ほうきで掃く

箒(ほうき)で掃く。
ささっと出して、何事もなかったような静けさで掃除を済ませる。
複雑で雑多な家事をシンプルにさせてくれる箒、うちではトイレ、脱衣場、玄関、勝手口、台所&居間、それぞれのところに置いてあって大活躍。

これを考えた人は神だな、と思ったら箒もやっぱり神さまだった。
帚神(ははきかみ)という出産と結びついた神さま。
妊婦のお腹を新しい箒でさすることで安産に、他にも玄関に箒を逆さまにに立てておくと長居をする客人を返すことができるおまじないにもなるとか。いつもきれいに整えておくことなどははもちろん、またいだり、踏みつけたりするのはいけません。

そろそろお彼岸。
暑さ寒さも彼岸までの言葉どおりに秋がやってきた。
彼岸過ぎたら稲刈り。
うちらは八百万の神さまの国なので、今では微生物になって私たちが生きながらえるるために尽くしてくださっているご先祖さまも神と思えば神さま。
そうしたらうちの先祖だけじゃなくて、どなたさまも神さまじゃないの?
お彼岸に「ここにも、あそこにも、神さまに囲まれてありがたや」と手を合わせるのはご法度なのか、やっぱり「ご先祖さまのおかげさま」と亡くなった故人の顔を思い浮かべて手を合わせるべきなのか、迷うところ。
はて、私のこの気持ち、これを信仰というのだろうか、宗教と呼ぶのだろうか。
信仰や宗教という言葉は明治以降にできた言葉で、それ以前にはなかった。
外国語を翻訳するときに仏教の経典から探し出してきたらしい。
以前、哲学者の内山節さんがそのように話していた。

これを、祈りと言っていいのかな。
宗教でも信仰でもなく、語彙力ないけど言葉にするなら「祈りという文化」。
世界は祈りであふれているというのに、それらを存続するための組織があるはずもなし、組織なければ会費があるはずもなし。どこにも帰属しないこの思い。
どこにも分類できないものの象徴は自然。だからここにも、あそこにも神さま。
——————————————-♪

祈り  坂口ユキ子

ここにも、あそこにも神さまに囲まれてありがたや。

ごはんを食べる。
家事をこなす。
仕事をする。

避けようもなく、避けることもなく連なっていくこの日。
それが暮らしという現象であるなら、
雑多なものばかりで埋め尽くすことのないように、
雑多な物事の隙間を一輪の花で繋ぐ。
祈りや、有り難さや、感謝で繋ぐ。

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