とうもろこし畑の雑草「コーンサラダ」の種まき

雨が近い。
オミナエシ科の一年草でマーシュとも呼ばれる「コーンサラダ」の種を蒔く。
冬のレタスと呼ばれているそうだから、なんとなくあっさりとアクのない雑草かなと思う。
とうもろこし畑の雑草だったことが「コーンサラダ」の由来。
米粒ほどの小さな種を土に下ろす時、
自分が命の発露に関わっていることが嬉しくなる。
種まきはいつの時もそうだ。
種まく喜びだけが浮かび上がる。
命の発露に人が関わることは限られていて、
自分にできる数少ない中でも、
自然が静かにやっていることを邪魔しないことが私のやるべきこと。
これがいちばん難しいことなんだけどね。

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ここで生きると決めればいい

朝が早くやってくる。目が覚めて新しい今日が始まるのを心待ちにしてしてたのよ!と布団から飛び起きて顔を洗う。



わくわくするアレンジに挑戦したエレピ三昧の日々は週末のイベントで幕を閉じた。練習に練習を重ねて挑戦したアレンジは無残にも砕かれて傷心。突然すぎて、びっくりしすぎて、悲しすぎてMCは意味不明。
再度挑戦という気持ちにもなれず朝がきた。
庭の水仙が沢山咲いているのを畑の方から見たら、心がすーっと晴れてきて、
「私は挑戦したのよね、それでいいじゃない」と思えるようになった。

”変化していくこと”だけが唯一、変化しない宇宙の法則。
年老いた叔父叔母が住み慣れた町を離れて娘のところへ行ったこと、自分もすでに孫がいること、親しい人の死、物忘れなど年々変わっていく自分と自分を取り巻く世界を受け入れて生きられるようになるまで人はもがく。
私の挑戦はもがいている自分だったのかもしれない。
満月から新月に向かう時に、満月の挑戦はひとつの区切りだった。

今日は冷蔵庫で眠っているハーブの種をすべて撒いてしまおう。
友人の吉祥美玲恵さんから教えてもらった魔法の呪文を唱えながら。
「芽が出なくてもいいけど、出てくれたら嬉しいな、楽しいな、あー幸せ」




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2019アースデイに寄せて2

アースデイの会場で。
ブースの出展における業種も、ここ数年で変化してきている。
数年前は軽食、パン屋さんが多くて、1店舗2個づつ買い歩いたらあっという間にトートバックがいっぱいになった。そのほとんどが天然酵母パン。
健康ブームの最中に健康志向の強い来場者は多かったと思う。
そういう私もマクロビオティックを始めた頃に「坂口さん家のおやつ」という屋号で友達に手伝ってもらって出店したことがある。
良い素材を使ったお菓子はイラストレーターの友人に作ってもらったパッケージをまとい飛ぶように売れた。
そのあとも、地元のイベントで2回ほど出店した。

さておき、今年は時間配分がうまくいかず会場をぐるりと回った。
アースデイの当初から出店している「天池窯」はアースデイの老舗と言っていい。小諸市の陶工家の岡本さんの「天池窯」の陶器はデザインがずっと変わらないものが置いてあって、割れてしまって不揃いになった湯飲みは、この佐久アースデイで買い足すことができる。暮らしを根本から考える岡本さんの哲学に触れると、陶器たちはどんな時でも暮らしに寄り添い、人生に寄り添いながら割れ壊れることすらも美しいと思わせてくれる愛おしさがある。

日本でもAIの研究が大急ぎでなされている昨今、会場は手作りの雑貨、服など、人の手が作り出したものが並んでいる。
名古屋に近い町で商売を営んでいた家で育った私は商人気質をよく知っている。
その私から見ても商人らしからぬ出店者が多いのがアースデイの特徴で、だからちょっと覗いて手にとって見ても押し付けられたりすることはほぼない。
ゆっくり安心して見て、触ってみることができる。
素材にこだわった食品は原価が高い分、割高かもしれない。
それでも出店者に大きな利益はないことを知っておこう。
なぜ、販売するに至ったかを聞いてみると多くの場合、共感する。
自身が、もしくは家族がアレルギー体質だったとか、有機農家さんだったり、奇跡のような出来事があってこれまでの人生を変えたとか。アースデイの出店にいたるまでのドラマの「なぜ?」に耳を傾けるとブースの地図に書き込んでおきたいほどのリアリティを帯びてくる。
そしてファッションが半端なく素敵!
おしゃれで個性に富んでいるのを見て、「それはなんですか?」と臆することなく平気で聞く(笑)多くの場合、生き方はチョイスするものに反映されているから→すぐに友達
90店舗以上のブース全部を聞いて回ることは不可能だけど、ファッションは見る価値あり。若い人たちも、年を重ねても本当にみんなおしゃれ!

世界を変えていくのは消費者だと思っている。
企業でもなく、政治家でもない。
「そんなチカラなどない」と思い込まされている消費者が世界を変えていく。
大きなプラカードを掲げなくても、大声をあげることなく、静かに明日食べるもの、生活に必要なものを選ぶときの基準を「地球にとって良いもの」へと変えていくことを、ただ続けていく。
毎瞬続けている小さな選択は、小さな気づきとなったり小さな変化となったりを繰り返して、やっと心がざわざわして、心地悪さを感じて終了。
第一段階が終了して、慣れ親しんだ暮らしに戻り小休止。
食べるものや暮らしを変えていくというのは簡単ではないのだ。
これまで何の疑いもなく美味しいと感じて食べてきたものを「今日から健康にため玄米にします」と宣言して、体や心は従うでしょうか。それはエゴの独裁。

小休止の間にも、小さな選択の繰り返しで出来上がった脳内のシナプスは、事あるごとに目の前の選択を迫られるたびに選択肢として浮かび上がってくる。
焦って、「何がいちばんいいのか?」と誰かに問いて答えをもらえば失敗もなく、最短でたどり着きたい境地に赴くのでしょうが、いちばんいいものにこだわることは最終的な目的地にはならないと思うから。
その時の自分にとって最適なものは自分にしかわからない。
それは旅のようなもの。
旅はその途中で目の前の小さな選択を続けていく。
目的地に着いた時、小さな選択を続けてきた経験が「あなた自身のもの」となっている。目的地は誰もみな同じところ、地球以外にない。

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2019アースデイに寄せて

今年も4月といえば「アースデイ」
90以上のブースが並ぶ会場は大きな市場のようで、絶え間なく、入れ替わりながら10時から15時まで様々な催しは続く。
サブニュマのアフリカンドラムが響いた後に、和太鼓が掛け声と共に響き渡る頃、会場は熱気に包まれる。ランニングシャツの若者、腕をめくり上げたり、上着を腰に巻いたりして熱い1日はエンディングに近づいていく。
汗が引いて、ブースでも「売り切れ」の看板が掲げられる頃、アースデイin佐久の音楽チーム「アースデイバンド」のステージが始まる。私も数曲歌い、エンディング曲は「幸せの種を蒔こう」の大合唱。
自身の歌そのものよりも、久々の再会は年々私のアースデイのテーマになっていて、最後の歌を歌いたいがためにアースデイは続けているようなもの。
太陽光で発電した電気を使った音響でエレピを鳴らし、マイクを通して歌う。
そのシステムは震災以降、電気について考えるきっかけになった。

ター坊のギターに合わせてリズムを刻みながら教子さんが歌う姿は本当に素敵で、素敵としか言いようがないのだ。love and peaceがこれほど似合う人はいない。息のあったサウンドとメッセージはアースデイの中心、求心力となる。
ひとたび音楽が始まると、道行く人は立ち止まるし、手を止めて聴き入る。ブースを離れて、設置されたステージ前に立って聴く人もいる。
私も、その求心力に惹きつけられたひとり。

至くんはアースデイin佐久の実行委員長で、民族楽器を脇に抱えてベンガル語で歌う。ギターで歌う「バビロン」は私も友人たちも大好きな歌。ババババビロン♪というバビロンのバの羅列は一度聴いたら一日中リフレイン、これを聴かなきゃアースデイじゃないっつーの。
アースデイの他にも「旅人の祭り」を主催していて、至くんを中心にして広がり続ける友達の輪はどこまでも広がり続けている。
さらに至くんは太陽光発電の装置のプロフェッショナルで、アースデイ会場の電気は至工務店(至くんは大工さん)の自前の装置でまかなっている。

オギタカさんは音楽家でシンガーソングライター、長きに渡る音楽仲間。「音あそびの会」は大人も子どもも楽しめるワークショップで、近年はひっきりなしに声がかかって県外でも広がり続けている。昔は一緒にライブをしたこともあったけれど、今はいちファンとしていろんなところで耳にする活動を影ながら応援している。久しぶりに会ったけれど、フレンドリーな人柄はどこでも愛されていて、ファンも多い。5月の震災復興応援イベント「さくらさくライブ」でも彼の人柄が求心力になって集まる人たちが大勢いる。彼の作品はどれもこれも素晴らしくて・・・プロの音楽家の作品に私が素晴らしいというのも変ですが、本当にいい歌がいっぱいあるから、聴いてほしい。会場を大きなウェーブで巻き込む彼のコールアンドレスポンスは圧巻で、それが考えて作られたものではなく、その場で自然に湧き上がってくるもの、だからいつも新鮮。ジャンベを叩きながら!

サブニュマはアフリカンダンスとアフリカンドラムのたけちゃん率いるチーム。
アースデイの会場に踏み入れる前、駐車場から響き渡っているアフリカンドラムに合わせて会場に着く。、
アースデイといえば「サブニュマ」で、芝生公園の人だかりの真ん中には、そうチームサブニュマ。大きな音と大きく体を動かすダンスの中心には繊細な心があって、心の解放ができずに大人になってしまった大人、私のような。そういう大人にも無理強いせず、ただ大きな音で「ここにいるよ」。たけちゃん率いるチームサブニュマの広く開かれた入り口の前で、私は自分の入り口の狭さを知ることになる。

私は坂口ユキコ、シンガーソングライター。
器用ではないし、フレンドリーでもないからシンガーソングライターという自己完結型の表現は最も無理のないスタイルだと思っている。
音楽制作にストレスフリーはありえないと考えているので、多少の無理(挑戦)は続けてきたし、これからも続けていく。
自分と対照的なアーティストと出会う機会は、自分の個性をきちんと整理することができる機会となる。
地球を意識する祭典で、多様性がひしめき合う会場で、自分自身と出会うこと。たったそれだけの、それだけがアースデイの姿なのかも知れない。


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4月おそうじの会

春の食材を使って軽い調理法。
水をくぐらせた切り干し大根をさっとから炒りするだけで、ぐんと甘さが引き出されます。
千切りの春キャベツも同じお鍋でさっと蒸したら蒸し野菜のようです。
今回は柑橘類を使って酸味をプラス。
オレンジジュースに漬け込んだ厚揚げをグリルしたり、春にんじんをレモンのドレシッシングで和えたり、やっぱり酸味が美味しく感じます。
体は味覚という手段を使って春から夏へと移り変わっていきます。
体の声とも言える味覚ですが、味覚だけを信じて好きなものばかりにならないように、レンコンのキンピラもお皿に添えました。
常備菜としてのキンピラは主役にはなれませんが、少しだけ添えられたキンピラは「養生しなさいよ」というメッセージ。特に酸味が美味しくて、サラダが美味しく感じる季節には保存の意味でもしょっぱめに味付けしたキンピラは原点回帰の味。玄米は噛めば噛むほど甘いのでしょっぱめの常備菜はよく合います。
逆に砂糖など甘さが強い副菜と組み合わせると、玄米の甘さを感じるまで噛み続けることができません。
春のふんわりした空気感はやさしい味付けが似合います。

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2019.4月の庭はいよいよ春で命の第2楽章が始まった

春の暦になって地温が少しだけ温まって、暗い夜明けに私は布団から出られないというのに植物たちはすでに目覚めてた。
雪の少ない、雨の少ない冬を生き延びた草の中でも大きく育った目に付きやすい草に限って真っ先に抜かれるのは私たち人間も同じなのね。
ハーブの息づかいがあるかどうか、でも聞こえてきそうな畑。
香りよりも、今は存在そのもの、といった感じ。





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私が「私の人生」と呼んでいるものの正体

世界地図が欲しくなった。
戦争が続いて不確かになった国境線を、今を見てみよう。
アルバム榛hashibamiの中の「楽園」の最初のテーマは「蝶になって」だ。
蝶になってどうする?

♫内なるサナギが殻を破り始め羽を広げてゆく
内なるサナギが殻を破って花園に変えてゆく隣町まで、世界の果てまで、きっと夢の果てまでも

そう、夢の果てにある楽園だ。

夢は人の数だけ溢れていて、夢に向かってそれぞれの「私の人生」が編まれていくのを見てきた。ある人は叶い、ある人は夢に敗れ、それを「私の人生」と呼ぶ。
そもそも実体がないから変化して、変化するから物質化できてる私たちが当たり前に信じている「私の人生」ってなんだろう。
夢を描くことは子どもの頃の私にとっては大切なことだったはず。
でも大人になった私は夢の果てにある楽園に羽ばたきたいと思っているようだ。

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おひとりさまの二日間に食べたもの

夫の予定が立て込んだ2日間、ひとりでごはんを食べた。
いつもなら献立は夫の好きなものになるんだけど、一人分のごはんは久々なのでちょっとわくわくしながら「何食べたい?」と自分に聞きながら作る。
これまで、おうちごはんで「何食べたい?」って自分に聞いたことがないことに気づいた。

朝は冷凍室で出番を待って眠っていた白玉粉で作ったとろけるチーズ風をパンにのせてトースターで焼いたものにクレソンを手でちぎってのせる。ヘンプオイルをかけて食す。豆乳ヨーグルト+煮リンゴ+プルーン、紅茶。
お昼は、クレソンに煎ったクルミとオリーブオイルをかけて、セロリ入りチャーハン、お味噌汁。
夜は高野豆腐の漬け込みマリネとワインの炭酸割り、クレソンとブラウンマッシュルームのサラダ。キッチンで動画を見ながら作りながら、食すという行儀の悪さ。開放感ハンパない。
真面目すぎるのよ、わたし。



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季節外れの雪、目的のない時間のフェルマータ

4月の雪はこれまでにもあったけれど、今朝の雪は心とリンクする。
今年は雪が少ない年で、水不足を心配する声がちらほら耳に入ってきた。
うちも田んぼや畑があって、作物を育て保存し食す暮らしなので水不足は大変な心配事。
嫁ぐまでは田畑の経験が全くなかったので”買えばいい”という発想は長いこと抜け切らなかった。
慣れ親しんだ価値観で生きると、環境に抗うことになるのだ。
環境に抵抗すると、慣れ親しんだ物事に満足していいはずなのに、そこに費やすエネルギー消費が大きくて満足しているのかしていないのかわからなくなった。
私の生命はいつの間にやら環境に合わせて生きることが普通になってしまったんだなぁ。
がらがらと・・・いや、ひらりひらりと剥がれていく自分に恐怖を感じながら。
そんなことをぽつり、思った。

乾燥はオンナの敵よ!
数日は火事が続いて消防車のサイレンを聞かない日はないくらい。
この雪の湿り気で少しは潤うかなと、心がラクチン。
その反面、ツバメはびっくりしてるんだろうなと思う。
暦は清明を過ぎて北半球は春から夏に向かうというのに、ここで小休止。
フェルマータか、pouseか、どちらにしても休符をほどよく伸ばす。
目的のない時間のフェルマータ。




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