8月, マクロビオティック:理想について



マクロビオティックで食べ物を変えていくことは、自分に対する信頼を積み重ねていくようなことだった。
自分の臓器の働きは医学的な知識から想像するしかなかったのに、陰陽で見ることによって五感で感じる体験になっていく。
五感で感じられないものがあるのはわかるけれど、正体を知らない。
感謝あるのみ。
環境と呼ばれているものが身近なところから地球環境へ、地球から壮大な宇宙へと視野が広がる、と同時に自分の心の奥底に深く耳を傾けることができるようになる。

自分が求めている理想に問題があったとわかる。

マクロビオティックが螺旋を描いて振り出しに戻る。

自分が、そうありたいと願う理想像には、少なからず期待が散りばめられていたし、
期待の裏側には恐れがあるから、戦いがある。
理想という強固な信念が戦いを挑んでまで見たくないものがあって、
それを見たくないのは恐れてもいるから。
見たくないもの、恐れているものとは、たぶんワンネス、愛。
愛を恐れるなんてあり得ないと思うかもしれないけれど・・・
深いところで愛を恐れている。

マクロビオティックで女性は陰性寄りだと学習しても、私は陰性の中でも陽性よりだった。学習したことを信じて疑わず従っていると、私というユニークな生命体の個性を生かしきれなかったかも知れない。

陰陽の偏りをなくし中庸の食事をすることとは、どういうことなのだろう。
絶えず変化していく世界で、中庸の一点に留まる続けることは不可能だけど、中庸を「今ここ」という意識に置き換えることで多くのスピリチュアルマスターたちの教えとマクロビオティックが一本の線で繋がる。

理想や期待が中庸でないことを理解しはじめると、
マクロビオティックは理想像を追う手段にはならないことが自ずと理解できる。
また、マクロビオティックの健康とは、病気でない状態を言っているのではなく、健康の心配をせず毎日楽しく暮らすこと。
マクロビオティックにとらわれながら、依存しながら暮らしている状態では本当の健康とは言えない。
そして、病気でも体にとらわれず依存もなく、スピリットとしての自分が毎日楽しく暮らせているのなら健康と言える。

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