感謝することをたくさん見つけていく

スカッと晴れた朝は久しぶり。
台風が近づいているというのに雨の週末、椿大神社でみそぎ。
旅を控えてそろそろ情報をキャッチし始めるタイミングに差し掛かると、体がこわばり始める。
いつものアレだ。

楽しいはずの旅行も、数日前から「ソワソワ」と「イライラ」と「ワクワク」が混じった感情を裏側から眺めているような感覚「モヤモヤ」
あんなに楽しみにしていた旅に出ることと直接結びつかない「モヤモヤ」の成分はだるさ、疲れ、眠さ、遠いところに頭痛とその手前の吐き気。

高速道が苦手なので数日前から恐れは始まっている自覚がある。
楽しい気持ちや喜びにも恐れと同じく敏感になる。
日常でも優しさに触れたら、それだけで舞い上がるほど幸せに満たされ、
悪意や暴力に触れたら頭痛や吐き気になって苦しむ。

私はこの世界に生きるのに向いていないなぁとつくづく思う。
疲れてぐったりしながら、
この体質に意味があるとしたら何だろうかと考える。
意味はあるとも言えるし、ないとも言える。
あるとしたら私が私の中にあるどの意味を選択するのかということになるけれど。
やっぱり内側を自己愛で満たしていく道のりを経験するために、と思う。
それは逆説的に外側に感謝することをたくさん見つけていくことだろうなと思う。うまくできている。

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自己愛が足らなかったのか 1

台風がいよいよやってくる少し前、
家族が花火をしようと準備を始めた頃。
セミの羽化が始まった。

撮影の準備を始めるケンと、
それを見たい娘たちのワクワクが重なって、
BBQの盛り上がりは沈静化していく。

みんながセミに注目しているのが気に入らない猫が、
視線の先を目指して一気にかけのぼる。
阻止する娘のスマホが落ちる・・・割れる・・。
みんなの悲鳴。

耳をすませて賑やかな声を聞きながら、
私は偏頭痛プラス発熱で外界の刺激をシャットアウトして部屋でゴロン。
体の不調よりも幸せな声が優勢になる。

不調は台風が近づいているのだから、私には想定内。
それにしても、夏の発熱は子どもの頃以来で懐かしい感じ。
ポジティブにいいチャンス、デトックスとしよう。

いつも長引く偏頭痛が、今回は軽く済んだ。
理由は娘の存在。
安心感があった。
冷蔵庫の中にあるものでササっと夕食。
「欲しいものある?買ってくるよ」
「居間に掃除機をかけてお布団敷いたから、下の涼しいところで寝るといいよ」

私は居間で猫たちと一緒にゴロンと寝転んで、
気がつけばgrandchildも横でゴロン。

自己愛が足らなかったのか。
偏頭痛は自己愛の不足にも関係するなと、思った次第。

つづく

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HSP夏の思い出。

小学生の頃、長期のお休みには家族で海に行った。
夏は海水浴、春は潮干狩り。
海は泳ぐところで、その他の楽しみがあったのかどうか記憶にない。
私は水が怖いので楽しい家族旅行でも海だけはストレスになる。
緊張は前日から始まる。

海は泳ぐだけではなくて開放感のある美しい場所。
美味しいものがたくさんある。
ただその頃の私にとって海は潮干狩りか、
泳げるようにする訓練の場所だった。

<変わらない海と、変わっていく私>

子どもの頃は自分の強烈な感覚に囚われてしまって、
本当の海を見ていなかったのかもしれない。
砂浜の砂がゴムサンダルと足の間に入ってくる感触が気になって仕方ないとか、
海の中の生き物が肌に触るのが気持ち悪くて鳥肌が立つとか、
顔に水がハネるとぞっとするとか、
父がそばにいても、浮き輪に入っていても怖いとか。
体が硬直、怖い、怖い、お父さん怖い。
父が沖に連れ出そうとするけれど、私は怖くて泣きわめいている。
全身のアンテナが日常ではない海の感覚に飲み込まれて、
もう二度と帰ってこられないような恐怖だ。
基本的には今もその感覚は変わっていない。
家族の集合写真に笑顔がないのは当然だけど残念。
その写真を見ながら、その時の私から感じられることを書いてみた。
………………
嫌だとは言わない、言うと空気が悪くなる、でも本当は嫌。
我慢して海にやってきた、今年こそは楽しいかもしれないと思ったから。
でもやっぱり砂が、においが、人ごみが嫌だ、お腹も空かない。
カメラのレンズを見ていながら、
砂の感触、見えるもの、触るもの、聞こえるもの、不快なものばかりだ。
これじゃあ、笑顔にはなれない。
こうして一緒にみんなで来たというだけではダメ?
乗り物酔い、着慣れない服。
知らない人の中で海に着く前にすでに情報の波に溺れている。
……………….
じーっと写真を見てるとにおいがしてきた。
母のコロン、お出かけ用の洋服の防虫剤のにおいだ(笑)

いつも忙しい両親だったけれど、
私の日常はひとりぼっちで寂しいものじゃなかった。
その日常は毎日同じことを繰り返していたけど、
学校から帰ると変わることのない日常があって、
それが最高にリラックスできたから。

大人になるにつれて経験して学んだことは、
辛かったこともあったけど、
自分の苦手なことを知って、
苦手なことを避けることを良しとして、
自分サイズのお出かけを楽しめるようになった。
ほとんどがおひとりさまだけど(笑)

つい先日、友だちと私たちサイズの日帰りドライブの海の旅に出かけてきた。
私たち、というのはどこか感覚が似ているふたりだから。

おしゃれなカフェはどこも人であふれて行列ができている。
浜の駐車場は駐車規制がされていて停められない。

私は海にやってきた人を見に来たのだと思うことにした。
人間ウォッチング。
駐車場のお兄さんにも、カフェの人にも「ありがとう」をたくさん言った。
子どもの頃にできなかった笑顔をたくさん置いてきた。
自然体で海を楽しむ人を見た。
こんがり焼けた肌に素敵なノースリーブのワンピースを着た女性や、
モデルのような金髪の外国人男性。
楽しみは無限にあった。
開放的な海の暮らしのエッセンスは、
広くて大きい海のように寛大で自由で、
太陽と海がコインの裏表のように調和して波の音は太陽の音に聞こえてきたし、
かき氷を食べたカフェは広い道路に並ぶとても小さなお店だったけど、
店主の子供のランドセルがソファに置いてあったり、
常連らしきおばさまが「こちらの席をどうぞ」と譲ってくれたり、
外人さんが片言の日本語で照れながらオーダーする場面とか、
私はもっともっといろんな景色を見たいと思った。

HSPの子どもは自分が感じてる敏感さを不快に思っている。
うまく説明できない感覚はいつか無くなるわけじゃない。
慣れるけれど、なくなりはしない。
長い長い付き合いになる。
でも自分仕様にカスタマイズできるようになる日が必ず来る。
自分らしく楽しむための楽しみ方は一生を通して変化し続ける。

今回のドライブで海の壮大さを一番体感しているのは波乗りサーファー達だったけど、
波は海だけじゃない。
この世界は無限の波がいつもいつも、絶えず、当たり前に誰のところにもやってきている。
自分が好きな波を捕まえて乗ればいいだけのこと、なのだ。

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HSP空腹と満腹、食感、温度の感じ方

すぐにお腹が空いてしまう。
食べてもすぐにお腹がいっぱいになってしまう。
これもHSPあるあるです。

小学校の思い出は、
教室でお腹がグーってなるのが怖くてビクビクしていたこと。
朝ごはんは普通に食べていたつもりでも、
すぐに満腹感を感じて、すぐにお腹がすく。

給食の味よりも食感が苦手なものが多くて、
家では食べているのに給食では食べられないものがある。
母が牛乳が消化できない体質だったので、
牛乳は家で飲んだ覚えがない。
給食で出される冷えてない牛乳は何年飲み続けても慣れない味で嫌いだった。
何が何でも飲まなければいけなかった時代だったから飲んでいたけど、
今でも思い出すと気持ち悪い。
保育園のおやつに出されるホットミルクも漂うミルクの匂いがダメだったけど無理には飲まなくて良かった。
寒い日の保育園の発表会、
全員すごい厚着で写っているのに、私だけタイツにスカート。
どうしてもズボンが嫌だとゴネた。
あの頃は機能性のある下着はないので綿とウール素材の洋服を重ね着するわけだから体が覆われる感覚が窮屈でゴネたのだと思う。

空腹と満腹、食感、温度の感じ方は独特で、
空腹はだんだんと感じるというよりも、
空腹を感じた時にはすでにぐったり疲れている。
とりあえず、ナッツやドライフルーツは常備してあるので口にする。
今は自分が欲するものを料理できるようになったし、
空腹を我慢しなければならない環境でもないのでリラックスしている。
この感覚を心配したり不安がったりジャッジしなくていいだけ解放された。

もし私と同じようにこれらの感覚が敏感でストレスを感じているなら、
長い目で見た時、自分に合う商品を探すよりも、
自分に合うものを作れるようになったほうがいいと思う。
この感覚は一生付き合うことになるから。
パッケージされたものは甘すぎるし、
欲しくない成分(流通のための添加物等)も入っているから。
敏感さは作り手のエネルギーにも敏感、ここ大切です。

私はもちきびを炊いたものを小さく冷凍にしておいて、
炊飯器で解凍、醤油餅にしたり、餡に絡めたりしておやつにする。
マクロビオティックを始めた頃、
玄米プティングが美味しいと聞いてトライしてみたけど、
玄米の食感とメープルやドライフルーツなどの甘さが私には融合しなかった。
玄米の陽性さは体質的に陽性な私をリラックスさせてくれるものではなかった。

オーガニック素材のお菓子は確かに体に優しい。
けれど焼き固めたお菓子よりも、寒天を使ったデザートはいちばんのオススメ。
ただ空腹を感じてから固まる時間が待てないHSPには不向きなので、
予定が詰まった忙しい日の前日に「寒天デザート作り」をする。
いつでも寒天デザートを作れるように100%ストレート果汁は常備。
つるりんとしたデザートですぐに食べられるものは100%ストレート果汁を葛粉でとろみをつけたもの。
それも待てないならホットリンゴジュース。

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出来事に対して反応が敏感なのはHSPあるあるなのです。

車の運転は嫌いでないけれど、知った道ならともかく初めて通る道は恐怖。
高速道路はまず運転しない。
危機管理のアンテナが身体中から伸びて危険を察知する。
高速で走るから高速道路なんだけど私の出すスピードはせいぜい60キロ。高速で走ることが必要な人には便利な高速道路も、私にとっては高速道路ではなく危険道路だ。運転などとんでもない。
どうしても運転せねばならない時には「死ぬ気」でだ。
私が運転できない人であっても、同乗はする。
そんな時の私はつい「危ない」「気をつけて」「車来てる」「前、止まってるよ」「急がなくていいから」など、運転手を困らせたり、ビビらせたりする発言が多いので迷惑がられる。
ちょっと、黙ってて!と言われても、
心底怖いのだからどうしたらいいの?
危険を察知した生き物の本能として黙っていることがとても難しい。
心臓バクバクしてても、なるべく落ち着いて言うように努力してる。
感じ方は人それぞれで、私は出来事に対してみんなより反応が敏感。

私の行動範囲が驚くほど狭い理由はそういうことが関係している。
人混みは極力避けても、外はとても疲れる。
忙しいケンが時々誘ってくれるドライブや食事は、
私の行動がグーンと広がる1日になる。
そんな日に疲れを感じないのはケンがリラックスできる相手だから。
でも、車中で安心して眠るなんてことは有りえない。

旅行はいつも万全の準備をするので、
出かける数日前から準備、「もしもの場合に備えて」の品々で鞄はいっぱいになる。一泊の旅で年に何度も起こらないような「もしも」を想定できるところがすごいところです。エネルギーの無駄遣いと言われますが。

家の中は色が溢れるのが苦手。
カラフルな色や柄は落ち着かない上に疲れる。
蛍光灯も苦手なので電球、夜は間接照明になる。
匂いにも敏感なので、匂いの元探しは得意だ。
朝は紅茶かコーヒー、パンの焼ける匂いはいいけど、
いろんな匂いが混ざっているのはダメだ。
小さな箱に詰められたお弁当の匂いも苦手。
縁日の屋台が並ぶところで長時間はいられない。
ステーキハウスも無理だ。

音はいちばんのストレスになるのでテレビは常設していない。
居間で自由に音を出せるのは私だけで家族はヘッドフォン使用。

以前、氣の治療家の先生に車の運転が怖くないように治療してもらったことがあるが一度では効果を感じることはできなかった。続けていたらわからない。宮司さんにお願いして神さまに祝詞をあげてもらうことも考えた。原因はHSPだとわかった今、無理なものは無理でいいと思えるようになった。
この世界は経験が全てだと考えるとHSPの経験は他と比べて少ないか、多くはないかもしれない。
とても損に思うかもしれないけれど、
多くの場合に共感能力が高いために経験者の強烈な感情を共有する。

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どうか、今日が戦いではなく、自分らしく生きる一日でありますように。

たくさんの人がいる会場で、どんなに遠くにあなたがいたとしても、
あなたのことはすぐわかる。
遠慮がちに、時に疲れたあなたを、自分を見るように近くに感じる。
多くの場合にあなたは笑顔で普通にその場に居合わせる。

一緒にいる人たちに嫌な思いをさせていないだろうか、
自分の振る舞いは普通に見えているだろうか、
こんなことを思っていることを知られてはいないだろうか。

私は長いあいだこんな自分と付き合ってきた。
おかげでどんな場面でも気づかれずに過ごすための準備もできるようになった。
ただいつまで続くかわからない、帰るとも言い出せない迷路にハマった時に、あからさまに普通がわからなくなる。
重労働をしたわけでもないのに疲労困憊。
大きな音、匂い、身を包む窮屈さ、目に入る情報の多さに頭痛も始まる。
「この世の中は敏感な人仕様にはできていない」
そんなことを考えてる自分は、失礼で自分勝手な人。
心を入れ替えて強くなろうと誓うけれど、
今日も弱い自分に・・・情けない自分。
未来に夢や希望を描きながら、
頑張るほどに心の不調がだんだんと体の不調になっていく。
いくつもの塞がった道を遠回りするたびに、
弱虫!弱虫!!って。
かっこ悪すぎる。
だから出生児ホロスコープにアーティスト性を示す星がないと言われた時には心底ホッとした。

敏感な人は家が大好きだ。
刺激を抑えた家でしっかり充電する。
小説、絵画、音楽エトセトラの表現者たちの繊細さに出会った時には、
抱きしめたいほどの感動を深く深く味わい尽くす。
表現者が行き場のないこの社会で生きていくために、
繊細さにフォーカスした共感性を言葉に、絵に、音にした。
行き場のないこの社会で、世界で生きてきた繊細な先人たち。
生きた時代が違っても、遠くにいても、同じ匂いのするHSPはすぐわかる

生きた時代が違っても、遠くにいても、
同じ特性を持つ表現者の同じ匂い。
私は理解者になり、救われる者になり、今日が始まる。

どうか、今日が戦いではなく、自分らしく生きる一日でありますように。


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雨が降る前の積乱雲から頭痛は始まる(その2)のはずが長いお家事情に。

「やらなければならないこと」ってなんだ?
「やってしまいたいこと」って、本当に今日中にしなきゃいけないこと?
「待ってくれないこと」って、誰が、何が待ってくれないの?

「やらなければならないこと」は、私の場合はいつでも家事。
歌うことはチャレンジといった位置付けで、
創造的時間はいつも最優先。

自営の夫は自由に自分時間を生きてる人。
ただ食事の時間だけは一緒にと決めているので、朝昼晩の食卓はいつも一緒。
食事をしながら確認事項やそれぞれの今の状況を共有する。
仕事から帰った息子と夕食を一緒にするので、夕食は家族揃って明日の確認と、それぞれの今の状況を共有する。

私がやらなければならない(と思っていて譲れないこと)は家事。
夫と息子が仕事に集中できるように、暮らしの潤滑油となる家事だ。
掃除洗濯だけの話ではなく。
それには始まりも終わりもない。
潤滑油としてはエンパスやHSPのアンテナはとても役に立つ。
時々、しんどくなるけど、適度にオフって息抜きもしてる。
専業主婦は外国ではあまりないそうで、
日本でも専業主婦と働く主婦の主張合戦が昔あった、今もあるの?
もしかして私、自己価値観を上げるために「やらなければならないこと」を決めているのかと疑ったこともあったけれど、それはなかった。
価値観というわけのわからない妄想に振り回されてはいないのがせめてもの救い。
環境に合わせて生きることがいちばん楽チンな人生だと考えるようになってからは、やることがいっぱい詰まった環境をそのままにして、自分が描いたドラマに突き進むことはできなくなってしまった。

少しばかり広い敷地に長年にわたって先代がためてきた「モッタイナイ品々」があふれんばかりに積み上がっている。
「モッタイナイ品々」は年月とともに風化して、その量たるやハンパない。
時間的に、体力的にまだ余裕のあるときに片付けていかないと、
このまま次の世代にどうぞってわけにはいかない。

どうも、このあたりの完璧主義とまではいかない譲れない主義と、期待に応えようとするアホさと、知りたくもないのにわかってしまうアンテナが私自身の歪みになっているだと思う。

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HSPに必要なひとり時間の過ごし方。

早めの夕食後、夫が撮影に出かけたのを見送って畑に出た。
ちょうど日暮れ時で、近所の台所から様々な匂いが流れてくる。
もしも明日雨が降らなかったら、何から手をつけようかと思いながら、
カメラをさげて草に覆われた土の上を歩く。
アブラムシがびっしり付いている小松菜。
種取り用にと枯れるのを待っていたらこんなことに。
テントウムシが一匹、アブラムシ駆除をしていたけど私が手伝わないとダメみたい。明日はアブラムシの駆除から始める。
他にも、期待通りに育たなかった野菜類もある。
ブラックマロウの背丈が急に大きくなりだしたと思ったら、
蕾をつけ始めていて、いよいよ咲き始める。
豆のツルが支柱を求めて隣の豆と抱き合ってるわ💦

私はブツブツと小さく独り言を言いながら、
私はこんな時間が好きなんだと思う。
生きる気満々の植物も、今に生きてる猫も、
今より幸せになるための何かを探してない。
人はもっと幸せになることや、もっと豊かになることを貪欲に探し回って、
忙しくしている。私にもそんなところがある。
今に満足できたら、今すでに充分幸せだと感じることができたなら、何が始まるだろう。

陽だまりを歩く猫のように、
国境を持たない鳥のように、
自由な羽を持つのかもしれない。

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雨が降る前の積乱雲から頭痛は始まる

低気圧頭痛は雨降り前から始まる。
私の偏頭痛は2日後の雨予報になる、ありがたくないけど。
最近は、風か強い日、積乱雲が出てる日にも始まる。
この場合も複合的。
じゃあ、どうしたら防ぐことができるのかと考えてみる。
偏頭痛の始まりに目の前がチカチカする症状がある人もいるけど、
私は生あくびが出始める。
頭が重く、すっきりしない。
食欲がないのは、すでに気持ち悪さがソコまできてるから。
これが最初のサイン。
外を見てみれば積乱雲、もしくは低いところに分厚い曇り空。
気分がすでに下方向。

「やらなければならないこと」
「やってしまいたいこと」
「待ってくれないこと」
それらが頭の中を駆け巡って、脳内フル回転で、数時間後いや、もしかしたら数分後にやってくる痛みの前に少しでも済ませてしまおうと考える。

これが分かれ目のような気がする。
ここで、
本当にしなければならないのかを、立ち止まって整理できたらいい。
いや、それでも私という個性は「やらない選択」でもストレスを感じる人だ。
やれば偏頭痛、やらなくてもストレス。

次へ続く

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偏頭痛について書いてみたくなった

私の頭痛について、記録しておこうと思う。
こんなにも私を苦しめてきた頭痛というヤツについて、
記録するのも嫌なヤツなはずだけど、
「自分をすべて受け入れる」と決めたのだから、
頭痛も私の一部に違いないから。

頭痛との付き合いは長い。
東京の恵比寿にあるマクロビオティック教室に通った時、
ほとんど毎回、頭痛に悩まされた。
一番辛かった偏頭痛の記憶。
帰りの高速バスを待つ間、トイレで嘔吐を繰り返してぐったりだった。
なぜそうなってしまうのか、
私の気持ちの持ちよう?
日頃の行い?
それとも悪霊?
私が弱いから?
田舎暮らしの私は都会の人に酔ったの?
結果、「私はもっと強くならなきゃいけない」と戦ってきた。
単に、私は今のままではダメだと決めつけてきたようなもの。
ありのままの自分、受け入れてないよね。

あれから原因は複合的だとわかったけれど、
唯一、コレと言えるものがあるならそれは気圧の変化。

標高の高い長野から低地の東京へ向かう。
早朝バスで空腹からくる低血糖、乗り物酔い、エンパスやHSPなどの個性も関係しているし、更年期も関わっていると思う。
コーヒーを飲めば良くなると聞けば、
恵比寿に着いたら毎回、コーヒーを飲むように試みた。
思えば、その時点ですでに生あくびが出たり、胃のあたりがムカムカして、頭も若干重い。
午後になると酷い頭痛と吐き気に襲われる、それも毎回。
あれから数年、カフェインが効くことは度々あって、
どれも早い段階で頭痛の気配を感じて飲むようにしていた。
その場合にはコーヒーが美味しいと思えたように思う。
カフェインは効くが、すでに脳内の痛みの神経が過敏になっている場合には効果はないように思う、コーヒーを飲むタイミングがミソ。

今思い出しても、良く通ったなと、我ながら思う。




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