4月, マクロビオティック:人間の改造

何を食べて、何を飲むか。
社会の基礎である人間を改造するためのマクロビオティックです。
今まさに一大事となった社会と政治の機構や組織ですが、
うまく機能している(と思っている)時でさえ、これらを改造するのは必要なことであり、結構なことです。

でもその社会の主体である人間の改造は、それと同時に、あるいはそれ以上前に、それ以上になされねばならないコトである。
人間の改造なくしては、、大変な努力を要したセッカクの社会や政治の改造も、まったくムダになります。「東洋医学の哲学」

桜沢如一先生も”人間改造は、社会の改造と同時に・・・”と書いているので、
ウイルスで右往左往している社会のあり様と同時進行でしばらく書いていこうと思います。

「東洋医学の哲学」には、
人間改造は、要するところ、人間の最高判断力を開放するコトだと続きます。
起きている事をセンチメンタルな感情という判断でよしとしてしまうのは本来、東洋的ではありません。
西洋発の科学や医療も、それを支えてきた社会と政治と組織も、有限の世界での発見を宇宙の秩序だとして進歩していると思っているわけですが、丸い地球のスタート地点から離れつつあるものの、いつかゴールというスタート地点にたどり着くのだと思えば長い道のりですが仕方ありません。
けれども東洋では始まりが宇宙の秩序です。
経過年数が長すぎて、今では変なおまじないみたいになったものもありますが。

マクロビオティックは人間改造です。
このままでいいという人もいるでしょう。自由です。
神とは、生命とは?という問いに対して生理学的、生物学的な答えがあります。
神や天使と呼ばれるものに対して、
相対の世界でわかりやすく擬人化されているものには触れません。
批判もしません。
相対の世界の中では、無限に一番近い表現、アイデアなのでしょう。
マクロビオティックは宗教的だと言われて久しいですが、無限に一番近い表現を使ってわかりやすくしたことが、固定化された概念のために裏目に出てしまったのかも知れません。
でも、そんなことはどうでもいいことなのです。
木を見て森を見ず。

そもそも、大量生産の企業が儲けられる商品がマクロビオティックにはありません。原材料にこだわった加工品も出ていますが、それを買い求めてマクロビオティックとする教義ではないからです。
今の社会構造の中で広がらなくて良かったと、実は心の底では思っています。
マクロビオティックは行でもあるので、
便利でスピードのある世の中で、少しの不便を課してみることこそ、マクロビオティックのドアをノックすることになるのです。
その不便を、その哲学を通らずに玄米を食べても肌はきれいになりますし、ダイエットにもなりますし、病気も治るでしょう。
でも、えっ、そこが到達地点?
無限の世界とつながっているのに?
謙虚すぎます・・・。
桜沢如一先生の健康は、
遊ばざるもの食うべからず、朝から晩まで喜びをバラマクこと、憎む人も、嫌いな人もいない、これは宇宙の法則を知っているからできることなんです。

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