7月, つぶやく:受け取ることと、差し出すこと

連休だというのに静か過ぎて、トナリハナニヲスルヒトゾ。
車の通る音も、子どもの声もしない。
まるで、世界中が瞑想しているような雰囲気だ。
私はこの連休に、何度目かの「カナンの果て」を読むことにする。
今週末のおそうじの会の献立も、頭の中で描きはじめることにする。

ある程度、歌い続けていて歌うことに慣れていたり、お陰でいろんなアイディアや技術的なことにも幅が出てくると、それはそれで豊かな実りの体験もする。
その一方で、ピュアな感性に触れた時の未完成の完成(若者のパワー)に感動して、どうやっても戻れない時間というヤツに嫉妬したりする。
私の20年以上前の音源を聴けば、トータルで未完成を作ってしまった自分に出会うことができる。
若い私の歌には、それはできない、これもできない、でも、これならできるという境地の強さみたいなものを帯びていて、最近は私の記憶にないそれらにガツンとやられっぱなし。

昔、ライブハウスで歌った時、対バンしたシンガーソングライターの女性、名前を忘れてしまったけれど、彼女がライブの後で話しかけてきた。
彼女の歌はセンスある曲と耳なじみのいい声、だったと思うのですが、結婚を控えてライブ活動ができなくなる、もしくは活動に限界を感じているか、どちらかだったと思うんだけれども。
とにかく、歌に悩んでいた様子だった。
それが、
「こんなふうにやればいいのですね!」
「あー、ユキコさんみたいに、こんなやり方があるなんて!」
と、涙ぐみながら、何かを掴んだというふうに「ありがとう!」と言われた。

別のライブの時にも、ライブ後の出演者が心通わす飲み会でも、ハッキリと、または遠まわしに、「難しいことはしていないのになんでだろうね」ともよく言われた。
なんでだろうねと言われても返事のしようがないし、
その通りなので、またか、という感じで聞いている。

私は本当に難しいことは出来ないし、そもそも難しいことはわからなので、これならできる!というところだけで踏ん張ってきた。
それも限界にきたら、舞台から降りるつもりで。
シンガーソングライターの彼女は私の、難しいことはしない、というのにヒントを得たのだと結論づけて、すっかり忘れてしまっていた。

ところが最近、私にも相手が意図していないことをキャッチするということが頻繁に起きるようになった。
それでシンガーソングライターの彼女のことを思い出した。
そしたら芋ズル式に記憶が戻ってきた。
私が意図していないことを、相手が受け取る。
または相手が意図していないことを、自分が受け取るみたいな。

なんにしても、どんなことでもそれはギフト。
私は怖がることなく受け取り、そして必ず心の平安が訪れる。
そして私は心の平安を差し出す。
受け取ることと、差し出すことは同じ。

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