同じことを繰り返しているようで、
目的が違えば全く別の意味が生まれる。

最初は玄米を暮らしに取り入れるためという目的でマクロビオティックを始めたのに、カリキュラムが進むにつれて最終的には資格をとるという目的に変わっていった。

目的は何か?と問うことは大切。

マクロビオティックという名前に抱いていた特別なイメージも、
玄米を中心にした献立が普通になってくると、
自分が料理したものにそんな仰々しい名前を付けるのもどうかと思うようになってきた。

玄米を中心にした献立が食の最高判断、
つまり、過去現在未来と宇宙全体を見渡す目を持つ存在が、地球で、日本で生きる私たちに授けてくれた知恵、愛だと思うようになってからはマクロビオティックの目的が少しづつ変化しはじめた。
物質を陰陽というはかりを使って見ることは、物質の中に愛を、感謝を見るレッスンになり、おまけとしてもれなく健康がついてくる。

目的は何か?という問いの前には、自分とは何か?という問いもある。
私は肉の塊だと思うなら、私は生まれて死んでいく者。
それならば恐怖に怯えながら目的は健康だ。
健康のために玄米がいいと聞けば玄米を食べることで安心感を、
常に新しい情報に敏感になって安心感を、
そうしていつになっても平安はやってこない。

自分が肉体ではなくスピリットだと思うなら、
愛そのものであるなら、恐怖もないはず。
愛そのものなので個人という見せかけの自己に気付いているだろうし、
私たちがひとつの存在としてつながっていることも知っている。
それならば目的は心だ。
マクロビオティックの目的が心を変えていくレッスンになっていく。

関連リンク