つがいの鳥

桐の木にツガイでやってくる鳥。
ぷくぷくしてカワイイ。

ヒソップの花には蝶が集まってくる。
存在感のあるスターオブデイビットという名のオクラ。
タネになるまで待とう。
はじけ始めた庭のオーガニッククルミ。
虫もつくし収穫も少ないけれど大事な木ノ実
グミの木
この季節はナツメといいグミといい赤い実ばかり。
鳥たちに見つけてもらわなきゃいけないものね。
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秋の暦

太陽黄経135度、立秋。
秋の暦に入って、今朝はなんて涼しい朝なんだ。
夏真っ盛りに秋の気配を感じられることは滅多にない。
意識していると雲や、朝夕の気温に気づくことがあっても立秋ではなかなかお目にかかれない秋の気配。
4時に起きて、立秋の瞬間に空を眺めてみた。
獅子座の太陽。

獅子座の威厳ある王のような太陽の姿は、
今この時、このタイミングで自分を王として生きるように告げる。
内側の自己の確立と、基本的立ち位置。
全ての選択権を握っている自己が本来の姿であるなら、
今がどんなに苦しくても選んだのは自分だと素直に受け入れよう。
いやなら選び直せばいい。
何度でも。



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半夏生

夏至から数えて11日目から6日間。
今年は7/2、今日から6日間。
この半夏生、そう呼ばれる説がいくつかある。
一説には半夏(はんげ)と呼ばれるカラスビャクの花が咲く頃を指す季節を表している。
もう一説は7月のはじめに葉っぱの表面だけがおしろいをつけたように白くなる「半化粧」という植物が花を咲かせることから。

どちらにしても季節を間違えない自然の在り方を目印にして、
自然と共に生きてきた人たちが名付けた日本の雑節。
誰だって好きで自然から離れたわけじゃない。
自然から切り離されて生きるしかない時代を強いられてきた。
そこには個人の意思だけではどうにもならない大きな流れがある。
抵抗して生きた個人がいても、
大きな流れにはかなわない。

でも残ってる。
たくさん、たくさん残ってる。

半夏生を過ぎて田植えをしても米は実らないということも、
穀物を悪者扱いするところで生きてる人にはどうでもいいのかもしれない。
田植えの後、
半夏生は農作業が休みになるから、
夏休みを待ち遠しい子どものように厳しい作業から解放されたのかもしれない。
私なら「半分夏休み気分で生きる期間」で半夏生。

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夏至

日本では昼間の時間が1年でいちばん長くなる日、陽性の極み。
夜が短くなる。
夏至がすぎれば小暑、大書と続く。
梅雨と言えど夏に突入していのだと、心に留めておこう。
長野の6月は、朝夕に羽織るものが欲しい。
夕方には温かい飲み物が欲しくなる。

kenは2日間続けて田んぼの早朝草取りに出かけた。
kenのぎっくり腰の始まりは田んぼの草取り作業。
あれから2度ほど繰り返した。
1度目は夏至ライブ当日だった。
2度目はお寺でライブの当日だった。
どちらも音響を担当していたken。
本人ははさぞかし痛かっただろうけれど、
関係者は優しく対応してくれて、おかげで私も救われた。
この先に幾度夏至を迎えたとしても、
夏至といえばこの日のことを一番先に思い出すと思う。
私のターニングポイントになっているのは間違いないから。

今日はおそうじの会の準備に取り掛かっている。
それでも振り返った時に思い出せるように、
普段通りでないことをやっておきたい。
写真家の中川隆さんの「カフラー王のピラミッド」と「イランのルート砂漠」のポストカードを飾った。


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自然農の畑、声も無駄にしない

午後7時、薄暗くなるまで畑で野良仕事をするうちの人たち。
日が長くなってきて、日中の温度も上がり始めると、
日中よりも早朝や夕暮れ時からのほうが動けるというもの。
特に梅雨の時期には少しの晴れ間でも無駄にしない。

少しだけのつもりで出かけても、
一旦畑に出ると時間を忘れて没頭、気がつけば暗闇がすぐそこまで来ている。
私の畑は家の裏側で、お隣の敷地との境は塀があるわけではなく風通しがいい。
昔々は道なき道があって、行き来があったという話も聞いたことがある。
挨拶しようと思えばできる見えない壁。
しかしうちもお隣さんも家の裏側なので超プライベートな空間にはちがいない。
「見えない壁がある」と決めて黙々と野良仕事をする。
ところがミミズやクモやアリや幼虫とは「おはよーさん」と挨拶しちゃう。
挨拶どころじゃない、人生について相談もするし、冗談も言う。
マスクをつけて囁くように話す。
若かりし頃、癒しの声、天使の声と言われた自分の声も、
今では自然界の動植物たちに歌い話しかけているんだと思うと笑えてくる。
自然農の畑で私の声も無駄にしない。

明日の雨を信じて、
コーンマーシュ、マスタードブラック、ロケット、セルフィーユ、芽キャベツの種をまく。

2年前の黒ほおずきの種も紙ポットで育ててみることにした。
以前に直植えをした時にも、明日の雨を信じて蒔いた。
しかし雨は雨でも豪雨で、浅めに蒔いた種は流された。
もしくは草にやられて芽を出さなかった黒ほおずき。
いったいどんな芽を出すのか見てみたい。
ブラックマロウも今年ようやく花を咲かせた。

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1時間の哲学畑講義

自分で作った野菜でマクロビオティック料理を作れたらいいですね、と言われるけれど、
私にそんな思いは全くない。
いえいえ、私でも作れるならばあなたにも作れますから作ってくださいね、というスタンスなのだ。
そうでなければ、真面目に作物を作っている農家さんから正当な料金をお支払いして購入してくださいと。

ぐうたら農業でも野菜はできるだろうと思う。
ただ、美味しいかどうかは別の話。
農業に携わる友だちに会った時、自然農で野菜を作ることをどう思うか聞いてみた。
彼女は自然農も学び、農業学校でも学び、そして自分の畑で多種類の野菜を作っている。
私がマクロビオティックを学んでいる時に、すでに作物を作っていた。
彼女の話はストンと腑に落ちた。
それは自然農は哲学だと、美味しいかどうかは別。
甘くて美味しい野菜を作るためには有機肥料が必要になる。

私は哲学畑、自然農の畑を作りたい。
朝1時間の野良仕事はほとんどが草刈りなんだけど、小さな気づきに出会う。
草刈り鎌で草を刈っていると草の根の張り方や種のつけ方など、調和のとれた世界に一つのうちの畑がある。
草を敵にしなければ学びがあるって、こんなシンプルなことを目の前の畑が見せてくれている。
陰陽の魔法のメガネを使って見渡せば、マクロビオティックの学校に通っているようなもの。
陰陽の理解が、畑で一層深まっていく。

欲張りな私は美味しい野菜も作りたいのだ。
循環農法で堆肥作りもしよう。

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アツササムサモヒガンマデ

「暑さ寒さも彼岸まで」日本の慣用句

春の彼岸を「春彼岸」、秋の彼岸を「のちの彼岸」または「秋彼岸」といい、どちらもお墓まいりの習わしがある。
どちらも太陽は真東から昇って、真西に沈む。
中日と呼ばれる秋分の日から、日は短くなり秋の気配が色濃くなる。
春分の日はまた、その日を境に春の気配が色濃くなっていく。

昼と夜の長さがほぼ同じになる日、あの世とこの世が最も近くなる日としてご先祖様を偲びお墓まいりをする。

マクロビオティックを始めて、様々な人生の不思議さを感じているけれども、今年は「私とは何か」というようなことをずっと考えてきた。
ロボット工学博士が解く脳の仕組みにまでアンテナを張り巡らし、ぐるっと一周してもどってきたところはいまここ。
笑っちゃうくらいちかいところ。
どういうわけか神社、お寺さんにご縁をいただいたことで、
宇宙的宗教観というものに触れることができたのは大きなギフト。
「私とは何か」という出発点が違えば現れる世界、リアリティは違ったものになるのだから、マクロビオティックの「私は食べたもので出来ている」という出発点はモノの世界から無の世界への始まりとしてはナイスチョイス。
いきなり「私はいない」から始まると、自分に起きること、それによって感じている自分もいないということにしてしまう。
すべてから目を閉ざし、自分を閉ざし、穴蔵で修行みたいな。
それは勘弁。
それはスピリチュアルという逃げ道を作ってしまうだけで、人生とは言えず。
結局のところ、人生はコントロールできない。
脳はコントロールしていると思いたいみたいだけど、できないんだよ。

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雑節「社日」

秋分の日に最も近い「戊(つちのえ)の日」を「社日」、「秋社」とも呼ぶ

雑節とは日本の風土から根付いたもの。

二十四節気、七十二候は大陸からやってきたものなので日本の季節とずれているのに対して、雑節は日本の季節にあっている暦。

耳慣れない風習ですが、古くからある信仰とも密接に関係しているために今も伝わっている。

社日は年2回。春は種まき、秋は収穫。
戊は土を意味することから、土の神さま、または産土の神さまをお祭りする日とされている。春は春分の日に最も近い「戊(つちのえ)の日」

台風の風の音でうちのネコたちはみんな寝不足。
台風去って爆睡。
心の花美術館で始まった岡野里香展「みんなのおはか」、ライブの打ち合わせも兼ねて尋ねてみた。
ムビラを持って部屋鳴りとか、場所確認もしつつ。
今回のライブで挑戦したかった小さなキーボードでの演奏。
私の使う音色は2つだけでも、このキーボちゃんはいろんなことができるスグレモノなので、ピアノの代わりに使われるだけじゃ物足りない(らしい。)
「あなたの才能の素晴らしさはもうわかったから」と言っても、
勝手に自動演奏し始めるは、繋いだペダルが気に入らないとスネるは、ボイコット続きで・・・
「あたしがかたまるわっ!」とブチギレました。

繋いだ機材との相性の問題なのか、かたまってしまう件についてネットで調べたり説明書読んだり、アレコレ思案してみるも、ライブも近くなってきていよいよ焦る。どうにもならなければ、いつものピアノかと久しぶりに弾いてみたら、素直ないい子。重くなければほんとにいい子。

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雑節「二百二十日」

9月11日は雑節「二百二十日」

立春から220日目、雑節「二百二十日」、立春から210日目は「二百十日」と、もうひとつ「八朔」の3つを「農家の三大厄日」という。

9月に立て続けての雑節3つ。

収穫の時期が差し迫る頃、台風も発生することを用心しています。

せっかくの作物が雨や風で被害を受けることも過去にはあったでしょう。

かといって自然の猛威に対して為すすべはありません。

風除けの祭りが各地で行われます。

 

初夏に母の庭から間引いてもらってきた朝顔。

いろんな種類が混じっているので鮮やか。

夏も終わりというのに、もう枯れた花もあるというのに、

はじめて見る新参の朝顔が咲き始めた。

全面の花が枯れたころを見計らったとしか言いようのない咲き方で。

母の庭からやってきたのは、朝顔とふうせんかずら。

ふうせんかずらも、風船をちりばめたつるを上へ上へとはわせています。

小さな花には虫たちがよってきて、命のアンサンブル。

自然界はいつも弥栄に尽くしています。

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重陽の節句

旧暦ならば10月28日にあたる。

日本では奇数が縁起がよいとされる奇数月の五節句。
人日(1月7日)、上巳(3月3日)、端午(5月5日)、七夕(7月7日)、重陽(9月9日)、江戸時代には式日として公武行事となったいましたが、明治時代の暦の改正に伴い廃止。

菊の節句とも謂れるから、今日は菊の花びらを浮かべて菊酒でお祝いしようかと思い立ったものの、ナスタチウムがまだまだ勢い咲いている。
10月の旧暦には菊酒を、今日はゆく夏を楽しむことにしよう。
ナスタチウムのピリッと辛い葉を刻んでチーズに散らす、花びらを散らす。

先月、ライブの音響をしてくれていたケンがついにPA稼業から引退。
私は演奏スタイルを新たに試行錯誤する毎日、変化に差し掛かった。
おかげで子宮と呼んでる癒しの空間だった私の部屋は、ものの見事に仕事部屋と化した。唯一、隅のマイソファだけが名残り。
今を切り取って比べてみれば、たぶん絶望的にうつるこれらのことが、
なんて素敵なんだと思えるのは、たぶん、私のOSが変わったに違いない(笑)

9が重なる。
足したら9+9=18
掛け合わせたら9×9=81
鏡。

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