歩んできた道を振り返る。
苦しかった時期の最中にいたときも、振り返れば、あの苦しみがあったからこそと思えるようになっていた。

予祝も前もってお祝いをしておくこと、結果を先に設定する。
原因と結果の法則は、本当は逆ではないのかと思う。

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連休中、友達のSちゃんと共通の友人、矢嶋玲さんの絵画展に行った。
場所は宿場町にある彼の親族が保有する明治時代の家屋で、蚕の卵を生産していた立派な古民家だ。
そこは町の歴史を物語る財産として未来へと継がれていくべき貴重な家屋。

古民家の1階の壁には矢嶋さんに描かれた植物たちが数十点、まるで山を散策しているみたい。
繊細でピュアな感性は光に現れる。
彼の五感に映った世界の光がありのままに描かれた絵画。
その光の前でSちゃんと私は癒された。
描かれた植物たちは偶然そこで咲いていたふうに思えなくて、それは彼の前にどこかから運ばれて来て、足元にそっと置かれたかのように、彼に頭を垂れていた。

画家の彼が10年以上も前にうちにやって来た時、ちょうど実をつけていたカリンが描かれていた。
うちの駐車場の向かいのご近所さんの敷地内にある古いカリンの木。
カリンはあれからずっと絶える事なく毎年実をつけている。

再会の喜びとたわいもない話をし尽くした後、しばらく連絡が途絶えていた背景に、それぞれの人生の背景が重なってくる。
それらをひとつにまとめた背景にカリンの絵が微笑んでいた。
日本の果実らしい淡い山吹色も
役目を終えた赤茶けた葉の色も、
ありのまま、そのままを愛おしさという色で描かれていた。
帰る頃には、私たちの人生のどの瞬間も全て愛おしい光で描き直されて、またの再会を約束して帰った。

私は絵のことはわからない。

一緒に行ったイラストレーターのSちゃんと私は彼の絵に心を揺さぶられた。
癒された私たちは、もっとたくさんの人に見てもらいたい絵だと言ってみたり、植物の細部にわたる観察と技法の凄さに圧倒されたり、描かれた草木の色への憧れも混じって、何度もすごいと言った。
何度もかわいいと言った。
何度もきれいと言った。
でも、本当に自分の心が言いたかったことは「ありがとう」だった。
ヘタな伝え方だったけど、ヘタなりにもうちょっと「ありがとう」が伝えられればよかったと思った。
控えめな彼は、そのままで十分なのに、
たくさんの人に見てもらいたいという気持ちが、彼の作品に足すものは何もないのに、彼自身に何か足すものがあると言ってしまったように思えてきてドキッとした。

そんなちょっと失礼な自分も植物に例えたら、
みずみずしいカリンの実よりも枝に残る枯れた茶色い葉っぱ、他の植物に隠れた毒を持つ小さな実、いい香りのする花びらの裏にトゲがあるとか、言うならヘンテコササクレ系植物なんだろうなと想像したら、悲しいような可笑しいような気分だ。

でも、彼の前に置かれた植物であれば、彼はその中に光を見て描く人なのだ。
だからこの件に関しては心配は無用だ。

彼を前にして、そのヘンテコササクレ系植物は「ありがとう」と頭を垂れるのだから。

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”いよいよ老眼鏡が手放せなくなってきた”と、ハッキリと意識した。
もう抵抗はしない。
カバンの中にひとつ忍ばせて、デスク前にもひとつ置いておく。
おしゃれ用にと購入した華奢なフレームの遠近メガネで間に合わせていたものの、使う頻度も扱いもだんだんと雑になってきた。
壊してしまう前に普段用のメガネを準備しておこうと、太くて頑丈そうなプラスチックフレームのメガネのレンズを遠近両用に作り変えてもらうことにした。
いつもお世話になっているメガネ屋さんの優待券を使って✌️

毎朝、目覚めたら地球暦の水星、金星、地球、火星のそれぞれのピンを毎日動かす。
私が地球暦に印字されている数字についての理解が間違いなければ、
壁の地球暦の大きさは10の12乗分の1。
これを10の12乗分に伸ばしたら実寸大。
昨年あたりから、メガネがないとピンを刺すのも難しくなってきた。
それでも、私は毎日、これからも死ぬまでこのピンを動かし続けたい。

太陽系の惑星が楕円を描いていくのを、時計の針と重ねてみる。
時間軸が直線でなく円形であることに慣れてくると、
グリゴリオ暦という意味のない数字に操られた時間軸から飛び出したみたいな気分、宇宙遊泳している気分、UFOに乗っている気分、世界のカラクリがわかったような気分、宇宙人の仲間入りをした気分、ets.

毎朝、いっときも休むことなく変化を続けている惑星を目撃する旅に、私はニヤリとする。

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