「ちっちゃいばあちゃん」のことを何でもいいから、
どんなに小さい事でもいいから思い出したくて、
記憶をたどりながら懐かしむ一日。
ちっちゃいばあちゃんは曾祖母のことで、
小柄でちっちゃかったから、親戚の子供たちはみんなそう呼んだ。
今では白黒写真に写った姿と、
お通夜の姿しか思い出すことができない。
安置された曾祖母を怖いとも思わずマジマジと観察した。
頭に付けられた三角の布がマンガで見たオバケと同じものだったので、
それを従兄弟たちが面白おかしくしてふざけた。
私は見ていただけなのに、逃げ遅れた私が叔父に叱られた。
はっきりとした記憶はそれだけ。
穏やかで静かなちっちゃいばあちゃんに寄りかかると、
それだけで安心していられた気がする。
そうしたい時、きまって私は不機嫌で思うようにならない時。
自分の機嫌がいい時には母と、
不安で不機嫌な時にはちっちゃいばあちゃんと一緒にいた。
そんな私のズルさは、ちっちゃいばあちゃんには見抜かれていた。
・・・・・・・
数日前に、長野に越してきた時からお世話になっている社長からコンサートに誘っていただいた。
その日は月に一度のおそうじの会の日。
明け方から準備のために台所に立ちっぱなしで調理をしたこともあって、
演奏中に眠ってしまうのではないかと一抹の不安もあったけれど、
穏やかな雰囲気のコンサートに疲れた体も癒され最後まで楽しむことができた。
コンサート終了後、
ロビーで観客を見送る出演者と数名で写真撮影をした。
夜になってメールに添付されて送られた写真を見て、
あれっ・・と思ったのだ。
姿がちっちゃいばあちゃんにそっくり。
うちの家系の女性は背が高く、私はちっちゃい。
ついでに、私の窪んだ目は母方の祖父にそっくりだ。
ここ数年は夕方になって疲れると目が落ち込んでひっどい顔になる。
髪を後ろで束ね顔を出すと、
白黒写真のちっちゃいばあちゃんの髪型と同じ。
目元は祖父、姿形はちっちゃいばあちゃん。
母方の祖父も赤黒い肌と窪んだ目をしていた。
頭に羽飾りを付けたら馴染むような、
ネイティブアメリカンのような雰囲気がある人だった。
古代の日本には様々な人種が暮らしていたという説もあるくらいだから、
どこかで混血していたとしても不思議じゃないなと空想する。
今日は髪を束ねて羽根のピアスでも、付けましょうか。