2020年、暑い8月も終わった。
東京オリンピックが延期になったり、コロナウイルスでこれまでの考え方が通用しなくなったりと、大小様々な変化に振り回されるような夏だったと思う。
変化することは、この宇宙の法則。
私たち人間は高度な知能を使って全てをコントロールできると錯覚してしまったけれど、残念だけど変化を止めることはできない。
だって法則は人間には変えられないから。
せいぜい変化の渦に飲み込まれてしまうと言う妄想から目覚めているようにすることだけ。

8月、私は笑顔でいられることが少しだけ増えた!
笑顔が増えたなんて、そんなちっちゃなことに気づいたからといってそれが何?と頭は言うけれど、心が無視できないと言うのよね。

笑顔がどんなに素敵なことなのか、笑顔が伝染することも私たちはよく知っている。
笑顔に救われたり、笑顔が癒しになったりするのを私たちは目撃してきた。

作り笑顔はソレとは違って技、頭で作ってるからすっごいエネルギーを使うの。
作り笑顔は大体エネルギッシュな人の為せるワザ、
私のように軟弱な人が適当にソレをやってしまうと完全にアウト、心を見透かされる。

永遠性のない姿形の美しさを比べるることはできるけれど、
私の笑顔とあなたの笑顔は比べることができるだろうか。
比べるどころか、同じものを内在している証拠が笑顔。
本当は、男性も女性も内在している笑顔のような美しさを見たいし見て欲しいと思っている。
だって、それが本当の私たちだから。
人相はその人の選択が現れてくる。
物や身体の選択と心の選択が現れている。
と言うのも、人生=選択と言ってもいいくらいに人生は毎瞬、選択を繰り返している。

心が何を選択しているのか。
その選択の目的は何か。

今年の夏は自粛が続いて部屋にひとりでいることが多かったけれど、心が何を選んでいるのかに無頓着にならないように心がけてきた。
たぶん、笑顔が増えたのは少しづつだけど選択に迷わなくなったからだと思う。

そして笑顔の時、私は歌っている。
声というより、言葉というより、これが本当の私の歌。

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愛そのものではなくて「愛すべき」という契約を手に入れた関係は、どちらかが契約違反をすれば正しさという武器を容赦なく振りかざしても許されているのは周知の通り。ただし、この世界では。
お互いに、自分が愛せなかった部分を愛してくれる人を手に入れたことで、やっと自分は完全になったと感じているために、相手が自分の元から去っていくことは自分の完全性を失うことになる、それが許せない。
私はあなたのせいで自分の完全さを奪われたと相手の責任にしたいけれど、自分の完全さを補ってもらうためには手放せない、そのジレンマ。

以前に住んでいたアパートは、
外観は洋館風の2階建て、建物の扉を開けると中央の階段を挟んで、左右に2家族づつ、合わせて4家族が住んでいた。
私たち家族は1階の部屋で、2階には若い男女が住んでいた。
ふたりは恋人同士だと思った。
生活感を感じなかったからだと思う。
犬を飼っていた。
喧嘩もよくしていたけれど、笑い声もしていた。
昼間はひっそり、深夜に生活音がする。
顔を合わせたのは挨拶に行ったときだけなので、何も知らないのだ。
挨拶の時もドアチェーンをしたままの10センチくらいの隙間から女性が応対してくれた。
眠っていたところを起こしてしまったのかも知れない。
私たち家族はそのアパートで4年ほど暮らしていたけれど、お2階さんと顔を合わせたのはその時だけ。

建物は道に面していた。
この道は住宅街の中では比較的道幅があり、近所に用事のある人はここに縦列駐車していた。
車が止まると、道に面した居間の出窓までの距離は1メートルほどで、磨りガラス越しには人影が映り声も聞こえる。

ある冬の深夜のこと、エンジンをかけたままの車内で電話をしている男性の声が聞こえてきた。
1時間以上にわたり低音で響くエンジン音はさすがにイライラしたけれど、ここは我慢しようと決めて眠った。
それよりも、イライラがマックスになった近隣の住人とトラブルになりはしないかと、そっちの方が心配だった。
しばらくして、2階の玄関ドアが開く音がして、けたゝましく誰かが階段を駆け下りる音がした。

車を叩き、中の男性を罵倒する女性の声と肌を叩く音、イテェと叫ぶ男性は応戦しているようで、女性はどんどんエスカレートしていく。
もみ合っているようで衣類が擦れる音や人が倒れる音がする。
発進しようとする車と阻止しようとする女性の言い争いがしばらく続いて、車が猛ダッシュ。
その車に向かって大声で罵声を浴びせる女性の声がしてやっと静かになった。
その後、お2階さんは静かだった。
数日して、何もなかったかのようにふたりの暮らしが始まった。
何があったかなんてわからない。
今、お2階さんはどうしているだろう。

自分が愛せなかった自分を外側の誰かに満たしてもらう必要は全くない。
特別な関係は自分が愛せなかったものを鏡のように見せてくれる。
特別な関係の彼らは期間限定の救世主だ。
愛以外を教えてくれる救世主。
愛について知ろうとするよりも、愛以外を知っていくと、この世界に特別性を見なくなるらしい。
特別性を求めなくなると言う。
この世界は愛の代替品ばかりで出来ている。
自分は代替品で満足するしかないと信じ込んでいて、代替品でもいいから特別性を保ち続けたい自我は、愛そのものを見るのが怖い。

代替品には束の間のオアシスがあるかもしれないが、
永遠の平安はないので、
時が経てば、また新たなオアシスを求めずにはいられなくなる。
外側には平安はないと気付くまで。
実は内側に永遠の平安に続く扉があったことに気付くまで。
その扉には誰も鍵をしていないから、いつでも開けられるということに気付くまで。

そして、たった今、今ここで扉は開けることができる。
そこにはずっと平安があったのだと気付く。

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ごはんを作る前30分を内観タイムにすることにしたら、これがとてもいい。
このまま続けてみよう。

今日は低気圧のせいか頭が重く、午前中は首筋をアイスノンで冷やしながら過ごした。
気象痛を予測してお知らせしてくれるアプリでも予測できない頭痛は、すごく遠くに発生した低気圧の影響や、低血糖によるもの、寝不足や眼の疲労などが誘因なので、本格的な偏頭痛になる前に原因と思うものををひとつひとつ解消していくしかない。
アプリで確認した後、首筋を冷やして空腹ならば何か口にするという具合に。
今日の空腹にはナッツがゴロゴロ入った自家製シリアルと豆乳ヨーグルト。

グラノラを噛みしめていると、昔住んでいたアパートの住人はどうしているんだろうとか、あの時は失敗したなとか、どうでもいいことが浮かんでくる。
噛むことで脳が刺激されるってホントだと思う。
感情を伴うので一通り思うままにさせて、慣れ親しんできた感情をありのまま見る。そしてその後、これまでとは違った見方で見るように静かに内観する。
被害者のように感じていた出来事や、責めるような感情や、自分は正しいと疑わなかった幼稚な考え、そういった隠しておきたいものを楽に見ることができるようになってから内観タイムはとても好きになった。
誰かが聞いているわけじゃないから「いい人ぶらないこと」が大事。
えげつないわぁぁぁと感じても、落ち込んでも、
知らないフリで隠しているよりずーっといい。
そう思うことができるようになったのは、それらの事が実は私を救ってくれていたと気付くことができたから。
それは、ここでは詳しく書かないで違うカテゴリーで書いてみたい。

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夜に窓を開けると青い草の匂いがした。
そんなに遠くないところに、大量に刈った草が積まれているに違いない。
今夜その草の上で野良猫が眠るのだろうか。
外から帰ってきた猫のダブちゃんも草の匂いがする。

現実をコントロールすることが重要だと思っている時にはなかなか気づくことができなかったけれど、今すごく大事だと思っていること。

暑い昼間に締め切っていた窓を、暗くなるのを待ち望んでワクワクして開ける。
暑い1日の終わりに潤いを運ぶ冷たい風。
仕事でうまくいかなかった日の傷ついた心と細胞を再生へと誘う清らかな風。
大好きな人に酷い事を言ってしまった日には癒しの風。

この窓が風穴となって流れ込むに任せる自然の贈り物は、私が窓を開けるという行為があるだけで他には何もしていない。
畑で野菜を作るのも、種を蒔く、草を刈るという行為があるだけで自然のサイクルに任せる。
私が何もしない時、勝手に起きることが、すごく大事なことだったりする。
いつだって起きていたことなのに、私が受け取らなかっただけ。
「心を開く」とは、窓を開けるのと同じなのかも知れない。
何かを受け取ろうと画策しなくていい。
そして流れ込むに任せること。

冷たい空気が室内に流れ込む時に感じる純粋な贈り物を受け取る。

ありがとう、と言ってもいいし、
嬉しい、と言ってもいいし、
気持ちいい、と言ってもいいし、
生き返った、と言ってもいい。
しあわせ、と言ってもいい。

純粋な贈り物の送り主は、私たちが本当に望んでいるものを知っている。

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朝方に急に温度が下がるようになった。
眠るときには夏掛け布団で十分でも、朝方になるともう1枚欲しくなる。
足元にタオルケットを用意しておくようにしている。
それでも予報では昼間の気温が30度を超える日がまだ続く。
予報を数字だけで確認すると、
夏の始まりの猛暑に備えるような気分になるんだけど、
体感としては夏のソレとはちょっと違う。
こうして夏が去って行き、秋が訪れる。
数字で表せない秋の訪れ予報。
数字で表せないものはたくさんある。

何十回も季節の移り変わりを経験していながら、毎年ちょっとづつ違って感じるのは、私の変化なのか、季節の気まぐれなのか。
たぶん、どちらも。
秋から冬にかけて、ようやく自分の内面と向き合う季節になる。
世界の卑小なことなど見過ごして構わないと思える季節。
季節は心が先に訪れを予報する。
二十四節気は心に告げられる暦。

コロナウイルスの恐怖は、自分が個体で質量と物質と形だと思うと怖いけれど、スピリットだと思えば穏やかでいられた。
長梅雨と自粛生活は、いつもよりうんと早く秋が来てしまったようなもので、楽しく心の隅を突きまくった。
その癖が抜けなくて、一気に猛暑になったときにはエアコンで秋を演出した。
テレビでは世界中が恐怖に陥っていると言うのに、私のスピリットは穏やかだった。肉体が穏やかでいることに罪悪感を抱いていることにも気づいていた。
スピリットから見た個体の私はひどく弱々しく見えた。

今の状況って、個体かスピリットか、どちらを選びますか?と私たちは問われているような気がする。
誰にも選択の自由が与えられている。

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マクロビオティックで食べ物を変えていくことは、自分に対する信頼を積み重ねていくようなことだった。
自分の臓器の働きは医学的な知識から想像するしかなかったのに、陰陽で見ることによって五感で感じる体験になっていく。
五感で感じられないものがあるのはわかるけれど、正体を知らない。
感謝あるのみ。
環境と呼ばれているものが身近なところから地球環境へ、地球から壮大な宇宙へと視野が広がる、と同時に自分の心の奥底に深く耳を傾けることができるようになる。

自分が求めている理想に問題があったとわかる。

マクロビオティックが螺旋を描いて振り出しに戻る。

自分が、そうありたいと願う理想像には、少なからず期待が散りばめられていたし、
期待の裏側には恐れがあるから、戦いがある。
理想という強固な信念が戦いを挑んでまで見たくないものがあって、
それを見たくないのは恐れてもいるから。
見たくないもの、恐れているものとは、たぶんワンネス、愛。
愛を恐れるなんてあり得ないと思うかもしれないけれど・・・
深いところで愛を恐れている。

マクロビオティックで女性は陰性寄りだと学習しても、私は陰性の中でも陽性よりだった。学習したことを信じて疑わず従っていると、私というユニークな生命体の個性を生かしきれなかったかも知れない。

陰陽の偏りをなくし中庸の食事をすることとは、どういうことなのだろう。
絶えず変化していく世界で、中庸の一点に留まる続けることは不可能だけど、中庸を「今ここ」という意識に置き換えることで多くのスピリチュアルマスターたちの教えとマクロビオティックが一本の線で繋がる。

理想や期待が中庸でないことを理解しはじめると、
マクロビオティックは理想像を追う手段にはならないことが自ずと理解できる。
また、マクロビオティックの健康とは、病気でない状態を言っているのではなく、健康の心配をせず毎日楽しく暮らすこと。
マクロビオティックにとらわれながら、依存しながら暮らしている状態では本当の健康とは言えない。
そして、病気でも体にとらわれず依存もなく、スピリットとしての自分が毎日楽しく暮らせているのなら健康と言える。

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夕方、カミナリさまがやって来ては通り過ぎていく。
西からやって来て北へ抜けるカミナリさまに、
遠ざかったと思うとまたやって来て、
遠くで轟いたと思うと、近くで響くカミナリさま。

絵に描いたようなジグザグイナズマと大きな爆音、イナズマ爆弾炸裂!

・・・家のブレーカーが落ちた。

夕暮れ時の薄い暗闇に、台所のガス台の火が青く燃えている。

贅沢な静けさ。

この至福を演出するのは、雨が地面を踏み鳴らすウォーターダンスとイナズマバンド。

聴き入る。

演奏をさえぎるように電気が戻って、家電が一斉に動き出す。

夢から覚める。

灰色の雲を稲妻が切り裂きながら、雷音も小さくなっていく。
バイバイ、カミナリさま👋
またお会いできる日まで。

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突風で、急場しのぎに立て掛けておいたヨシズが傾き、めくれ上がり、倒れてしまった。
ブロックで固定してある事務所の看板も大きな音を立てて倒れた。
ユーカリの木は柔軟体操でもしているみたいに風にあおられているけれど、しなやかな枝は気持ち良さそう。
ジェットコースターに乗せられ、髪を振り乱しキャーキャー騒いでる女子みたいにも見える。

連日36度という暑さが続いている最中、夕方にゴロゴロと低音を響かせやってくるカミナリ様はアイドルのようだ。
来た来た!と、ハート型のココロが騒ぐ💗
家中を風が吹き抜けると、手の届かなかったところに溜まっていたホコリと猫の毛がふわふわと空を舞う。
素敵!ラッキー!ハタキをかける手間がなくなった。

山を隔てた隣町、山の上では雨が降った様子、
町で降らなくても5度くらいは温度が下がる。
コロナと暑さにコントロールされて作り出していた不快な場面を、
カミナリ様に連れられて来た突風が吹き飛ばしてリニューアルしてくれた。
溜め込んで来た情報がリセットされて、頭の中が静まる。

稲も頭を垂れるほどの実をつけた。
雷が多いと豊作と言われている所以は、稲妻が稲の肥料になるかららしい。
神社の大きな太鼓がカミナリ様の音とよく似ているのは、低音で響くゴロゴロという音には穢れを祓う意味もあるのだろうか・・・。
そうならばと、イナビカリリセットーっ!!(かめはめ波ーっ!のノリで)
・・・私は地味に、土ぼこりでザラザラした床にモップをかけて、念入りに拭き掃除をした。

感謝。

今年も暑さのピークは過ぎた。

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寝坊をして、朝のルーティーンをひとつ飛ばした。
いつもの10時といえば朝の慌ただしさも落ち着いて、麦茶を飲みながら一息ついている時間なのに。
時間の流れが変わったことで、台所のガスコンロは全て稼働中。
おかげで私は汗だく。

目の前に大きなカボチャが2つ。
そしてシワクチャカラフルピーマン3つ。

カボチャはひとつひとつ個性がある。
同じ茎になっているのに、ねっとりしたものやホクホクしたものがある。
切って見るまでわからないのがカボチャ。
カボチャは秋のイメージがあるけれど、実は夏の野菜。

さて、この初収穫のカボチャ。
水分が少なくホクホクを通り越してパサッとしている。
このところの暑さで、この食感のカボチャは食べづらい。
まずはプリンにする。

次に、ご近所でいただいたコリンキーというカボチャ。
見た目がとてもかわいいので飾っておきたいくらい。
サラダで食べられるカボチャで、しゃきしゃきとした食感が楽しい。
クセがないのでサラダでも天ぷらでも、アイディア次第でなんでもイケる気がする。

ケンが育てたカラフルピーマンは暑さでシワができてしまった。
私だって紫外線を浴びすぎるとこうなるのかと思うと恐ろしい。
見た目は微妙でも、さっと茹でると味は悪くない。
玉ねぎドレッシングに漬け込んで、冷たい麺にトッピングだ。

これだけのことが、言葉よりもイメージという形になって数秒で頭の中を駆け回る。ある作業からある作業へとイメージ通りに移っていくことが可能だと信じている。それ無理でしょ的な体の使い方をするのでアザも多い。手が4本ないと一度にそれだけ運ぶのは無理でしょ、というようなものを運ぼうとするので捻ったり落としたりする。

私は知らなかった。
自分がこんなにアクティブな人間だなんて。

体よりも気持ちが先走りするタイプなので、
足指を椅子の足にぶつけるなんてことはしょっちゅう。
やると決めると次の瞬間には動いている。
で、やめると決めた時も、次の瞬間にはやめている。
三日坊主が許されるのは牡羊座だけだと聞いたことがある。
後先を考えないので失敗はつきもの。
「私、じつは牡羊座なんです」と言えば、わかる人なら「なるほどね」と、許してはくれなくても同情はしてくれる。

私、歌うたってますが、じつはそんな人間なんです。

いや、じつは私、人間ではないんですと言ったほうがいいのか・・・
羽根があった時の、手が4本あった時の記憶がまだ残っているんで・・・とか?

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家の窓は全て網戸にしてあるのに、
どこから入ってきたのか、カナブン。
小さい頃から虫が苦手だった。
突然、虫と出会ってしまったら・・・
私は勝つか負けるかの勝負に出るという具合に殺虫剤を使った。
その時の私にはゴキブリもカナブンも同じだった。
見たくない、触りたくない、虫たち。

ところが木が茂るこの家の庭は虫の楽園、クモも青虫もハチもヘビだっている。
越して来た当時からバリアを張ってこの先は知らないままでいようと決めた。
蜘蛛の巣や虫がうじゃうじゃいる庭は私には無理、それに庭で深さんに話しかけられてでもしたら、またたく間に私は虫の餌食になってしまう・・
信じられないかも知れないが、
ここに暮らすようになって20年、庭や畑に足を踏み入れたのはここ数年だ。

そのバリアを取り消したのはマクロビオティックの影響だった。
畑や庭の草花を観察をすることが楽しくなってきたから。
陰陽の魔法のメガネで庭を見るといろんな発見があった。
あんなに苦手だった蜘蛛も敵ではなく庭の循環の一部、害虫を退治してくれることもわかった。よく見て見ると、蜘蛛の巣はこの世界にたったひとつの形をしていて、斬新だけど独創的で芸術的で美しかった。
そのうち、庭に出るといろんなアイデアが湧いてくるようになった。
メロディや言葉、部屋の模様替え、料理、人生のドラマ、ステキな風景、あの人のこと、この人のこと、いろんなヒラメキ!

だだ、心は穏やかでも目に入ってくるのは敷地内に置かれたたくさんのゴミ。
しばらくは無視していたけれど、
これをこのまま次の世代に残していくのは嫌だと思った。
自生の花が咲いているだけでいい、素敵な庭と言われなくていい、ただゴミのない庭にしたい。

代々この家に暮らしてきた人たちの庭の概念は見栄えは追求していない。
自生の花が咲いて、お仏壇にはいつも庭の花が供えられている。
農機具、道具類、衣類は効率よくすぐに使えるように出したままにしている。
畑には壊れた冷蔵庫が放置されたままで、大きな鉄の塊のような機械も放置してあった。2つの小屋には家を新築した時に運び出したものの20年以上必要とされなかった雑多なものがぎっしりと入っていた。
オルガン、工場が稼働していた時の木工品、布団、どれを動かすにも力仕事。
小屋の回りには空き瓶や鉄くずなど雑多なものと材木が積み上げられていて、
土面積の半分以上が不要品で覆われている。
昨年、庭の復活を願い書き始めたのがこのブログ、というわけ。
私は小屋の中のものを分別して、ケンは外を整理、そんなふうに使わなくなったものを譲り渡したり廃棄し始めた。
やり始めて、覆われた土にお目にかかるまでには相当時間も労力もかかることがわかった。
コロナ自粛で暮らしのスピードがゆっくりになったことが切っ掛けで、いっそのこと業者に頼んで片付けてもらおうという話になった。
そうでないとケンと私の人生が、この家の不要品整理で終わってしまう気がしてきたから。
このまま、このゴミを残したまま、次の世代に手渡すわけにはいかない。

塞がれた大地が息を吹き返して、風が喜びを運んで来る。
喜びのボルテックスは幸せを遠くまで巻き上げて、やがて行くべきところへと運ばれて行く、そんな庭にしたい。
生命の循環を少しだけお手伝いした私たちも自然の循環の仲間に入れてもらいたい。今はまだ庭の虫たちとの距離を縮めている段階で、仲間には入れてもらえてない気がする。

はて、カナブンはどこからやって来たのだろうか。
もしかしたら虫たちもバリアを外してくれたのかも知れない。

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