食事と基本知識

マクロビオティックは地球上の全ての物事を陰陽というものの見方で見ていきます。良いか悪いかを判断しないで見てみると調和のとれた世界であることがわかります。不調和が引き起こす事象が多いことにも驚くことでしょう。
陰陽のものの見方(マクロビオティックのものの見方)はゲームのようなものです。そのゲームを実践するにあたり、基礎となる知識に従うほうが得策。
でも「なぜそうなのか」を知りたいのであれば納得するまで調べてみるのも楽しいかもしれません。ただ、「学ぶ」は「真似る」とも言います。マクロビオティックは実践してはじめて理解できる分野ですからとりあえず基礎に従ってはじめてみるのがいいと思います。「なぜそうなのか」の答えは追々わかってくるものです。

基礎知識の項目は順を追って書いていきます。が、今の時点では(2018.2)項目のみですが、記事になったらリンク貼ります。項目を見ただけで無理と思う人もいると思いますが、「macro to micro「マクロビオティック」はじめに」でも書いたのですが、個性ある私たちはそれぞれのマクロビオティックという花を咲かせるのですから、基礎を法律と混同しないようにしましょう。
基礎は「覚えておくと便利」なものです。
たとえば食品の質にこだわってもオーガニック食材が手に入るとは限りません。そこで歩みをとめないで。オーガニックではないけれど「比べてマシなほうを選ぶ」という判断もできるようになります。だって桜沢如一先生の著書「魔法のメガネ」は働く勤労少年少女に向けて書いたものなのですから。マクロビオティックを海外のセレブな人たちが実践したことで、日本でもマクロビオティックが美しい食事法として取り上げられるきっかけにはなりましたが、実際にはだれでもどこでもどこの国でも実践できるものです。
自然環境とバランスをとり生活法の基礎としてください。
マクロビオティックがライフスタイルにまで及ぶのは、日々の生活が食べることと同じように大切な要素であるからです。

 

・日本の伝統的な食事と現代の食事
・マクロビオティックがすすめる温帯性気候の食事のガイドライン
・食品の質、オーガニックまたは自然な品質なもの
・野菜のカッティングスタイルと洗い方
・台所の使い方
・ライフスタイルの大切さ

 

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人間は環境と食べ物でできている

「人は環境と食べ物でできている」

人間は自然の一部です。
空気や水などの環境は服を変えるようには変えられないし、地球上なら引っ越しもできそうですが、火星に引っ越しは簡単じゃないですね。
環境とは「自然の法則性の中に生かされている」ということです。
心身に不調を感じた時、自分の自由な意思で変えられるものは食べ物です。
食べ物は消化して波動化し心や行動にも現れていきますから心の不調を性格だと決めつけてはいけません。
あまりにも長いあいだ「不調」や「うまくいかない」経験をしていると性格だ、体質だと開き直る人がいますが、食べ物は哲学、思想、ものの考え方にも大きく影響を与えるものだと知っておこう。

マクロビオティックで身土不二という調和の法を知りました。
自分の暮らしている環境と自分の体は分けることのできないものである、というもの。「自分が暮らしている土地のものを食べること」が自分にいちばん合っているというものです。マクロビオティックの「身土不二」の思想を継承しながら独自の視点で「ONE PEACEFUL WORLD」、世界平和をかかげたのはKUSHI MACROBIOTICの久司道夫先生です。身土不二の心得は外国の食べ物を搾取せず、自国で生産された食べ物で生活することで健康になり、世界も平和になるという未来の世界図です。搾取の構図は世界の不調和の元です。
昔は豊かな自然環境のなかで私たちはきれいな空気と緑に囲まれた生活をしていました。小さな町や村が単位となり作物を作り、お祭りでは土地の神さまに感謝し、お盆には先祖を迎え、それが当たり前でした。家庭の味は季節の野菜を使ったシンプルなもので生活もゆったりとしたものでした。
テクノロジーが発展し人々が工場で働くようになると、それに伴い車や電車という早い乗り物が暮らしのスピードもどんどん早めていきました。
二酸化炭素が排出され、ペンキや建築資材などにケミカルなものが使われるようになると空気も水の質も変わっていきました。
ケミカルなものは食べ物にまで使われるようになりました。

血液は細胞を作り、細胞が臓器を作ります。
細胞にできたガンは汚れた血液が行き着いた先。ガンなどの命にかかわる重大な病気も、長年悩まされている不調もすべては血液の汚れが起こしたことだと気づいていよう。
本来の自分を取り戻すために、伝統的な暮らしと生活を取り戻してゆく。
都会でも田舎でも「地球の法則」は同じですから、その場所の質(陰陽)を知って地球の法則性に従って生きる。
マクロビオティックを人生の目的にしないでください。
人生の目標は「なりたい自分」です。

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macro to micro 「マクロビオティック」はじめに

macro to microへようこそ。

坂口ユキ子です。
私は2010年から本格的にmacrobioticの理論の学びと実践を始めました。
きっかけは長年心に渦巻いていた「答えを知りたい」という思いでしたが、今思えば気の流れも滞っていたときで、実際に行動するまでには体にも心にも時間が必要だったようです。2009年には独学で学びはじめていましたから。
移行期にはマクロビオティックのお菓子を焼いたり、お話会を設けたりと楽しく試行錯誤していましたが、流れにまかせて好きなことを続けていたら、今では禅寺で月に1回「おそうじの会」に集まったみなさんに玄米を中心としたお昼ごはんを作り陰陽調和を心がけた食事法についてお話しをするというお役目を3年させていただいています。

大地のめぐみの野菜、玄米を使った献立や漬物や発酵食品にみる日本のあたりまえの食文化は世界中のマクロビオティックに取り組む人たちに当たり前ではないようです。マクロビオティックは平和的で経済的で環境にもよいすばらしい食事法です。自然を題材にして生まれる命の賛歌が多くの芸術作品となって魂を揺さぶったように、美しい食事法が海を越えて全く違う文化を持つ人々の魂を揺さぶったのだと思うと日本という国に誇りを感じます。量子力学がついに般若心経の空の世界観に追いつきはじめると、これまで意識やエネルギーという言葉が宗教的であるとして嫌悪感を感じていた人たちも、科学的に証明されれば言葉はどうであれ事実として受け入れるでしょう。呼吸は吐く息が先、そうすれば自然と吸う息に切り替わり細胞が蘇るります。同じように日々の掃除の祓いは自然と再生へと続いていきます。私たちの体は出す方が先だと遠い昔から変わることなくこの体が教えてくれていたのに、栄養学は摂ることばかりを繰り返し唱え続けてきました。
腸をきれいにすることが第一優先なのだと、体は教えてくれています。
microとmacroを行き来する循環の世界を生活の土壌にしてマクロビオティックは人の数だけ花開くものです。陰陽の法則は老若男女、国が違っても言葉がわからなくてもお金持ちでもそうでなくても誰でもできる共通のものの見方です。
マクロビオティックを習得することは最終目的ではありません。
あなたのがなりたい自分として輝やく人生を生き始める土台として自然の法則を味方にするほど心強いことはありません。

東日本大震災という未曾有の災害を経験したわたしたちは、時代の大きな流れに時には流されたり、頑張って必死に踏ん張り生きています。
これまで信じてきたことの危うさを目の当たりにして人生観が変わった若い世代の人たちもたくさんいることでしょう。
この危うさを数十年も前に予測していたのが宇宙の本質の世界観を生きていた今は亡き桜沢如一先生や久司道夫先生たち。マクロビオティックを世界に広めた先生たちです。どの先生も厳しいですが、あまりにも自然の法則から離れてしまった人類の歴史に歯止めをかけるために厳しさは有難いのです。

シンガーソングライター坂口ユキ子のHPにマクロビオティックというページを作ったのには理由があります。
実はマクロビオティックの講義で私が書きなぐったメモノートがあります。
マクロビオティックを始めて排泄が強まる中、KUSHIMACROBIOTIC教室に通いました。いつも頭痛と吐き気でノートの文字は酷く、朦朧としていたようです。
何度か読み返して大切なところには付箋をつけていますが、先生の話すスピードに合わせて書いているので字がごちゃごちゃで読めないところもあったり不明な箇所もいくつか。早い時期に自分のサイトにまとめてみたいと思っていました。ここにきてやっと取り組むことができそうです。私が頭で理解した事と先生たちが経験から理解した陰陽の理解の深さは、講師の先生の言葉のニュアンスや実際の調理の様子からも感じているので、ここでどこまで伝えられるかわかりませんが、挑戦したいと思っています。

私もマクロビオティックを実践しながら未だ、判断力の低下による食べ過ぎで宇宙の理に反したときの不快感を体験します。判断力が低下した原因は少し探ればわかるときもあるし、わからないときもあります。
肉体という乗り物のすばらしさに驚嘆したり、自分がどれだけ概念に縛られて生きているかを笑ったり、問題だと思っていたことが実は答えだったり、体験を通してありのままの自分を知ることになるのです。
マクロビオティックの料理は自然の法則に従う料理法です。
美味しくないわけがないのですが、化学調味料の味に慣れてしまった味覚ではパンチがないぶん味気なく感じるようです。
しかし味覚が正常になると個性ある野菜たちの複雑な甘みは飽きることなく美味しいと感じるようになります。味覚が変化するころになると「知りたいこと」が自然発生してきます。そのどれもが後々大きなマクロ的な視野へと導いていくことになるのでメモしておきましょう。
しかし、この世界で起きている日常はそう簡単には変わりません。心も思考も簡単には変わりません。ありのままの自分を否定するとき、または自分や人をジャッジしたとき、感情を通して肉体が痛みや不快感となって心の在り方に対してブザーを鳴らしてくれます。マクロ的な視野が広がってくると、その世界の中で感情のブザーは鳴りますが、その対処法をすでにあなたは知っているという具合に。あなたがマクロビオティックを実践するとき、いづれ訪れる宇宙の本質を知る時がかならずやってくると信じて、今はこのふたつの世界を使い分けていくことを自分に許してください。

microからmacroへ、macroからmicroへの旅、その間を行ったり来たりしながら私たちは体験というギフトを受け取ります。
変化することは宇宙の法則ですから、変化を恐れて現状維持するのは膨大なエネルギーを使います。この世界には同じものはひとつとしてないというのが宇宙の法則ですから、同じサイズの農作物を作るというのは人工的です。自分をありのままに受け入れるというならば宇宙の法則は追い風となります。

これからマクロビオティックと自然発生的に知りたいと思ったことを私なりに結びつけた世界観をmacro to microとして発信していきます。

macro to micro主宰 坂口ユキ子
究竟涅槃を信じて。

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2017.12.29

29日はお餅つきもしてはいけないらしい、9という数字が意味するものとして「苦しい」を連想させるそうで。
今年は午前中にお正月の買い物を済ませてお昼はケンとランチ。
年の瀬の忙しさはなにかとストレスなので、今年は段取りを変える試みで「29日にやってはいけない」をうまいこと利用する。

もしかして、大晦日を前にした29日はいろんな意味であきらめる時なのかも。
12月に入ったら大掃除が習わしになっているなら、やらなきゃならないことは山ほどあるけど、季節は冬。寒くて思うようにはかどらない事も多々ある中奮闘。
そういえば年末に怪我したり、急いでヘマしたりした経験あるなぁ。
「ホコリで死なない」「何もしなくても年は明けるもの」なんて言葉が頭に浮かぶのも29日頃かと。。9という数字は云々も使いようというもの。
春の日差しに誘われるのを待つとしよう。

今年中にやりたかったエジソン電球設置。
カフェや雑貨屋でみかけるフィラメントむき出しの電球、
LEDでなければ危険な場所もあるからエジソン電球風のものに取り替えた。
こだわりのピアノの照明だけはホンモノ。

北側玄関の薄暗さをなんとかしようといろんな試みをしてきたけれど、やるべきことは北側玄関の薄暗さを味方にするということにたどり着いた。
エジソンで最高。今年やりたかったことが叶ったしあわせ。
暗い玄関には暗さを補うようにシャンデリアがついていたけれど、それも取り外すことにした。
年老いたら電球を変えることもできない高さにあるシャンデリアはいらない。
和室にはソケットにスイッチのあるレトロ感満載のエジソン。
モグラ女子にシャンデリアは眩しすぎるのだ。

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ついにやってしまったイルミネーション

12月にもなると佐久平駅前でもイルミネーションがキラキラしてうきうきするのだけど、家でやろうなんて考えたこともなかったのに、今年に限ってやってしまったイルミネーション(笑)ついにやってしまったねぇ。

11月の宮森敬子さんの作品と出会って、私のシナプスは私にもようわからん電気信号を発する。
何をしたいのか、って問いはほとんどアテにはならない。
いろんな答えをひっぱりだしてきて正当性を導き出そうとする脳のやつら。
意味なんてないし、答えはいらないという立場を貫き通してイルミネーション。
小枝を組んで毛糸を巻いたり、ボンボンをつり下げたりしたけど、どれひとつとして購入したものではなくて家にあるもので。
イルミネーションだけが大安売りで購入したものだけど、
私の気持ちは晴れやか。
晴れるヤ♪

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もういい人やめた。

ここのところコマネズミのようなありさま。
久しぶりに会った知人と握手した時に「あっ、働いている手ね」と言われてぎょっとした。思わず手をひいてしまった。
具合が悪くてウトウトすることはあってもネコ気分でウトウトするなんてことは全くなくて、さすがにダウンした昨夜。

「それはぞんざいな扱いだね」と言われてぎょっとして、その場をすぐに去った。どう思われても後悔はしない。そんなふうな扱いをされている自分にも気づかないで、何でも引き受けてきた。もういい人はやめる。

昨日の満月の頭痛が朝まで響いた。
あれ、朝は晴れてたのにちょっと曇り空。
嬉しい月曜日。
こんな日はお休みしたって構わない。
ネコ気分でコタツに入ってウトウトしても構わない。
ナマケモノ大いに結構。
もういい人やめる。

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欠ける月とうさと服

今月18日、ドローイングの宮森敬子さんのopening partyでムビラ。
軽井沢のギャラリーbe here nowにて。
と、言っても私はアフリカの音楽を奏でるのではなくて、
シンガーソングライターの最も得意とするところ、自分で好きにムビラ(笑)
と思っていたら、
月が欠けてきて、「こんなでいいの?」という問いがふつふつ、悶々。
田んぼで脱穀しながらふつふつと、
土鍋で大根炊きながらふつふつと、
be here nowという2017年の私の心のど真ん中どんぴしゃなギャラリーでありながら、今ここにいない自分はどうなのよ・・で、無事着地。
めでたし、めでたし。
強固な頭のシナプスにヤラレタな、自分。

昨日は佐久なんだ館でうさと展。
数年前に買ったうさと服がそろそろヨレっとしてきた。
その風合いも計算済みのうさと服。

初めてうさと展に行った時、見かけた女性がヨレッとしたパンツを履いていてすごく素敵だった。素材は少し毛羽立っていて、その人がお気に入りなのがよくわかって、どうしてお気に入りなのかもわかってしまった。
だって私もソレ欲しいですから(笑)
世界に一着だけのうさと服だから、同じものはないの。
私のうさと服もそろそろ彼女と同じ風合いになってきた。
うさと服は決して痩せてみえるわけでないし、
それどころか広がった服を重ねたりして遊ぶ。
そう、うさと服は遊ぶの。
コンプレックス商法がダイキライな私が選ぶイチオシ。
私たちの存在が光だとして、きらきらと輝く体に何種類もの植物のエッセンスを纏い、紐がゆらゆら、裾のカットがふわふわしてたら、わたし天使かと。
いや、それはないない。

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十五夜で月満ち満ちて、鮒すしに戦国武将を思ふなり。

超超多忙な10月を終えて思うこと。

まずは昨日の十五夜の昇るを、農作業の終わりに見た。
台風が続いてやってきて、合間の1日をやむおえず見過ごしたばかりに大変な手間がかかってしまい、いつもの年なら1日で終えていた脱穀を半分残して今日の雨70%の曇り空。
帰り道、炭坑節が頭をよぎって故郷の盆踊りを思い出して、ふふふ。
盆踊り大好き。

琵琶湖のほとり。
雨の中、静かな琵琶湖のほとりを歩く。
まずは石田三成さまの家紋、大一大万大吉のトートバックをゲット。
ディズニーランドでネズミ耳を購入するのと同じ道理。
石田三成さまの家紋、大一大万大吉は言うなればラブアンドピース。
長浜は北国街道と中山道と東海道の交わる地点。
琵琶湖の北の食文化のひとつ「鮒すし」は子持ちの鮒を塩と飯で発酵させた日本で最も古いなれ鮨、淡海のスローフード。
特に、未熟卵を抱えたニゴロブナが最上らしいので、北湖で天然のニゴロブナを漬けたものを買ってコタツで日本酒のアテ。
奈良時代より琵琶湖畔の食文化。
延喜式にも記載されている。
江戸時代には将軍御用達の品となる・・・
この滋味ある鮒すしを信長も秀吉も食べたのかと思うと感慨ひとしお。
三成さまは当然食べたあるある。

挑戦の10月。
心を込めて炊いた玄米がつないでくれたご縁は、日本の精神の頂から流れてくる川のように清らかで澄んだものでした。
般若心経の、この世界が空であることは「なにもない」ということに始終してしまうと起きることは無意味になってしまうから、「なにもない」のではない。
再度、般若心経を読むとアンテナがぴぴっ(笑)
般若心経はすごい、ほんとにすごい。
毎回発見があって、同じ文字が並んでいるのに読むたびに違う。
どうなってるの。

私の10月はこうして過ぎていくが、まいどのことで、どれもこれも非生産的でありまするぅ(笑)

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五蘊皆空

やろうと決めてできなかった事。
二十四節気と七十二侯、雑節をブログに書き留めていくはずが、
心を亡くした”忙しさ”ではなく、心を込めて丁寧に取り組んだおかげさまで、
滞らせてしまうことになった。
「そうしたかった」という私の想念をいつまでもひきずっているわけにもいかないから前にすすもう!暦は巡ってくるのだから、再び巡るときを待とう。

五蘊皆空

10月は挑戦の月。
繊細かつ大胆にすすめとばかりに(笑)
お寺さんで月に一度の「おそうじの会」も4年目。
正眼院のご住職、奥さまのご理解があって、応援があって経験させていただいているマクロビオティックの社会に向けての実践。
私個人から家族のマクロビオティックの実践だけでなく、禅の教え「空」の理論の宇宙観はこの世界の必然であって宇宙の法則だから、歪みに気づいてさえいれば自分のものさしが変化をはじめる。
そうか、正しいものさしがあればいいだけなんだと気づく。
調和とは、正しいものさしがあってこそ。
マクロビオティックで伝える最初はそこのところ。
自分で整えるのだという事。
自分で料理するのだという事。
マクロビオティックは実は忙しい人こそ実践するべきで、料理が得意じゃない人でもできる簡単な料理なのだという事も付け足しておきたい(笑)
私は暇だからマクロビオティックができてるんだと思われていますが実はそうではありません。
自分の取り組みたいことに時間を費やしたいからこそ、マクロビオティックなのです。

今年も伊勢椿大神社での早朝に禊ぎをさせていただいた。
小諸椿会の諸先輩の方々がつないでくださった椿大神社さんとのご縁に感謝して禊ぎの滝行で心身ともに再生。
権禰宜の大竹さんが毎回「おかえりなさい」と声をかけてくれるのがうれしい。
食事の席で大竹さんから古事記の中に出てくる祓戸の大神たちの話しなどを聞く。神社という清められた神聖な場所で、2677年の間受け継がれた物語や事象の根底にフラクタルなメッセージ。

 

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アツササムサモヒガンマデ

「暑さ寒さも彼岸まで」日本の慣用句

春の彼岸を「春彼岸」、秋の彼岸を「のちの彼岸」または「秋彼岸」といい、どちらもお墓まいりの習わしがある。
どちらも太陽は真東から昇って、真西に沈む。
中日と呼ばれる秋分の日から、日は短くなり秋の気配が色濃くなる。
春分の日はまた、その日を境に春の気配が色濃くなっていく。

昼と夜の長さがほぼ同じになる日、あの世とこの世が最も近くなる日としてご先祖様を偲びお墓まいりをする。

マクロビオティックを始めて、様々な人生の不思議さを感じているけれども、今年は「私とは何か」というようなことをずっと考えてきた。
ロボット工学博士が解く脳の仕組みにまでアンテナを張り巡らし、ぐるっと一周してもどってきたところはいまここ。
笑っちゃうくらいちかいところ。
どういうわけか神社、お寺さんにご縁をいただいたことで、
宇宙的宗教観というものに触れることができたのは大きなギフト。
「私とは何か」という出発点が違えば現れる世界、リアリティは違ったものになるのだから、マクロビオティックの「私は食べたもので出来ている」という出発点はモノの世界から無の世界への始まりとしてはナイスチョイス。
いきなり「私はいない」から始まると、自分に起きること、それによって感じている自分もいないということにしてしまう。
すべてから目を閉ざし、自分を閉ざし、穴蔵で修行みたいな。
それは勘弁。
それはスピリチュアルという逃げ道を作ってしまうだけで、人生とは言えず。
結局のところ、人生はコントロールできない。
脳はコントロールしていると思いたいみたいだけど、できないんだよ。

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