椿さんの水

山から流れてくる水が田を潤す。
豊富な水が流れ、たくさんの生命を支える。
体の70パーセント水分である私を支える水、幾多の奇跡と呼ばれている宇宙の現象はフラワーオブライフに依る。

参道の片側の狛犬が前足で押さえる球にはフラワーオブライフ。
象徴に敏感になると法則が現れる。
隠されてなんかいない、いつでも誰でもわかるようになっている。

狛犬は、もともと6世紀、仏教伝来時にインドから伝わった。
当時、仏教を伝えるということは仏像を伝えるということで、仏像の前に置かれた二頭のライオン(獅子)も日本に伝えられたと言われています。
しかし、この時には狛犬ではなく獅子だったのです。
(京都国立博物館サイトより)

椿大神社は1300年前から日本最古の獅子舞の巡舞作法を守り伝える地。(三重県指定無形民俗文化財に登録)
拝殿の獅子頭はオソロシイ形相だ。
大きく見開いた目と、私の頭など一口で食べてしまうほど大きな口。
そんなワルモノ代表のような存在の獅子を導いて、天地人四方八方の祓い清めの神として再生させた猿田彦大神。
その忍耐力と目覚めへの導きはすごいのだ。

私の椿さん詣ではいつも「私は完璧である」から始まる。
自我が喜ぶような何かをお願いして、足らないものをおねだりすることではなくて・・・私の生が生かされるように導いてもらうこと。
祓って、祓って、振動数を上げていくこと。
滝に入って何かを得たというのは、実際には「一皮剥けて本当のあなたが現れた」と表現したほうがピンとくる。
滝から上がった人が「気持ちがすっきりした」「体中の血液が巡り始めた」「手足の末端まで温かい」は完璧な自分の体の状態。

これまで好き放題に私を乗っ取っていた自我の欲望が、獅子のあの形相に睨まれてシュンと小さくなったところへ、さらに猿田彦さまの強力ウォータービームでみるみる間に水に流されていく。
それを水際からバイバイと手を振り見送る私。
ちょうどさるかに合戦の最後のシーンのイメージ。
サルカニ合戦ではあの後、猿は戻ってこなかったけれど、自我は懲りもせず戻ってくるのだ。それは仕方ない。この世界はそのようになっている。そしてその体験を楽しみに来ている。滝禊を修行と捉えている人もいるけれど、私の滝禊はいつも川岸からバイバイ👋

滝に入る恐怖とか、実際に水にはいって苦しかったと感じるのは自我。
本当の私はいつでも川岸から美しい羽衣姿で自我の欲望にバイバイと手を振り見送る。
そのくらいおめでたい自分でいても、9年間バチは当たったことはない。

この御神徳にあやかりたい人は椿大神社の禊体験へ・・・と言いたいところだが、今は参加者がキャパを超えてしまい基本的にはお断りになっている。
私が所属する小諸椿会では毎年7月の海の日に小諸の滝で滝開き神事をしていて、なんと椿大神社の山本宮司が直々においでくださる滝の禊だ。
まずは小諸で体験するのもおすすめ。私も最初は小諸だった。
小諸椿会に入会すれば椿大神社での滝神事にも参加できるように道が引かれている。

小諸椿会HP
http://www.tsubaki-komoro.com/home/

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