ダブのかけひき

蚊に刺されるとパンパンに腫れ上がるので、これからは蚊対策に気を使う。
それなのに、うちの居間の網戸がボロボロになっているのは猫のダブのせい。
ダブは外から帰ってくると、網戸に爪を引っ掛けてよじ登ことで「お家に入れてよ」と合図する。
ガリガリという音を聞くと、ケンは慌てて「あー、網戸がダメになっちゃうよ〜」と笑いながら窓を開けるものだからいつの間にか”ダブは家に入りたい時”にはこうすればいいと学習してしまった。
こんなネコになってしまったのは、ケンが甘やかしすぎるからなのだ!今からでもいいから厳しく叱ってしつけるべきだと蚊対策に細心の注意を払う私は抗議した。数えるほどだけど何度か叱ったと思う。
しかし、時すでに遅し。
叱った翌日から数日、ダブは帰ってこなくなった。
ケンは元気をなくしたが、私の心は平和だった。
程なくしてダブは帰ってきて、お約束どおりに網戸によじ登って合図をした。
ケンは嬉しそうに「ダブ〜、どこに行ってたんだよ〜」とか言いながら、ダブが潰れるかと思うほどギュッと抱きしめた。
すでにケンには叱るという選択はないようで、
これからが蚊の季節だというのに、網戸はボロボロだ。
張り替えが必要なのは承知しているが、野生動物用の強靭な網戸が欲しいと心から思う。

セントジョーンズワートの花
こぼれ種のバジル
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歩き疲れたので自分を甘やかす。私だけじゃない、すべて今に甘えていい。

限られた時間内で買い物をして、気がついたら早足で歩いていたんだな、
むちゃくちゃ疲れた。
ドトールコーヒーで豆乳ティーラテを一気飲み。

ここのところストレスが溜まりつつあって、
変化することは常でも、起きることは全てが魂の計画に基づいていると言われても、玄米を食べていても、マスターが”それはただ起きているだけだ”と語ったとしてもだ。ストレスフリーは続かない。
逆にストレスフリーが続いたら、今度は負荷がかかってくるのは当然だと知っておこう、そうだ。
太陽系の惑星が、美しい惑星図ような円形または楕円を描きながら公転しているんてウソなんだから。
ものすごいスピードで宇宙空間を駆け巡っているのだから。


365日、変化しない日はないし、生きている間の一瞬たりとも同じ状況はない。
自分の強い意思で人生をコントロールしているなんていう夢物語から早いうちに目を覚ました方がいい。
起きていることの原因を探そうとするのは自我の得意技だけど、
原因を突き詰めてもどうせジャッジするとわかっているのなら、
原因よりも宇宙の法則に心を委ねた方がいい。
瞑想や座禅は、宇宙空間を想像できないスピードで駆け巡っている地球号に乗っている私たちに心静かに立ち止まることを経験させてくれるけど、それでも完全に立ち止まっているわけではない。
体は静でも心は微動、振り子が真ん中を通り過ぎる一瞬を見つける。
それでも変化を感じない一瞬を続けていくことは不可能。
人生に、物事にドラマを作ることで脳はストレスを解放していく。

変化は起きて当然だと思えると心は静かになる。

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雨上がりを待って、かぼちゃと白エゴマの種まき

ちびちびかあさん、ここに何かいるとわかると飽きもせずずっと見張ってる。
気長にずっと。

長い間ほったらかしにしていた山の上にある畑。
ある年は機械で耕し、ある年はハーブを、
手間がなくてほったらかしにした年もあった。
夏野菜の苗は野生動物に食い荒らされて全滅。

春には草を刈るので、
その時の状況で「オトナの庭遊び場」になる。
ほったらかしの年でも、梅と桑と柿とブルーベリーの木には実がつく。
野生のキクイモは毎年「いただくだけ」の手間なし食材で、
食糧難になった時の非常食。
草の間にはイチゴがランナーを伸ばしているし、
ハッカも広がりを見せているし、
5,6種類のハーブも大きな株になって新芽を出している。
毎日、パソコンに向かって仕事をしているケンは、
電磁波をアースする場として土いじり。
作物が出来るかどうかよりも、オンオフのスイッチを切り替える意味でもケンには土いじりをやってもらいたいと思っている。
オトナの庭遊び場というより「オトンの庭遊び場」

地を這うかぼちゃは広い場所が必要。
夏野菜の中には交配する野菜もあるので、単独で高地に蒔いた。
他にも白エゴマはシソ科と交配するし、上の山の野生動物の食害もないそうだから蒔くことにした。
もしもの場合に備えて家でもポットに苗作りをしてみようと思う。



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時間を巻き戻すとしたらこんな日常がいいと思うような1日。

ダブちゃんがテーブルに寝そべるのはいつも理由があって、
カリカリゴハンがない時、外に行きたい時、見下ろされるのが嫌な時。
今日は見下ろされるのが嫌らしい。
shoさんはダブちゃんの教育係で、
どんなに可愛らしく「にゃ〜ん」とないても、「ダメなものはダメ」と厳しい。
kenさんは可愛い子には弱いので、
「ダメじゃないです〜」とか、
「ほら、ユッコに怒られるよ」とか、
ダブちゃんに嫌われたくない感ハンパない。
私は気分屋。
状況が許す時もあるけど、4割くらいは許せないパターン。
こんな感じなので、ダブもどうしたらいいかわかっていない。

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特別じゃない日の特別。

5月は端午の節句に母の日、ハレの日とケの日を意識せざるをえない5月もそろそろ終わり。二十四節気は小満すぎてそろそろ梅雨にかかる。
普通は6月1日が衣替えというのに、昨日の暑さでは1日まで待てない。
夏物のケースから引っ張り出して着替えた。
体が気だるいのは多分、気枯れ。
私には6月末の夏越の祓いは大晦日と同じくらい大切になりつつある。

日中は気温がグーンと上がって、朝夕はひんやりする。
果物や冷たいもので体を冷やしたその日の夕方になって、
柔軟性をなくした思考が攻撃モードに入ったり、
別パターンも至るところで起きて、
一歩外に出たら不快のオーラを帯びた人がわんさかいる。
危険回避のためにも、特別じゃない日の特別を企画しよう。
自分の目に映るもの、触るもの、関わるものすべてに「ありがとう」と言ってみる。スペシャルでなくていい。
自分の現実に現れているすべてに感謝する。

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オトナの庭遊び事情2019。そこで咲きたいのなら思いっきり咲いてごらん。

春、まだ芽吹きの季節には理想の庭をイメージできるし、イメージ図に向かって計画を立るのも容易にできる。
いつのときも初心者というものは怖いもの知らずなんだ。
プロはコントロールの妙技を知っているから、
素人の妄想が徒労に終わることを知っていて、素晴らしいアドヴァイスを授けてくれる。
昨年、ハーバルノートに行った時に萩尾さんがくれたアドヴァイスは今年の私には理解できる。
コントロールするのではなく、庭に咲く植物を生かすこと。
2019年、オトナの庭遊びは共存の庭へと変化する。
いいの、どんな花が咲いていても。
そこで咲きたいのなら咲いてごらん。
なーんて、偉そうに言ってみても、所詮は敗北を認めたってわけよ。
あんたたちの勝ち。
私はほんの少しお手伝いさせてもらうね、下僕として(笑)

2019.5.25待ちに待ったデイビッドのお出まし♪


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稲苗を受け取りに行く朝。田圃の水面に風が走り空映る。幕開けの兆し。

早朝に稲苗を受け取りに行くと、まだ朝早いのに農村では仕事が始まっていた。
季節も待ってくれないけど、
日差しも待ってくれないから、涼しいうちの農作業。
私も真似して早起き日課が始まる。

静かな田んぼにちょこんと、小さな稲が植わると草との戦いが始まる。
稲が小さいうちはこまめに対峙しないと、勢いづくと大変なことになる。
畑作業も汗だくになって、蚊に悩まされながら、時にため息をつきながら駆け巡る夏の暮らしの幕開け。
静かな水面に夏の訪れを予感したら、
昔、夏になるとよく聞いたBig mountainの「Baby I Love Your Way」が聴こえてきて、夏の農作業にはレゲエが似合うなあと思った次第。

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今週は田植えの喜び。穀物第一主義は感謝から。

米を作り玄米を食べる。
マクロビオティックの一物全体食は食べる側の約束事だけど、米が収穫できるまでに人間ができることはほんの少し。
代掻きしたり、水の管理をしたり、雑草の世話も大変なことだけど、
一粒万倍のお米には大変さの何倍もの恵みが返ってくるのだから。
太陽の恵みと水の恵み、平等に引かれた水路の手入れは分かち合いの精神がなければ途絶えてしまっていただろう。
流れてくる山の水源には神社が祀られていて、人知を超えた神の領域がある。
「驕るなよ、貪るなよ、無限に生み出す地球の循環の豊かさに感謝せよ」という祖先のメッセージが聞こえてくる。

地球という星には無限に生み出すチカラがあるのに、
足らないと感じるのはどこかでストックしてる人がいるのも事実だけど、
本当は固執して目を奪われているから見えてないだけ。
それに・・・誰かのせいで自分が幸せでないと決めた方が都合がいいってこともあるでしょ。
お米=食べ物は間違いじゃないけど、食べ物はお金で買うことができれば好きなものでいいことになるし、今の時代はオーガニックにこだわるのも悪くはない。
私にとって穀物はイコール食べ物だけではないみたい。
玄米にできること。
玄米にできることはなんでもやってみたいと思っちゃうから。
生活に関わることを玄米を使って決して無駄にしない決意とともに探る。

マクロビオティックの玄米主義は感謝から始まるんだな。
5号食を2週間続けた時、心に発露する穏やかで柔らかい気持ちは感謝だった。
感謝が気持ちよりも行動になって現れてくる。
「いただきます」と手を合わせた時の手の温度の感じ方、少し骨ばってきた指関節の愛おしさも。
人はいつも何かが足らないと感じていて、
それが手に入ったら幸せになると勘違いしているけれど、
幸せは自分が決めていい。
病気でも幸せな人はいるし、健康でも不幸せの人もいる。
無限に生み出すチカラのある地球に生まれて、
幸せでないのは、自分が不幸せと決めているから。



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それはもうシンデレラストーリーのようで、宝塚のエンディングのようで。

昨日の雨で定植日和。買ってきた苗を定植していく。
ズッキーニ、ゴーヤ、サトイモ、ピーマン、セロリ。
畑のあちらこちらに昨年のこぼれ豆が芽を出して、
これこそ「いただくだけ」の自然農の精神、自然に感謝。
雨が降れば土の庭はぬかってしまうし、
うちの庭も高低の庭で雨が降れば土は下方へと流れてしまう。
歩くところに置石をして、間に根を張る草を植えた。
雪が降れば長靴で歩くところも、これからの季節は一斉に草花が咲く。
コンクリートで固めてしまうのは絶対に嫌。
だって土でさえあれば、その場所は生産の場となる。
生き物が働き場所を見つけて、多様性の生物がそれぞれの仕事をする、素敵。

4月に種まき用ポットに蒔いた野菜種は芽を出さず、そのままになっていたのがもったいなくて、地温が25度を過ぎた頃に残っていたハーブの種を蒔いた。
ところが、失敗と思っていた4月に蒔いた野菜種がハーブの小さな芽の間からニョキニョキと芽を出してびっくり。
生きてたんだ!
お待たせーっ!とピースした双葉になって歌姫みたいに現れた。
それはもうシンデレラストーリーのように、宝塚のエンディングのように派手な登場だった、唖然。

信じられることが増えるって幸せなこと。


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雨降りの好き。ジョンメイヤーのDaughters、フィラメント、、窓辺のサプリ、霧が出てきて午後は晴れ模様

雨降り好き。
曇り空に似合うアイテムはたくさんある。
本も紅茶も、パンを焼くのも、雨降りのアイテム。
晴れの日のアイテムの倍以上あって、何しようかと迷うけど、どれも優しさを帯びていて「私の雨の日の好き」という言葉も、間に挟まった「の」が記号のよう。「私@雨@日@好」に変換するのも好き。


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