急なことで、森へ出かける。
週末のライブの現場を案内していただけるとのことで、佐久市の大丸家具さんから車で20分、細く急な山道を3キロ、着いたところは遠くに八ヶ岳が広がる山の上。標高は1060メートル。
車が止められるように切り開かれた広場に車を止めて歩いて下っていくとローマの円形劇場のような形でステージが設置されている。

歩くとふわふわとした感じがするのは、堆積した枯葉。
ちょうど雨上がりに晴れ間が出たために、蒸し暑いけれど下界とは違う。
風が吹くとカサカサと葉をこする音がするので週末はそよぐ葉音とコラボレーションすることになるのだな。

それにしても大変な労力と時間をかけて、そもそもここにステージを作り上げライブをしようと考えた切っ掛けはなんなのか。
超絶忙しい社長かを引き止めて、これまでの流れを聞くチャンスは今回なかった。
週末にそんな話も聞けることを期待して。
早々に森を後にした私は大丸家具で7年間続いている月曜コンサートに合流。
久しぶりに俊智さんと会って話したり、
伴奏を頼まれている譜面をいただいたり、初めてお会いする方なのに話が尽きなかったり、超絶美味しいぬか漬けを食べてお茶したり。
またもやはしゃぎすぎて超絶疲れてしまった。

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森の百年コンサート

佐久市の大丸家具さんが主催の「森の百年コンサート」に出演します。
予定していた22日は台風のため中止、来週29日に開催されることに。
出演者の変更に伴いましてワタクシ、坂口ユキ子ピンチヒッターでございます。

ブログを読みますと、森の中に社長さん自らステージを作り、今年で4回目となるそうです。
ムビラやカリンバで歌いたいが、そんな曲が準備してあるわけもなし。
無理せず、小さくて可愛いいGOPIANOで歌いまーす。
コンサートの入場料1000円です。
カレー屋さんやパン屋さんの出店があります。
森林浴にお越しくださいませ。

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台風と乾物

彼岸の朝の寒さ。
上着を羽織る。
秋の清々しさを通り越してしまった。
「このまま秋を終わらせてしまおうってわけじゃないよね、冬くん」
ふぅ・・・くだらないことを言ってる場合じゃない。

明日は台風で荒れるらしいから、今日はおそうじの会の準備を前倒しで始める。
今回は乾物をうまく使って献立を考える。
頭の遠いところでズキンズキンとしているのは低気圧頭痛なのか、
それとも寝不足なのか、
頭痛がそれほど酷くなっていない午前中は部屋の寒さ対策、おそうじの会の準備は午後から取り掛かるようにセッティングだ。

台風の季節は乾物の買い置きを多くする。
少し古くなった切り干し大根は色が濃くなってきて苦味が出てくる。
戻した水は捨てること、なんなら2回くらい水を取り替える。
他にもキクラゲや高野豆腐、お麩、はるさめ、干し椎茸や切り昆布エトセトラ。
キンピラやひじきの煮物はたっぷり煮ておくとサラダにしたり混ぜご飯にしたりと使い回しがきく。
乾物を使いこなせるようになるとチカラ強いのだ。

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いつでも今の自分がスタート

3ヶ月に一度の歯科定期検診。
今回ははじめて見てもらう衛生士さん。
衛生士さんは生活習慣について指導するのもお仕事なので、私の小さな虫歯を指摘しつつ、甘いものを控えること、時間を決めて食べることを指導してくださった。それはいつも私が心がけていることだったので心がチクっとした。

私の歯質は脆い。
私が育った時代、子どもの歯は抜け変わるからと歯磨き習慣が今ほど大切なものとされていなかった。いや、私が育った家庭の認識不足だった。
おかげで姉も私も小さい頃から歯医者さんのお世話になりっぱなし。
親は忙しいために、ひとりで通う痛い怖いの歯医者さんは苦痛で・・・
大人になっても歯の心配事は些細なことでもナーバスになってしまう。
いつも頭の隅に引っかかっている不安の種、歯。
虫歯になりやすいことがわかっているからこそ、家族の中で誰よりも歯磨きの回数は多く長くやっているのに、家族の中で誰よりも虫歯になる確率が高い。

学校から帰ってひとりでテレビを見ながらお菓子を食べる習慣を普通だと思っていた。お菓子はいつも手の届くところにあった。今さら良い悪いではなく、これまでの習慣が今の私を作り上げたのは事実。たくさん後悔してきた。もっとこうしておけばよかったと、どうにもならない堂々巡りをしてきた。
何度も、何度もこんな気持ちになった。
これ以上何をしろというのか。
どんどん膨れ上がる言いようのない不快感。
今日もその不快感の折り返し地点(マックス)まで来たときのこと。

あれ、ん?もしかして、これがよく聞くインナーチャイルドとかペインボディとかいうものなのかと思ったとたん、待ってましたーっ😭

シャキーン💥とさせるためにシャワー浴びて静かに子どもの頃の自分に戻っていく。

チクっとしたのは、歯医者さんへひとりで通う心細さ、痛み、それに耐えた勇気は理解されず、それどころか歯医者に任せっきりにされたと感じてしまっているペインボディ。いつでも何か、誰かに任せっぱなしで育てられてきたように感じてしまっているペインボディだ。
それは幼い私が感じていたことで、その時には言葉で伝えることはできなかった感情。この感情が言葉にできて本当によかった。
言葉にして「あっそうだったんだ」と思っただけでペインボディは消えて行って、今の自分がクリアに見えてきた。

私は虫歯治療の必要のない子ども時代を経て、大人になっていきたいと願っていたかもしれない。
でも今、私のカラダをしっかり見てみよう。
脆い歯質だ。
でも痛い歯はひとつもなく、硬いナッツも普通に食べられる。
飽き性の私がメンテナンスにも通い続け生活習慣も整えた。
いつでも今の自分がスタートだと思えばいい。
諦めることはない、どころかできることはたくさんある。

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ほうきで掃く

箒(ほうき)で掃く。
ささっと出して、何事もなかったような静けさで掃除を済ませる。
複雑で雑多な家事をシンプルにさせてくれる箒、うちではトイレ、脱衣場、玄関、勝手口、台所&居間、それぞれのところに置いてあって大活躍。

これを考えた人は神だな、と思ったら箒もやっぱり神さまだった。
帚神(ははきかみ)という出産と結びついた神さま。
妊婦のお腹を新しい箒でさすることで安産に、他にも玄関に箒を逆さまにに立てておくと長居をする客人を返すことができるおまじないにもなるとか。いつもきれいに整えておくことなどははもちろん、またいだり、踏みつけたりするのはいけません。

そろそろお彼岸。
暑さ寒さも彼岸までの言葉どおりに秋がやってきた。
彼岸過ぎたら稲刈り。
うちらは八百万の神さまの国なので、今では微生物になって私たちが生きながらえるるために尽くしてくださっているご先祖さまも神と思えば神さま。
そうしたらうちの先祖だけじゃなくて、どなたさまも神さまじゃないの?
お彼岸に「ここにも、あそこにも、神さまに囲まれてありがたや」と手を合わせるのはご法度なのか、やっぱり「ご先祖さまのおかげさま」と亡くなった故人の顔を思い浮かべて手を合わせるべきなのか、迷うところ。
はて、私のこの気持ち、これを信仰というのだろうか、宗教と呼ぶのだろうか。
信仰や宗教という言葉は明治以降にできた言葉で、それ以前にはなかった。
外国語を翻訳するときに仏教の経典から探し出してきたらしい。
以前、哲学者の内山節さんがそのように話していた。

これを、祈りと言っていいのかな。
宗教でも信仰でもなく、語彙力ないけど言葉にするなら「祈りという文化」。
世界は祈りであふれているというのに、それらを存続するための組織があるはずもなし、組織なければ会費があるはずもなし。どこにも帰属しないこの思い。
どこにも分類できないものの象徴は自然。だからここにも、あそこにも神さま。
——————————————-♪

祈り  坂口ユキ子

ここにも、あそこにも神さまに囲まれてありがたや。

ごはんを食べる。
家事をこなす。
仕事をする。

避けようもなく、避けることもなく連なっていくこの日。
それが暮らしという現象であるなら、
雑多なものばかりで埋め尽くすことのないように、
雑多な物事の隙間を一輪の花で繋ぐ。
祈りや、有り難さや、感謝で繋ぐ。

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ものづくり

今朝もチャパティを焼く。
きのう雑貨屋さんで見たサリィの刺し子も、このチャパティも同じインド。
長野でも刺し子、郷土食として薄焼き、ニラ焼きがあるのだから世界どこでも共通する食文化の源流ってあるんだろうな。

薄焼きは重曹を入れて焼くので少しふんわり。
チャパティはもっとシンプル、そのうえ手間なしなのがいいのだけれど、
一番のお気に入りは直火で焼くこと。
片面は鉄のフライパンで、もう片面は焼き網の上にひっくり返して焼く。
焦げ目がバッチリつくけれど、直火はDNAの中の何かが呼び起こされる。
月を見て狼になるみたいな?
いえ、そんな危険なヤツじゃなくて。
土着な、大陸から鉄がやってくる前の縄文期の「ありがたさ」という感じかも。思わず手を合わせたくなってしまう感じ、信仰の始まりみたいなもの。

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人と違う自分のことをとことん好きになる

髪をセシルカットにした。
毎日がサバサバしている。
小さなこと、例えば出かける前に気になるハネた毛先に「ダメ出し」をする自分とか、顔や首にかかる髪の収まりの悪さから解放された気分。

夕方にケンと近くの温泉に出かけた時、
祝日でごったがえす脱衣場でドライヤーの順番待ちが起きていても、
ささっと着替えて退場できる。
人の渦からも解放された気分。
夕食の時間帯を避けて、早めに出かけたのもよかった。
いつもなら、ケンに誘われても億劫になるのに、
今日はなんだかフットワークがいいぞ。
これもショートヘアーのお・か・げ・さ・ま✌️

私の髪は細くて少ないネコっ毛。
伸ばそうとしても肩あたりまでかな、切れて伸びてこない。
そうしているうちに上部がペッタンコになる。
パーマをかけたり、トリートメントを変えたりと、試していたのは30代半ばまでで、ヘナを始めてからは、そういったものからどんどん遠ざかった。

母も同じ髪質。
母は頻繁に美容院に行っていた。
時代は昭和、ふんわりと盛った髪型が流行の時だからなおさらのこと母も自分の髪質に対してコンプレックスを持っていたんだろうと察する。
コンプレックスも充分経験すると新しい発想が生まれてくるのは止められない。
「陰極まれば陽になり、陽極まれば陰になる」
流行や主流から外れて、人と違う自分のことをとことん好きになる。
ファッションも暮らしも、自由な発想で楽しむのをとことん自分に許す。

ケンも私も大好きなかぼちゃぷりん。
寒天パウダーと葛粉を使う。
甘みを控えて、フォークで荒く潰したかぼちゃは栗のようにホクホクになる。
もっと甘味が欲しい時はメープルを。

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無力を知ることは無力で終わらない

椿大神社を参拝の時に、いつも気になっている行満堂の存在。
月に一度の護摩焚きがされるお堂で、護摩焚きを私は見たことがない。
お堂が社の中でもひときわひっそりとした佇まいだなと感じるのは、
信長の焼き討ちにあったお寺の僧たちを供養するお堂であるからだと聞いていたからかもしれない。

神社の敷地にお寺があるところで有名なのは日光東照宮にある薬師堂。
他の神社でも姿形は仏教の象徴として鎮座してる大黒さま、弁財天さま、お稲荷さんはよくお目にかかる。
鳥居の先のご神名となると、大黒さまは大国主命、弁財天さまは宗像三女神など水の神さま、お稲荷さまはウカノミタマの神としてお祀りされていたりする。

椿大神社にある行満堂。
行満大明神は山伏の開祖、役行者の師であると言われている。
そして猿田彦さまのご子息だという話もあるらしい。
今では真実かどうか確かめようがないけれど、
猿田彦さまをお祀りする椿大神社で山伏の存在を意識せずにはいられない。
山伏は山で暮らす知恵を持った行者。
国土の9割が山であった日本列島を切り開いていくための道案内としての役目を果たした。それは猿田彦さまが登場する神話として残っている。

山伏たちが山を修行の場として生きる時、山は神になる。
自然の中で自然を敬い、自然を畏れ、自然と共に生きる知恵は山岳信仰として宗教と呼んでもいい、生き方とするならば哲学と言ってもいい、どちらにしても猿田彦さまは「道ひらきの神」として崇拝されている。
紀州熊野の山は熊が住めるほどの豊かな山で、熊が住めるということは自然の循環が整っている証しでもあることから「熊野」と名付けられた。その山で人が熊に襲われるという事件があった時、たくさんの熊が殺された。
山で暮らすということは、人間がいかに無力であるかを知ることだっただろうと想像する。
滝の禊ぎでまず最初に体験するのは恐怖という感情なのには理由があるのだと思う。
山伏が滝禊ぎをしたところを見たことはないけれど。

ポジティブ思考がもてはやされる現代には大自然の中で小さき無力の自分を知ることは無意味に思われるかも知れない。
大自然の中で無力な自分を知ることは、
出来ることも無限に発見することになる。

風にしなる枝のような柔軟さを。
無力を知ることは無力で終わらない。

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スサノオ

日差しを遮るためのタープも、そろそろ外していいのかも知れない。
いちばん好きな朝夕の庭の景色を見たいから。
ニセツユクサが庭で幅を利かせていた頃も、
黄色い外来種が庭一面に咲き乱れる頃も、
にぎやかな庭は華やか。

にぎやかだけど、一面の黄色に疲れ始めた頃、
回覧板で黄色い花が侵略的な外来種、つまり特定外来植物だと知って笑った。
どこか遠くからいきなり連れてこられたこの地で、生態系を変化させて馴染んで生きて、群れになっているんだからすごいのなんのって。
何年か前に科学ジャーナリストのフレッドピアス氏の「外来種は本当に悪者か?」という本が発売された。外来種が生態系を元気にしている場合もあるというのだけれど。

そんな見方もあることを知った上で、うちの庭には違和感があった。
これまで咲いていた花がどこかへ行ってしまったこと、消えてしまったこと。
成長が早く背も高い外来種に日光を遮ぎられた可能性が大きい。
とりあえず、黄色い花が終わるのを待って駆除した。
黄色い花は、今も少しだけれど庭の一部に花を咲かせている。
同じ仲間で混み合いながら風に揺れていた時よりも、悠々と咲いているように見える。高い背丈は小さな植物を守っているようにも見えて、まっいいかと、気にもしていない。夏も終わりというのに一番元気。

駆除の後、これまで増えなかった本物のツユクサがどんどん増えてきて、ネコジャラシも増えた。おかげでネコ大よろこび。

外来種は人間でいうなら渡来人といったところか。
古事記とはまた別の歴史観でスサノオをスサの国の王「スサノオ」と呼ぼう。
何万年も前、日本が「日本」と呼ばれるもっと前の時代に、これまた何万年もかけてシュメールから移動してきた民「スサノオ」は極東の国へたどり着く。
高度な技術を携えてやってきたであろうシュメールの民「スサノオ」と祖先たちは和合し、国土を整備し稲を育て植樹した。おかげで肥よくな山から流れる水で多様性生物の海になった。四季折々の風土は繊細で高度な文化を益々発展させていく・・・

スサノオは、やってきた時は渡来人、今では日本の神さま。
奇稲田姫を妻として、日本で初めての和歌を残している。
日本最古の和歌はスサノオの和歌。

「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」

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ケーキ屋さん

今も昔も、大きくなったら何になりたい?と子どもに聞くと女の子はケーキ屋さん!夏に帰省した娘の子どももケーキ屋さんと言っていた。

甘くて、きれいで、キラキラしたケーキ。
ドレスを着たお姫さまスイーツがガラスケースの中でスポットライトを浴びているのを見ると、そこは夢の世界。
私の夢はケーキ屋さんではなかったけれど、
お母さんがケーキを焼くという友だちはちょっぴり羨ましかった。

大人になって、キラキラしたケーキも散々好きなだけ食べてきた。
シンプルなケーキは家に持って帰るケーキ、手の込んだお店でひとつだけいただくケーキ、TPOに合わせて食べ尽くした。
どんなに食べても、その頃から今だってケーキは大好き。

今は近くのケーキ屋さんのシュークリームがお気に入り。
固めにしっかり焼いたシューの香ばしさは高温のガスオーブンで焼いたもので、
その場でたっぷりのカスタードクリームを詰めてくれるのが嬉しい。
クリームを詰めてくれる間に店内のかわいくラッピングされた焼き菓子を見て回る。バニラ味の空気を吸っているだけで、顔の筋肉が緩む。

昨日もいつも通りシュークリームを買って帰ろうとした時、
人手不足で定休日が増えることになると書かれた張り紙を見た。
そう言われて見れば、ショーケースの棚には空きスペースが多い。

女の子の夢はケーキ屋さん。
たくさんの女の子がケーキ屋さんになりたいという夢を持つけれど、
ケーキ屋さんはケーキのようには甘くないんだ。
もし、このケーキ屋さんが子どもの頃からの夢が叶ってパティシエになったとしたら、そんなことはとうの昔にわかってるんだろうな。
でも、すごいよ。
みんなを幸せにしちゃうんだから。
私の歌は、ひと声でみんなを幸せにはできないからね。

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