昨日から偏頭痛に悩まされている人は多いだろうなと思うほど、
気圧の変動が続いている。
薬を飲むほどでもないけれど肩の張りやズシリと重い頭に気分は優れないまま。
ベッドに入るほどでもないけれど、何かに取り掛かる気分でもない。

厄介な偏頭痛だけど、
このくらいに軽いものなら、
新しい発見のために、
諸説ある偏頭痛のメカニズムをいったん全部白紙に戻してみた。
体に関する原因、食べ物や気圧が原因だとするなら、
偏頭痛に対して私は術がないということになってしまう。
私はなんと弱い人なんだろうか、
この先も怯えながら、受け身で生きていくしかないのか。

偏頭痛は薬を飲むタイミングが重要で、
ひどくなってから飲んだのでは効かないと言われている。
偏頭痛が過ぎ去った後の心の軽さ、体の透明感は気持ちがいいので、
体に蓄積されたものが排出されたと考えると偏頭痛もなかなかのものだと思えてくる。
いいことなんかひとつも見つからないような偏頭痛が、
体からの”あなたらしくないわよ”という忠告だと考えたらどうだろう!
素敵な発見をした気分になってきたわ。

言えずにいること、
やめられないで我慢していること、
本当は望んでいないことを正しいからと理由でやり続けてきたこと、
頑張ること、
自分以外の誰かになろうとすること・・・

誰でも書き出せばどんどん出てくる心の膿。

私らしくない選択をしつづけて、当然うまくいっていないのに、納得もしていないのに、こんなものだと諦め半分でありながら、納得させる。
まったく私たちらしくない生き方への忠告。

冷静になることを「頭を冷やす」と言うけど、
偏頭痛の応急処置は頭を冷やすことなのだ。
無理をしたり、嫌がる自分を説き伏せたり、追い込んだりして、自分らしくないスパイラルに巻き込まれているなら、どうにかしなきゃいけないと焦って興奮状態になっているわけだから、
冷静になる処方箋として偏頭痛になるかも知れないな。
とんでもないストレス状態。
自分らしくないスパイラルをコントロールしようとして興奮状態になってしまうのかも知れない。
コントロールというか、自分を防衛しようとしてる。
防衛するということは・・・つまり、
敵がいると認知していることなので恐怖もうまれているはず。

偏頭痛がやってきたら、
少しの間、心安らかにしなさいという忠告だと思えばいい。

Continue Reading

コーヒーを飲んでいた時に使っていたフレンチプレス式のボダムのトラベルプレスセット、今は野草茶をいれて使っている。
定番の三年番茶、他には桑の葉、柿の葉、びわ茶、スギナ茶、そば茶など。
これからはカモミール、ミント、レモンバーム、ローズヒップ・・・ハーブティーの出番が多くなる。

朝一番のコーヒーが常だった時、香りに癒され同時にやる気が湧いてくるという効果があった。これはなかなか気持ちのいいもの。
以前にも気象頭痛のトリガーになるものの中にコーヒーがあることを知って、やめようと決めたことがある。最初のカフェイン断ちだ。
カフェインフリーのコーヒーやハーブティー、三年番茶、野草茶を飲むことにして数ヶ月コーヒーをやめた。
偏頭痛の痛みを薬を使わないで寝て過ごすのはものすごく辛いことなので、コーヒー断ちで偏頭痛が起きないならば「これでいい」と納得しているつもりだった。
・・・納得しようと努力していたのかもしれない。

ところが偏頭痛は起きた。

トリガーになるものはひとつではないのでいろんな要因が重なったのだと思う。
初めから心と体は納得していないし、コーヒーだけが原因じゃないとなれば、一度口にしたコーヒーで、なしくづし的に朝コーヒーが復活してしまった。
最初から、私の本当の要求に応えることなくコントロールし続けることは不可能。

今回、二度目のコーヒー断ちから1ヶ月半。
前回と違うのはコーヒーの香りが漂ってきても飲みたいと思わないこと。
カフェインフリーのコーヒーも飲んでいないし、ほとんど三年番茶とストレート林檎ジュース、たまに野草茶かハーブティー。

まだ体がコーヒーを飲んだ時の美味しさを覚えているコーヒー断ち1ヶ月半の地点で、私の本当の要求とマクロビオティックでは相当な陰性性をもつコーヒーを飲んで中和していた反対側の陽性はなんだったのか。
今、コーヒーを飲みたいと思わないのは陽性性に大きく振られていた振り子の振り幅が小さくなったということだ。

香りはどちらも同じくらい癒しの効果がある。
三年番茶は「さてやるぞっ!」というようなコーヒー程のやる気は湧いてこない。
じんわり、ゆったり、ほっこり、「さてやりましょう」という速度で、私の気持ちを置き去りにしないので、主役の私の速度ということになる。
コーヒーはもっと激しくて、頭のやる気が主体なので、体の声はかき消されてしまう。後で「あーなんでこんなに疲れてるんやろ・・」となる。
コーヒ断ちはまだ1ヶ月半なのでまだまだ観察中というところ。
偏頭痛は以前ほどひどいものは起きていないけれど起きている。
大きな変化は睡眠の質が以前と全く違うということ。
熟睡できるので翌日に疲れを残すことがない。

体の声を聞くと、偏頭痛の始まりに「我慢」があるように思う。
我慢は自分への冒涜だ。
正義や常識という硬い型に流し込んだ見せかけの自分は整った形になっているので賞賛されたり尊敬されたりするけれど、要求を受け入れてもらえなかった自己は怒りになるでしょう?
我慢を強いられても、我慢を選んだのは自分なのに、怒りの矛先が周囲に向くこともある。誰かのせいにして無罪になりたい心理でしょうか。
自分に向くこともあるけれど、どちらにしても厄介なことになる。
体の声を聞いてさえいれば、体は素直で柔軟性を持っている。
私は頭じゃない、本当の私は体が表している、ユニークさで表現している。

Continue Reading

私の記録として書いておこう。
5日の朝、コーヒーもあまり飲みたくない気分。
午後になってアクビが出るし、眠い。
これは偏頭痛がやってくるなととっさに思って、酷くなる前に重要事項だけを済ませて、不安なく自分の部屋で休んだ。
今回は低気圧とスーパームーン、カフェイン断ちも重なって廃人生活2日間。

それから3日目の今日。
今度の満月は地球に近いところで起きる。
以前にもスーパームーンの日に出かけた外食中、偏頭痛に襲われて途中で帰ることになってしまった。一緒にいた友達に申し訳なくて、もう絶対に満月の食事会はやってはいけないと思った。
そして春の低気圧頭痛は範囲が広い。
遠く離れた東北にかかる低気圧が信州にまで手を伸ばす。
3日も長引いたのは、今年に入って調子付いて飲みはじめていたコーヒーのカフェインも切れているからに違いない。
こうなったらついでだ、カフェイン断食としよう。
吐き気は治まったものの食欲はなく、まだ頭がドクドクと痛い。

少しくらいの不調は玄米を200回噛んで食べるとなおったりする。
頭痛には定番の梅醤番茶だけど、今回は吐きそうで飲めない。
梅と米飴を練り合わせたものとごま塩で、玄米は良く噛んで食べることで少し元気が出た・・と思って動き出すと頭がドクドクする。
コタツでゴロゴロする。
そんなことを繰り返している3日目。

口当たりのいい冷たいものが食べたい。
次に少し動けそうなタイミングでりんごジュースと寒天と葛粉でふるるんデザートを作ろうと思う。
だけど、そんなタイミングは3日目にはやって来そうにない。
今は新型コロナウイルスの緊急事態だから酷くならないうちの、早めの対応ってことで、ケンに市販のゼリーを頼んだ。

夜になって、頭痛が激しくなる。
短時間でも入浴したのが良くなかったか。
早めに布団に入るも、夜中に目の奥が痛くて、そのうち歯まで痛くなる始末。
悪夢まで見始めて強烈なデトックス、参ったな・・
中でも目の血管が膨張し始めたのはしんどかった。
ここは静かに朝を待つ。正常に血管に血液が流れているからこその痛みだと信じる。

4日目は全く食欲なし。やたらと眠い。
夜中に飲んだ水分も胃の中でぽちゃぽちゃしているから吸収できているんだかどうだか。
この日の頭痛と胃のむかつきは低血糖かも知れないと思う。
無理をすれば動けるけれど、でも体も心も停止状態なのは久しぶり。
いっそのこと甘えてしまえとばかりに、最低限の家事だけをして、深く自分とつながる1日にして良いのだと、自分に許可する。
明日は大丈夫、動けるという気持ちが湧いてきた。
明日は低血糖に対応した「甘い野菜のスープ」を作ろうとか、野菜はあるかとか、そんなワクワクした気持ちで眠り続ける。

5日目は目覚めがスッキリ。
部分的に残る頭痛は細い血管に残ったカフェインの記憶。食欲はあまりない。。
「甘い野菜のスープ」を作り、カフェイン断ち終了。

偏頭痛の原因はいろいろで、何がトリガーになっているのかわからない。
今わかっている食品だけでも相当あるし、環境が原因になっていることもある。
それらのほとんどが人工的なものであるなら、まずは自然なものを暮らしに取り入れていけばいい。
毎日のスケジュールが多すぎないか、「べきこと」で窮屈にしていないか、自分に厳しくしすぎていないか、変化することに恐怖を持っていないか、他人軸で生きていないか、今の自分に不満なのではないか、頑張っていないと安心できないのではないか、誰かと比べて自分をダメな奴だと決めつけていないか。

Continue Reading

スカッと晴れた朝は久しぶり。
台風が近づいているというのに雨の週末、椿大神社でみそぎ。
旅を控えてそろそろ情報をキャッチし始めるタイミングに差し掛かると、体がこわばり始める。
いつものアレだ。

楽しいはずの旅行も、数日前から「ソワソワ」と「イライラ」と「ワクワク」が混じった感情を裏側から眺めているような感覚「モヤモヤ」
あんなに楽しみにしていた旅に出ることと直接結びつかない「モヤモヤ」の成分はだるさ、疲れ、眠さ、遠いところに頭痛とその手前の吐き気。

高速道が苦手なので数日前から恐れは始まっている自覚がある。
楽しい気持ちや喜びにも恐れと同じく敏感になる。
日常でも優しさに触れたら、それだけで舞い上がるほど幸せに満たされ、
悪意や暴力に触れたら頭痛や吐き気になって苦しむ。

私はこの世界に生きるのに向いていないなぁとつくづく思う。
疲れてぐったりしながら、
この体質に意味があるとしたら何だろうかと考える。
意味はあるとも言えるし、ないとも言える。
あるとしたら私が私の中にあるどの意味を選択するのかということになるけれど。
やっぱり内側を自己愛で満たしていく道のりを経験するために、と思う。
それは逆説的に外側に感謝することをたくさん見つけていくことだろうなと思う。うまくできている。

Continue Reading

台風がいよいよやってくる少し前、
家族が花火をしようと準備を始めた頃。
セミの羽化が始まった。

撮影の準備を始めるケンと、
それを見たい娘たちのワクワクが重なって、
BBQの盛り上がりは沈静化していく。

みんながセミに注目しているのが気に入らない猫が、
視線の先を目指して一気にかけのぼる。
阻止する娘のスマホが落ちる・・・割れる・・。
みんなの悲鳴。

耳をすませて賑やかな声を聞きながら、
私は偏頭痛プラス発熱で外界の刺激をシャットアウトして部屋でゴロン。
体の不調よりも幸せな声が優勢になる。

不調は台風が近づいているのだから、私には想定内。
それにしても、夏の発熱は子どもの頃以来で懐かしい感じ。
ポジティブにいいチャンス、デトックスとしよう。

いつも長引く偏頭痛が、今回は軽く済んだ。
理由は娘の存在。
安心感があった。
冷蔵庫の中にあるものでササっと夕食。
「欲しいものある?買ってくるよ」
「居間に掃除機をかけてお布団敷いたから、下の涼しいところで寝るといいよ」

私は居間で猫たちと一緒にゴロンと寝転んで、
気がつけばgrandchildも横でゴロン。

自己愛が足らなかったのか。
偏頭痛は自己愛の不足にも関係するなと、思った次第。

つづく

Continue Reading

小学生の頃、長期のお休みには家族で海に行った。
夏は海水浴、春は潮干狩り。
海は泳ぐところで、その他の楽しみがあったのかどうか記憶にない。
私は水が怖いので楽しい家族旅行でも海だけはストレスになる。
緊張は前日から始まる。

海は泳ぐだけではなくて開放感のある美しい場所。
美味しいものがたくさんある。
ただその頃の私にとって海は潮干狩りか、
泳げるようにする訓練の場所だった。

<変わらない海と、変わっていく私>

子どもの頃は自分の強烈な感覚に囚われてしまって、
本当の海を見ていなかったのかもしれない。
砂浜の砂がゴムサンダルと足の間に入ってくる感触が気になって仕方ないとか、
海の中の生き物が肌に触るのが気持ち悪くて鳥肌が立つとか、
顔に水がハネるとぞっとするとか、
父がそばにいても、浮き輪に入っていても怖いとか。
体が硬直、怖い、怖い、お父さん怖い。
父が沖に連れ出そうとするけれど、私は怖くて泣きわめいている。
全身のアンテナが日常ではない海の感覚に飲み込まれて、
もう二度と帰ってこられないような恐怖だ。
基本的には今もその感覚は変わっていない。
家族の集合写真に笑顔がないのは当然だけど残念。
その写真を見ながら、その時の私から感じられることを書いてみた。
………………
嫌だとは言わない、言うと空気が悪くなる、でも本当は嫌。
我慢して海にやってきた、今年こそは楽しいかもしれないと思ったから。
でもやっぱり砂が、においが、人ごみが嫌だ、お腹も空かない。
カメラのレンズを見ていながら、
砂の感触、見えるもの、触るもの、聞こえるもの、不快なものばかりだ。
これじゃあ、笑顔にはなれない。
こうして一緒にみんなで来たというだけではダメ?
乗り物酔い、着慣れない服。
知らない人の中で海に着く前にすでに情報の波に溺れている。
……………….
じーっと写真を見てるとにおいがしてきた。
母のコロン、お出かけ用の洋服の防虫剤のにおいだ(笑)

いつも忙しい両親だったけれど、
私の日常はひとりぼっちで寂しいものじゃなかった。
その日常は毎日同じことを繰り返していたけど、
学校から帰ると変わることのない日常があって、
それが最高にリラックスできたから。

大人になるにつれて経験して学んだことは、
辛かったこともあったけど、
自分の苦手なことを知って、
苦手なことを避けることを良しとして、
自分サイズのお出かけを楽しめるようになった。
ほとんどがおひとりさまだけど(笑)

つい先日、友だちと私たちサイズの日帰りドライブの海の旅に出かけてきた。
私たち、というのはどこか感覚が似ているふたりだから。

おしゃれなカフェはどこも人であふれて行列ができている。
浜の駐車場は駐車規制がされていて停められない。

私は海にやってきた人を見に来たのだと思うことにした。
人間ウォッチング。
駐車場のお兄さんにも、カフェの人にも「ありがとう」をたくさん言った。
子どもの頃にできなかった笑顔をたくさん置いてきた。
自然体で海を楽しむ人を見た。
こんがり焼けた肌に素敵なノースリーブのワンピースを着た女性や、
モデルのような金髪の外国人男性。
楽しみは無限にあった。
開放的な海の暮らしのエッセンスは、
広くて大きい海のように寛大で自由で、
太陽と海がコインの裏表のように調和して波の音は太陽の音に聞こえてきたし、
かき氷を食べたカフェは広い道路に並ぶとても小さなお店だったけど、
店主の子供のランドセルがソファに置いてあったり、
常連らしきおばさまが「こちらの席をどうぞ」と譲ってくれたり、
外人さんが片言の日本語で照れながらオーダーする場面とか、
私はもっともっといろんな景色を見たいと思った。

HSPの子どもは自分が感じてる敏感さを不快に思っている。
うまく説明できない感覚はいつか無くなるわけじゃない。
慣れるけれど、なくなりはしない。
長い長い付き合いになる。
でも自分仕様にカスタマイズできるようになる日が必ず来る。
自分らしく楽しむための楽しみ方は一生を通して変化し続ける。

今回のドライブで海の壮大さを一番体感しているのは波乗りサーファー達だったけど、
波は海だけじゃない。
この世界は無限の波がいつもいつも、絶えず、当たり前に誰のところにもやってきている。
自分が好きな波を捕まえて乗ればいいだけのこと、なのだ。

Continue Reading

すぐにお腹が空いてしまう。
食べてもすぐにお腹がいっぱいになってしまう。
これもHSPあるあるです。

小学校の思い出は、
教室でお腹がグーってなるのが怖くてビクビクしていたこと。
朝ごはんは普通に食べていたつもりでも、
すぐに満腹感を感じて、すぐにお腹がすく。

給食の味よりも食感が苦手なものが多くて、
家では食べているのに給食では食べられないものがある。
母が牛乳が消化できない体質だったので、
牛乳は家で飲んだ覚えがない。
給食で出される冷えてない牛乳は何年飲み続けても慣れない味で嫌いだった。
何が何でも飲まなければいけなかった時代だったから飲んでいたけど、
今でも思い出すと気持ち悪い。
保育園のおやつに出されるホットミルクも漂うミルクの匂いがダメだったけど無理には飲まなくて良かった。
寒い日の保育園の発表会、
全員すごい厚着で写っているのに、私だけタイツにスカート。
どうしてもズボンが嫌だとゴネた。
あの頃は機能性のある下着はないので綿とウール素材の洋服を重ね着するわけだから体が覆われる感覚が窮屈でゴネたのだと思う。

空腹と満腹、食感、温度の感じ方は独特で、
空腹はだんだんと感じるというよりも、
空腹を感じた時にはすでにぐったり疲れている。
とりあえず、ナッツやドライフルーツは常備してあるので口にする。
今は自分が欲するものを料理できるようになったし、
空腹を我慢しなければならない環境でもないのでリラックスしている。
この感覚を心配したり不安がったりジャッジしなくていいだけ解放された。

もし私と同じようにこれらの感覚が敏感でストレスを感じているなら、
長い目で見た時、自分に合う商品を探すよりも、
自分に合うものを作れるようになったほうがいいと思う。
この感覚は一生付き合うことになるから。
パッケージされたものは甘すぎるし、
欲しくない成分(流通のための添加物等)も入っているから。
敏感さは作り手のエネルギーにも敏感、ここ大切です。

私はもちきびを炊いたものを小さく冷凍にしておいて、
炊飯器で解凍、醤油餅にしたり、餡に絡めたりしておやつにする。
マクロビオティックを始めた頃、
玄米プティングが美味しいと聞いてトライしてみたけど、
玄米の食感とメープルやドライフルーツなどの甘さが私には融合しなかった。
玄米の陽性さは体質的に陽性な私をリラックスさせてくれるものではなかった。

オーガニック素材のお菓子は確かに体に優しい。
けれど焼き固めたお菓子よりも、寒天を使ったデザートはいちばんのオススメ。
ただ空腹を感じてから固まる時間が待てないHSPには不向きなので、
予定が詰まった忙しい日の前日に「寒天デザート作り」をする。
いつでも寒天デザートを作れるように100%ストレート果汁は常備。
つるりんとしたデザートですぐに食べられるものは100%ストレート果汁を葛粉でとろみをつけたもの。
それも待てないならホットリンゴジュース。

Continue Reading

車の運転は嫌いでないけれど、知った道ならともかく初めて通る道は恐怖。
高速道路はまず運転しない。
危機管理のアンテナが身体中から伸びて危険を察知する。
高速で走るから高速道路なんだけど私の出すスピードはせいぜい60キロ。高速で走ることが必要な人には便利な高速道路も、私にとっては高速道路ではなく危険道路だ。運転などとんでもない。
どうしても運転せねばならない時には「死ぬ気」でだ。
私が運転できない人であっても、同乗はする。
そんな時の私はつい「危ない」「気をつけて」「車来てる」「前、止まってるよ」「急がなくていいから」など、運転手を困らせたり、ビビらせたりする発言が多いので迷惑がられる。
ちょっと、黙ってて!と言われても、
心底怖いのだからどうしたらいいの?
危険を察知した生き物の本能として黙っていることがとても難しい。
心臓バクバクしてても、なるべく落ち着いて言うように努力してる。
感じ方は人それぞれで、私は出来事に対してみんなより反応が敏感。

私の行動範囲が驚くほど狭い理由はそういうことが関係している。
人混みは極力避けても、外はとても疲れる。
忙しいケンが時々誘ってくれるドライブや食事は、
私の行動がグーンと広がる1日になる。
そんな日に疲れを感じないのはケンがリラックスできる相手だから。
でも、車中で安心して眠るなんてことは有りえない。

旅行はいつも万全の準備をするので、
出かける数日前から準備、「もしもの場合に備えて」の品々で鞄はいっぱいになる。一泊の旅で年に何度も起こらないような「もしも」を想定できるところがすごいところです。エネルギーの無駄遣いと言われますが。

家の中は色が溢れるのが苦手。
カラフルな色や柄は落ち着かない上に疲れる。
蛍光灯も苦手なので電球、夜は間接照明になる。
匂いにも敏感なので、匂いの元探しは得意だ。
朝は紅茶かコーヒー、パンの焼ける匂いはいいけど、
いろんな匂いが混ざっているのはダメだ。
小さな箱に詰められたお弁当の匂いも苦手。
縁日の屋台が並ぶところで長時間はいられない。
ステーキハウスも無理だ。

音はいちばんのストレスになるのでテレビは常設していない。
居間で自由に音を出せるのは私だけで家族はヘッドフォン使用。

以前、氣の治療家の先生に車の運転が怖くないように治療してもらったことがあるが一度では効果を感じることはできなかった。続けていたらわからない。宮司さんにお願いして神さまに祝詞をあげてもらうことも考えた。原因はHSPだとわかった今、無理なものは無理でいいと思えるようになった。
この世界は経験が全てだと考えるとHSPの経験は他と比べて少ないか、多くはないかもしれない。
とても損に思うかもしれないけれど、
多くの場合に共感能力が高いために経験者の強烈な感情を共有する。

Continue Reading

たくさんの人がいる会場で、どんなに遠くにあなたがいたとしても、
あなたのことはすぐわかる。
遠慮がちに、時に疲れたあなたを、自分を見るように近くに感じる。
多くの場合にあなたは笑顔で普通にその場に居合わせる。

一緒にいる人たちに嫌な思いをさせていないだろうか、
自分の振る舞いは普通に見えているだろうか、
こんなことを思っていることを知られてはいないだろうか。

私は長いあいだこんな自分と付き合ってきた。
おかげでどんな場面でも気づかれずに過ごすための準備もできるようになった。
ただいつまで続くかわからない、帰るとも言い出せない迷路にハマった時に、あからさまに普通がわからなくなる。
重労働をしたわけでもないのに疲労困憊。
大きな音、匂い、身を包む窮屈さ、目に入る情報の多さに頭痛も始まる。
「この世の中は敏感な人仕様にはできていない」
そんなことを考えてる自分は、失礼で自分勝手な人。
心を入れ替えて強くなろうと誓うけれど、
今日も弱い自分に・・・情けない自分。
未来に夢や希望を描きながら、
頑張るほどに心の不調がだんだんと体の不調になっていく。
いくつもの塞がった道を遠回りするたびに、
弱虫!弱虫!!って。
かっこ悪すぎる。
だから出生児ホロスコープにアーティスト性を示す星がないと言われた時には心底ホッとした。

敏感な人は家が大好きだ。
刺激を抑えた家でしっかり充電する。
小説、絵画、音楽エトセトラの表現者たちの繊細さに出会った時には、
抱きしめたいほどの感動を深く深く味わい尽くす。
表現者が行き場のないこの社会で生きていくために、
繊細さにフォーカスした共感性を言葉に、絵に、音にした。
行き場のないこの社会で、世界で生きてきた繊細な先人たち。
生きた時代が違っても、遠くにいても、同じ匂いのするHSPはすぐわかる

生きた時代が違っても、遠くにいても、
同じ特性を持つ表現者の同じ匂い。
私は理解者になり、救われる者になり、今日が始まる。

どうか、今日が戦いではなく、自分らしく生きる一日でありますように。


Continue Reading

「やらなければならないこと」ってなんだ?
「やってしまいたいこと」って、本当に今日中にしなきゃいけないこと?
「待ってくれないこと」って、誰が、何が待ってくれないの?

「やらなければならないこと」は、私の場合はいつでも家事。
歌うことはチャレンジといった位置付けで、
創造的時間はいつも最優先。

自営の夫は自由に自分時間を生きてる人。
ただ食事の時間だけは一緒にと決めているので、朝昼晩の食卓はいつも一緒。
食事をしながら確認事項やそれぞれの今の状況を共有する。
仕事から帰った息子と夕食を一緒にするので、夕食は家族揃って明日の確認と、それぞれの今の状況を共有する。

私がやらなければならない(と思っていて譲れないこと)は家事。
夫と息子が仕事に集中できるように、暮らしの潤滑油となる家事だ。
掃除洗濯だけの話ではなく。
それには始まりも終わりもない。
潤滑油としてはエンパスやHSPのアンテナはとても役に立つ。
時々、しんどくなるけど、適度にオフって息抜きもしてる。
専業主婦は外国ではあまりないそうで、
日本でも専業主婦と働く主婦の主張合戦が昔あった、今もあるの?
もしかして私、自己価値観を上げるために「やらなければならないこと」を決めているのかと疑ったこともあったけれど、それはなかった。
価値観というわけのわからない妄想に振り回されてはいないのがせめてもの救い。
環境に合わせて生きることがいちばん楽チンな人生だと考えるようになってからは、やることがいっぱい詰まった環境をそのままにして、自分が描いたドラマに突き進むことはできなくなってしまった。

少しばかり広い敷地に長年にわたって先代がためてきた「モッタイナイ品々」があふれんばかりに積み上がっている。
「モッタイナイ品々」は年月とともに風化して、その量たるやハンパない。
時間的に、体力的にまだ余裕のあるときに片付けていかないと、
このまま次の世代にどうぞってわけにはいかない。

どうも、このあたりの完璧主義とまではいかない譲れない主義と、期待に応えようとするアホさと、知りたくもないのにわかってしまうアンテナが私自身の歪みになっているだと思う。

Continue Reading