いつか必要な人が現れるまで

敷地のそこらじゅうに積まれた木の板は、義父が生前に大事にしてきたもの。
家の工場には木工に使う機械があるので、小屋や塀などの大きなものから、まな板などの木製品まで、
作れる環境があるからこそ大切な木の板だ。
でも多すぎる。義父が200歳まで生きたとしても消費できない。

数年前にケンとふたり「自分たちのフィールドを作ろう」と思い立って、私は「おとなの庭遊び」というブログを始めた。
春、手始めにケンは意気揚々と鳩小屋を壊し始めた。
手こずった解体作業も終わり、小屋の廃材は木の板と並んで山になった。
長梅雨と猛暑が続いても田んぼの草取り、畑の草取り、地域の川掃除に草刈りと、夏は草に追われる。当然、庭の計画は中断するしかない。
そんな状況をどこかで愚痴ったところ救世主現る。

この木の板を欲しいという若者が現れた!
そして本日、最後のひとつの山を残して持ち帰ってくれた。
来週には最後の山も薪ストーブ用として持ち帰ってくれるという。

話は変わって、
うちには数年前に、ピアニストの柴野さつきさんから頂いたピアノがある。
柴野さんが夏の間、家族と過ごした軽井沢の別荘のテーブルやソファなども一緒に頂いた。今も大切に使わせていただいている。
その時、うちは頂戴した側。
柴野さんは「使ってもらえるのなら嬉しい」と何度も言って下さった。
うちに設置したピアノの写真を送ったところ、ピアノが喜んでいるとまで言って下さった。

「物は使っていただけるところへ手渡す」のが自然なことで、”ピアノを譲り受けて木の板を手渡す”
という自然な循環が起きて驚いたし納得もした。
「勿体ないから捨てない」とは、
「いつかそれが必要な人が現れるまで」という期限付き。
忘れないでおこう。



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ガーデンハックルベリー

ハックルベリーはブルーベリーとよく似ていて非なるもの。
甘みも酸味もない。
知り合いはレモンと砂糖でジャムにするらしい。
畑に溢れた実から大きく育ったハックルベリーが花を咲かせて、どうやら実をつける気持ちになってくれたみたい。
とにかく強いので虫などつかないし、鳥も食べない。

前に赤いデーツを酢に漬けたものを、ミョウガの酢漬けの着色に使うという話を聞いたことを思い出した。
リンゴの季節に冷凍したハックルベリーを混ぜてジャムにしたらどうだろう。

嬉しいことにホーリーバジルのこぼれ種が芽を出した。
待って待って待ちわびていたホーリーさん。
種が落ちたであろうところは雑草も丁寧に抜いて、
土もひっくり返さないように丁寧に扱ってきた。
えらいな、わたし✌️

パセリの花が満開。
パセリって、お皿の隅に飾りのようにちょこんと座ってるハーブで、
好きな人は食べるけど、飾りだからと食べない人は絶対に食べない。
主役にはなれないハーブ。
パセリはわたしと似てる。
わたしは絶対に食べるのだ。

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上の山の畑

昨日から軽い偏頭痛、ひどくならないように刺激を避ける。
お昼、上の山の畑が気になって、
作業はできそうにないから見るだけという約束でkenに連れて行ってもらった。

雑草がほんの数日で背丈が50センチ以上に伸びていた。
タカキビも草に覆われているけど、
頭ひとつぶん成長していたおかげで草に埋もれずに済んだ。
エゴマは草に埋もれてましたが、
とってもフレンドリーなエゴマさん、
草と仲良く手をつないで成長している感じ、背丈はほぼ同じ10センチ。
その場所は耕して畝を作ったことで土に混じっていた雑草の新顔が「待ってました」とばかりに一斉に芽を出したところで、知らなければ青菜を育てていると間違われるほど。

ワイルドストロベリーは少し前にランナーの回りの草を刈っておいたので、
埋もれることなく無事に成長していた。
網をかけたブルーベリーは鳥たちに食べられることなく大きな粒に。
かぼちゃの成長は世間とはだいぶ遅れているけれどさて?
9月までには実になってくれるのかな。

ハーブたちはすごい。
過酷な環境だけど花を咲かせている。
「香りを放つ」という方法で虫たちを寄せ付けないのかな。

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パセリの花とベリーの季節

6月の雨を期待してすでに3日。
パラパラと降るだけで土が湿ったようにはなってこない。

2年目のパセリが花を咲かせた。
今年は種を収穫して蒔くことになりそう。
パセリは2年で枯れるらしいけれど、
知り合いの庭のパセリは太い木のようになって何年も育っているものがある。その違いはよくわからない。
とにかく種を採ることをパセリでも試してみる、うん。

ベリーの木は低木。
梅の木のすぐそばで花を咲かせて、実をつけているのに誰も食べない。
甘いと思って植えてみたものの期待していた甘さでなかった、でしょうね。
グミの実も少しづつ赤くなってきた。
鳥たちが朝からけたたましく鳴いているのはグミの実の獲得権争い。
赤い色は鳥たちにはよく見えるらしく、
移動できない植物は色を使って種を鳥たちに運ばせる。


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今にも雨が降りそうな曇り空の下で

今にも雨が降りそうな曇り空の下で、
小さな赤い花を見つけた。
デイジーかな?花瓶に挿しておいた。
ずっとそこで咲き続けていたはずなのに、今まで気づかなかった。
それも無理ない、この畑の6月を経験してまだ2年目。

昨夜、夫と6月を振り返るような話をした。
数年前は毎週ライブをした年もあったほど6月はライブが多かった。
昨年の庭あそびの場所は上の山の畑で、
車で5分の場所だけど、頭はライブのことでいっぱいで、
今日中に草を刈ってしまわなければと焦るばかりだった。
雑草が勢いづいてからいよいよ草を刈るので、花を見る余裕もない。
この時期の畑を観察できるのは今年が初めて。

季節によって新しい命の発見がある。
そして、そろそろ発見も尽きた頃に季節が変わる。
夏は雑草も木も作物も稲も虫だって変化が早いので発見が多い。
ちょっとだけ見るつもりが長くなってしまうから、
どんな時でも長袖と帽子だけは着用して出かける。
私はコットンに染み込ませたハッカオイルを、
使い終わった帽子の中に入れておく。

赤い花は調べてみたらデイジーとは花びらの数が全然違っていた。
なーんだ、デイジーじゃないんだと言ったのを聞いていたからなのか、
夜になって閉じてしまったまま・・・閉じたまま朝になっても開かない。

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小さな花の芽

私にしか見つけられない小さな花の芽は、
親切な家族によって踏み潰されることがある。
枯れかかったマーガレットを刈るために、
踏み込んで行くその足元には小さな芽があることを私なりに知らせよう。

コーヒー、紅茶、ハーブティーの出がらしを芽の近くに散らしておく。
こんなじゃわからないよと言われても、
簡単に見つかるような目印にはしない。
私も気づかないような芽が出ていることを親切な誰かが教えてくれるはず。

それに、私はこの出がらしの色のコントラストがお気に入り。
地面を草木染めにしたみたいで、うさと服を着せた土だ(笑)
枯れかかったマーガレットにも、実はお役目がある。
猫たちがゴロゴロするのを防ぐ役目。
猫目線から背の高いマーガレットが茂るそこらは気持ちよくゴロゴロする場所ではないし、土を掘りあげる場所にもならないのでおかげで小さな芽は守られていた。刈られた今ではゴロゴロしはじめたのだから。

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自然農の畑、声も無駄にしない

午後7時、薄暗くなるまで畑で野良仕事をするうちの人たち。
日が長くなってきて、日中の温度も上がり始めると、
日中よりも早朝や夕暮れ時からのほうが動けるというもの。
特に梅雨の時期には少しの晴れ間でも無駄にしない。

少しだけのつもりで出かけても、
一旦畑に出ると時間を忘れて没頭、気がつけば暗闇がすぐそこまで来ている。
私の畑は家の裏側で、お隣の敷地との境は塀があるわけではなく風通しがいい。
昔々は道なき道があって、行き来があったという話も聞いたことがある。
挨拶しようと思えばできる見えない壁。
しかしうちもお隣さんも家の裏側なので超プライベートな空間にはちがいない。
「見えない壁がある」と決めて黙々と野良仕事をする。
ところがミミズやクモやアリや幼虫とは「おはよーさん」と挨拶しちゃう。
挨拶どころじゃない、人生について相談もするし、冗談も言う。
マスクをつけて囁くように話す。
若かりし頃、癒しの声、天使の声と言われた自分の声も、
今では自然界の動植物たちに歌い話しかけているんだと思うと笑えてくる。
自然農の畑で私の声も無駄にしない。

明日の雨を信じて、
コーンマーシュ、マスタードブラック、ロケット、セルフィーユ、芽キャベツの種をまく。

2年前の黒ほおずきの種も紙ポットで育ててみることにした。
以前に直植えをした時にも、明日の雨を信じて蒔いた。
しかし雨は雨でも豪雨で、浅めに蒔いた種は流された。
もしくは草にやられて芽を出さなかった黒ほおずき。
いったいどんな芽を出すのか見てみたい。
ブラックマロウも今年ようやく花を咲かせた。

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何をやるかは問題でなくて、どんな気持ちでいるかが大切

朝、曇り空。
こんな日は上の畑へ出発!
遅く起きたkenを誘ってカメラを持ってワクワクしながら上の山へ向かう。
昨年は梅雨の雨が少なくて、作物は実らないどころか芽を出さなかった。
そんな年でもハーブは青々と茂り花を咲かせてくれて、
草むらで風になびいて香らせるハーブたちにどんなに癒されたか知れない。
今年は芽を出す時期に雨が降ってくれたおかげで、
今のところ順調に育っている。

この喜び物質をもっと濃厚にした強烈な感覚があったなぁと探ってみたら、
ライブの時の高揚感に似てる。
歌うことの高揚感を何百倍に、いや、何十倍に薄めた脳内物質。
歌うことの高揚感を10倍に薄めた喜び脳内物質は料理のときかなぁ。
穏やかな脳内物質。
気づいてさえいたら、すべての人共通に心地よい感覚の気がする。
強烈な脳内物質を求める時には歌い、穏やかが心地よければ土をさわる。
今の私はそんな感じ。
結局のところ、どんな気持ちでいたい?

何をやるかにこだわりすぎてはダメ。
どんな気持ちでいるか。
これまで「畑に行くと元気になるんだよ」と話す人や本と出会ってきた。
その頃の私にとって畑はしんどくて疲れる場所だった。
暑いし、虫がいるし。

すべての記憶から強烈な記憶だけを取り出して、
それが自分の人生のすべてだと思っていたし、
なぜ穏やかさの記憶を認識していないのか、
今ならその頃の自分のことがよくわかる。

いちばん大切なものを手放してから、
穏やかな脳内物質を味わってしまった。
それが良かったのかどうか、わからない。
それらの色のスペクトラムが、
重なり合わさったり、光を放ったりして記憶を上書きしはじめる。
強烈な体験も不思議と調和していて、
これこそが自分だと言えるようなものもなくて、
ちょうど、こぼれ種が芽を出した時のようで、
いつこぼれた種なのか見当もつかない。
なのにその場所がいつか芽をあらわすその種のためにあったのだと思うような、
すべてを受け入れる、穏やかすぎる感覚。



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