マクロビオティック

マクロビオティックとは宇宙の法則のことです。
近年「〇〇を食べてはいけない」が強調された食事法だけが広まったマクロビオティックですが、健康ブームの波で広がったのですからそれも仕方ありません。
多くの誤解を招いていて残念ではあります。
近代化におどらされたくだらない概念など足元にも及ばない智慧と美しい調和の世界。
日本人にとっては馴染みのある食材と料理法は超シンプルで「余分なことはしない」のが鉄則です。
また、マクロビオティックは「一物全体」と「身土不二」というふたつの柱を元にして陰陽で宇宙の理をはかります。

同じことを繰り返しているようで、
目的が違えば全く別の意味が生まれる。

最初は玄米を暮らしに取り入れるためという目的でマクロビオティックを始めたのに、カリキュラムが進むにつれて最終的には資格をとるという目的に変わっていった。

目的は何か?と問うことは大切。

マクロビオティックという名前に抱いていた特別なイメージも、
玄米を中心にした献立が普通になってくると、
自分が料理したものにそんな仰々しい名前を付けるのもどうかと思うようになってきた。

玄米を中心にした献立が食の最高判断、
つまり、過去現在未来と宇宙全体を見渡す目を持つ存在が、地球で、日本で生きる私たちに授けてくれた知恵、愛だと思うようになってからはマクロビオティックの目的が少しづつ変化しはじめた。
物質を陰陽というはかりを使って見ることは、物質の中に愛を、感謝を見るレッスンになり、おまけとしてもれなく健康がついてくる。

目的は何か?という問いの前には、自分とは何か?という問いもある。
私は肉の塊だと思うなら、私は生まれて死んでいく者。
それならば恐怖に怯えながら目的は健康だ。
健康のために玄米がいいと聞けば玄米を食べることで安心感を、
常に新しい情報に敏感になって安心感を、
そうしていつになっても平安はやってこない。

自分が肉体ではなくスピリットだと思うなら、
愛そのものであるなら、恐怖もないはず。
愛そのものなので個人という見せかけの自己に気付いているだろうし、
私たちがひとつの存在としてつながっていることも知っている。
それならば目的は心だ。
マクロビオティックの目的が心を変えていくレッスンになっていく。





春分0度から始まった地球号ですが、太陽を中心とした地球暦上で秋分を通過、めでたく180度を超えて2020年後半に突入しました!
普通のカレンダーを見て生きていると時間は早く過ぎていくのに、地球暦で生きている私にとっての2020年前半は長かった。
毎日、コルク版に約2ミリ幅でピンを刺していく。
グッと力を込めて、今日の始まりをココロにぐさっと差し込むみたいな感じ。
「ここにいる」と宣言するように、グッと力を入れて差し込む。
繰り返していくと、地球暦カレンダーに約2ミリ弱幅で画鋲の穴が弧を描く。
この半円の中には、新陳代謝、細胞の生まれ変わり、出来事など、いろんなサイクルが交差している。
弧を描くカレンダーを心の目でみると、それらは全て愛おしい模様になっていた。

秋分過ぎて9月後半は味覚的にも視覚的にも行楽のシーズン。
今年の夏にやり残したレジャーを取り戻したい気持ちになるのがこの連休。
秋に取り戻さなかったら、
夏と秋にやり残したことを冬に取り戻すの、無理だから。
連休中はそこそこの人出に恵まれたようで、観光関係の方たちはホッとしたと思うし、困難を伴った2020年の思い出があったからこそ、計画通りの連休でなくても、一緒に過ごす時間を取り戻せた幸せに満たされた人たちもたくさんいるはず。

うちは連休といっても、
ケンは草刈り、私は混雑を避けて家で過ごした。
コロナウイルスの第二波の可能性は少なくなってきたのか、集団免疫という見識になってきたのか、やんわりと収束かとにおわせておいて、実のところウイズコロナ時代に突入したのか?
とはいえ、免疫力が弱い高齢者や持病がある方にとっては、世間の風潮とは別に自粛生活は当分続くという覚悟で暮らしているのだと思う。
この世界は平等というわけにはいかない。
でも地球号全体を見渡せる目を持っていたら、サンシップを見渡す目を持っていたら、どんな模様になっているんだろう。
美しい曼荼羅が幾重にも重なる模様だったらいいな。
平等なんていう薄っぺらで直線的な模様は嫌だな。
ひとつとして同じ色のないカラフルなピンが暗闇に弧を描き、虹色と曼荼羅が幾重にも重なっている。
私もその中のピンのどれかで、あなたも、その中のピンのひとつ。

みんなで描いた虹色曼荼羅。







マクロビオティックで食べ物を変えていくことは、自分に対する信頼を積み重ねていくようなことだった。
自分の臓器の働きは医学的な知識から想像するしかなかったのに、陰陽で見ることによって五感で感じる体験になっていく。
五感で感じられないものがあるのはわかるけれど、正体を知らない。
感謝あるのみ。
環境と呼ばれているものが身近なところから地球環境へ、地球から壮大な宇宙へと視野が広がる、と同時に自分の心の奥底に深く耳を傾けることができるようになる。

自分が求めている理想に問題があったとわかる。

マクロビオティックが螺旋を描いて振り出しに戻る。

自分が、そうありたいと願う理想像には、少なからず期待が散りばめられていたし、
期待の裏側には恐れがあるから、戦いがある。
理想という強固な信念が戦いを挑んでまで見たくないものがあって、
それを見たくないのは恐れてもいるから。
見たくないもの、恐れているものとは、たぶんワンネス、愛。
愛を恐れるなんてあり得ないと思うかもしれないけれど・・・
深いところで愛を恐れている。

マクロビオティックで女性は陰性寄りだと学習しても、私は陰性の中でも陽性よりだった。学習したことを信じて疑わず従っていると、私というユニークな生命体の個性を生かしきれなかったかも知れない。

陰陽の偏りをなくし中庸の食事をすることとは、どういうことなのだろう。
絶えず変化していく世界で、中庸の一点に留まる続けることは不可能だけど、中庸を「今ここ」という意識に置き換えることで多くのスピリチュアルマスターたちの教えとマクロビオティックが一本の線で繋がる。

理想や期待が中庸でないことを理解しはじめると、
マクロビオティックは理想像を追う手段にはならないことが自ずと理解できる。
また、マクロビオティックの健康とは、病気でない状態を言っているのではなく、健康の心配をせず毎日楽しく暮らすこと。
マクロビオティックにとらわれながら、依存しながら暮らしている状態では本当の健康とは言えない。
そして、病気でも体にとらわれず依存もなく、スピリットとしての自分が毎日楽しく暮らせているのなら健康と言える。





1 2 3 30