猫の習性としてネズミを捕獲するのは仕方がないとして、
また、捕獲したネズミを自慢げに見せに来るのも、まあまあいいとしよう。
その功績にはありがとうを添えてナデナデしてあげたい。
だってその甲斐あって、うちのネズミは姿を消した。
それでも、夜になって、外から帰ってきたダブちゃんを家に入れる時には確認をしなければいけないことがある。
それは生きたままの獲物を口に咥えていることもあるから。

過去にダブが元気のいい鳥を咥えて家に入ってきたことがある。
その「鳥騒動」の時、家には私ひとり。
家の中を飛び回る鳥をほうきで外に追い出す私と、
その獲物を捕まえようとするダブちゃんと、
出口を探す鳥との戦いが狭い家の中で起きた。
その経験をした私がずっと言い続けてきたこと。
それは、
「ダブを家に入れる前に口に咥えているものを確認すること」
でも、そんな私の話などケンは独自の解釈で跳ね除けてきた。

ケンの解釈ではこうだ。
”ダブがドアを開けて欲しいだけの時には勝手口をトントンと叩き、獲物を口に咥えてきたのならば、勝手口の前でにゃあにゃあとなく”というもの。
にゃあにゃあの声がしないときは確認は必要ない、というもので、
その言い分はずっと変わらないまま、2日前に事は起きた。
いつも私の話(経験者の話)を右耳から左耳へと受け流すケンに天罰が下った。(と思っている)


夕食後に、デザートを食べながらくつろいでいた時、
ダブが勝手口のドアをトントンした。
その音にいち早く反応したケン。
今となっては私の口癖になっている「確認してね」を言ったかどうかは思い出せず、また言ったとしてもケンが聞いたかどうかもわからない。
ただ確かにケンは、確認をせずドアを開けた。
素早く家に入ってきたダブが何か咥えているのに真っ先に気づいたのはケンだ。
慌てて、あっダブが咥えてる!と叫ぶが、
その咥えていたものが生きたままのネズミだとわかった途端、私はパニック。
ダブが咥えていたネズミはあっという間に茶箪笥の裏側に隠れてしまった。
私はケンが確認しなかったこと、
これまで何千回も「確認してね」と言い続けてきたのに、
私が言い忘れた事で起きてしまったかも知れない騒動に腹が立つやらなんやら。
団欒ムードは一気に修羅場となった。

私は呆れて、怒って、悲しいやら不甲斐ないやらで2階の自分の部屋で臥せって泣いた。

クタクタ、ヨレヨレになったケンが
「もう大丈夫だから降りてきていいよ」と呼びにきてくれた。
騒動から1時間以上たっていた。
降りて行くと居間の茶箪笥、こたつ、冷蔵庫、小さな家具が動かされていて、
ついでに掃除機がかけられていて、アルコオル消毒された床はピカピカに輝いていた。

この騒動、その後のワインのおつまみに最高だった。
あれから数日経っても茶箪笥の裏をずっと探るダブちゃんの行動と、
ネズミ捕獲に使ったであろうケンの自作棒とか、
焦って持ち出したガムテープとか、
使ったけれど役に立たなかった未使用品とか、
ビニール袋とかの残骸に、
ケンが格闘した場面が思い出されて密かに私の笑いのツボになっている。
このブログを書きながらも思い出し笑いがこみ上げてきちゃうので、
外では思い出さないようにしないといけない。
今一番つらいのはケンの顔を見るたびに、笑うのを必死で堪えること。

この経験からケンは忘れずにダブの帰宅時の確認を怠らないようになった。

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暖かい2月の雨が降る早朝、
切り干し大根と糸こんにゃくをノンオイルで煮た。
優しい味で体の中からスッキリした感じがする。
日本中がコロナウイルスの猛威を恐れて、あるいは静観している。
こんなとき、心のベクトルは恐ろしいウイルスをやっつけることではなく、
自分の体の働きを邪魔するような行いをせず、
本来持っている自然な体の働きを応援すること。
切り干し大根と糸こんにゃくの煮物は救世主的献立に思える。

マクロビオティックでは病気の原因は血液の汚れ、酸化血。
陰陽の食養が成立するのには、千島喜久男博士の腸造血説が元にあります。
食べたものは最終的に腸の絨毛から吸収されて赤血球になるという説。
千島学説についてはお茶の水クリニックの森下敬一博士が有名ですが、現代医学には受け入れらていません。

”私たちは食べたもので出来ている”
”私たちは食べ物のオバケ”
という話は大げさでも迷信でもなく、腸造血説に基づいた教えです。
とにかく強い血液にするためには、
高タンパク、高脂肪を控えて全粒穀物を中心とした食事にすること。
病気の種類はいろいろあっても、
原因はたったひとつ”血液の汚れ”なのだと理解すると、
健康についての捉え方もまた違ってくると思うのです。


<今日の献立>
切り干し大根と糸こんにゃくの煮物
白菜と人参のピリ辛酢漬け
なんちゃって炒り卵(豆腐)
小松菜とキノコと油揚げのネバネバ和え
干し柿と梅干なます
玄米ごはんor小豆雑穀ごはん
ごま塩
お味噌汁

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18歳の老猫、だいちゃん。
昨晩、だいちゃんの好きな座椅子から転げ落ちるようにゆっくりと仰向けになったと思ったら、そのまま動きもせずいるので心配になった。
爪がひかかってしまったらしく手助けすると起き上がったけれど、
後ろ足が全く立たない。
何度も転びながら水を水を飲みに歩く。
不安になって、
ケンとshoさんを呼んで、しばらく様子を見ていたら歩けるようにはなった。
それでもふらふらとしている。
足が痺れたのかもしれない。
少し安堵したけど、老猫だから楽観視はできない。
だんだんと、寝ていることが多くなって、
にゃあにゃあの声も大きくしゃがれてきた。
ごはんも少なめ。
体は思うようにならなくなっていく。
目はほとんど見えていない。

今朝、歩き方がおぼつかない。
それでもごはんを食べて、呼べば目で合図して、
撫でるとしっぽをクルクルと回して、
この時間は永遠ではないのだと、実感をともなって腑に落ちた。

あなたは今そのままで完全な愛だということ。

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春の暦になって、まだ数日というのに・・・
毎日が1年を凝縮したように濃密だ。
その濃密さに欲しくもないおまけがついてきた。
2階の洗濯機の取水口と排水溝が凍って、
洗面所の水が排水溝へと流れず溢れてしまった。
水浸しになった1階の廊下をバスタオルで拭くと寒さのあまり廊下に氷がはりだす始末。
スリッパで歩くと転びそうになるのをこらえて拭く。
トイレに続く廊下で義母が転ばないようにありったけのタオルを敷き詰めた。
案の定、お風呂も凍ってしまった。
昨年修理したばかりのお風呂、管が割れてしまっていたら再修理になる。

原因を探るべく半日試行錯誤でやっと洗濯機が動いた。
お風呂も大事にはいたらず、でも対策が必要だと学んだ。
溜まった洗濯物に取り掛かるけれど、
厚手のものを乾かすのには午後からの日照時間では足らない。
ホッとしたので気が緩んだのか、文句のひとつも言いたくなった。
だけどたった一言の文句やため息も無駄なエネルギーなので使いたくない。
ただひたすら、もくもくと動いてエネルギーのベクトルを変えてやる。
節分過ぎてこの数日の顛末をあれこれと考えるだけの余裕もないほど、
考える余裕を持つ間もなく、
ただひたすらもくもくと家事をする。
そうでないと、濃密なドラマを作り出してしまいそうだ。
そう、ドラマティックに仕上げて感情に浸るのも悪くない。
その選択肢も残した上で、
然るべき時、そのタイミングでドラマは整理していこう。

そう思った日の夜ごはんの後で、

夫が「キレイなものを見せてあげる」と外へ連れ出すもんだから、
虫は嫌だからねと言いながらマフラーを巻いてしぶしぶと外へ出ると、満月。
雲のない夜空の満月独り占め。
凍る夜空にふたりで星座を眺めていると、
濃密な数日間のドラマが言葉の力を借りずにカテゴライズされて行く。
そうじゃないな、全て夜空に組み込まれてしまった。
濃密と感じていたものが「約束してきたこと」だとわかった時、
本当に心の底から湧いてきたもの、それが感謝だとわかった。
ありがとう。

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新型肺炎が生物兵器ではないかという説がネットで広がってきて、
なんと物騒な世の中だろう。
昔、ソフトカバー本で法然上人を読んだことがあって、
平安末期の「末法の世」という仏法用語?が出てたけれど、
今はまさに末法の世のようだなと思いつつ、できることから始めよう。

梅干しを使った万能常備菜の梅ごぼうで免疫力アップ。
発酵食品にヨーグルトは手軽ですが、
乳製品が苦手な人でも家にる古漬けなどの乳酸菌で大丈夫です。
古漬けがなくても、瓶詰めされたザワークラウトがあります。
できれば有機キャベツと塩だけのものがベストですが。

とにかく、落ち着こう。
こういうとき、私は法然上人が「お念仏を唱えれば救われる」と、仏教に新風を吹き込んだのには「安心させる」という意味合いがあったんじゃないかと思う。
人は救われると約束されているのなら、嵐の中にいても心はその逆よりも落ち着いていられるんじゃないかと思う。
地獄絵図とか見せられたら誰だって恐ろしい(今なら日々流れるニュース)、
かといって病気や飢餓が蔓延するこの世も恐ろしい(死への恐怖)、
一体どーしろと?
そんな時代に現れたに法然上人のお念仏に民衆は「安心」しただろうな。
もちろん、ものすごく厳しい修行で悟った法然上人だ、
どんなに窮地に立たされても信念を曲げることがなかった法然上人だ、
そこにはうわべの「安心」だけを説くわけがない。
本当に、嘘ではなく実体験としてお念仏の「安心」があったはずだ。

私が「今は梅ごぼうです、そして発酵食品ですよ」と言ったところで、
は?ですわな。
ウイルスのような悪を退治するには新薬が必要だという時代の流れではなく、
私が迷信のように扱われている食品を信じるのは無理なく「安心」があるだからだ。
昔はどの家にもあった梅干しを使った伝統食であるということ、
またはインフルの季節に、ちょうど各家庭には冬に漬け込んだタクアン、信州ならば野沢菜の発酵が進んで、酸味の効いた漬物を食べることで養生をし、もれなく「安心」が付いてくるという循環があるから。

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スーパーの春キャベツが安くなってる。
ふんわりと巻いた春キャベツ、柔らかくて美味しそう。
今年は冬らしくない冬で、冬将軍がいつ来るかと武装して待ち構えていたすぐ横を通り過ぎていった様子。
武装解除ですな。

 

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佐久市岩村田にある南米カフェ”カサリブレ”で歌います。
このライブは「maile ukulele club(マイレウクレレクラブ)」さんと「11月のトマト」さんが出演のライブなのですが、私はマイレさんの枠で数曲歌います。
最近はほとんどライブをしていないので生きてるユッコを見に来て(笑)

以下、チラシから出演者の紹介を抜粋しました。

マイレウクレレクラブさんは上田、佐久、小諸で2014年より活動開始。
現在は7,8名のメンバーでイベントやライブを行っています。
ゆったりとしたハワイアンの風を体感してください。
11月のトマトさんは自然と体が動き出す心地よいR&Bなど、世代を超えて楽しんでいただけるセットリストを用意して盛り上げます。
今回はカフェライブということでアコースティックなアレンジでしっとりと。

2019.3.3 open14:00 /start14:30
Ticket  2000yen(1Drink+Tapas)

チケットはカサリブレさんまで
※チラシには私の名前は出ていませんが出演しますのでご安心を。
佐久市岩村田760-2
0267-85-2884

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1月のおそうじの会の後10日間を経て2月のおそうじの会を開催しました。
毎年恒例になっている正眼院の節分会、今年は休日ということもあり約400人の参詣者であったと地元のテレビ局が報じていました。
2月のおそうじの会は平日でしたが、節分会の片付けを兼ねた清掃ということもあって参加者は15名程、都合をつけて参加してくださいました。

1月の献立はきんぴらごぼうを使った中華サラダ、白菜の和え物、ひじき蓮根には冬土用を意識して土のエネルギーのひよこ豆を加えました。
定番の味噌漬けこんにゃくは玄米味噌に二日漬け込み陽性の強い調理法で寒い冬の調和を意識しました。

信州の2月はまだまだ根菜がおいしいと感じられます。
ゴボウと厚揚げのごま酢和え、切り干し大根と白菜の漬け込み常備菜、人参の酒粕和えなどに加えて南から春の苦味「菜の花」が店頭に並び始めたのを見て、二十四節気の立春に意識を合わせて菜の花とブロックリーのくるみ味噌を添えました。菜の花の苦味が体に染み渡り目覚めさせてくれます。

おそうじの会は六根清浄のお掃除の意味合い、和尚さまの指導のもと坐禅、俳優の吉祥美玲恵さんの心に波紋を投げかける洗練された言葉のチカラ、そういった世界観の中で心を磨いていきます。
おそうじの会のように年齢も体格も違う人たちが集う時、
その時に全ての人たちが100%玄米をおいしいと感じるかといえばそうではありません。全ての人においしいと感じてもらうために多めの油や純度の高い甘さを使うという手段を使わず体も心も満足してもらえるだろうかといつも考えます。

その世界観の中で様々なレシピを参考にして季節を感じて料理していますが、最近はもうひとつ明らかにしていきたいことが出てきました。
それは自分の立ち位置です。
私はクシマクロビオティックのアドバイザーという資格があるということよりも実践者という立ち位置に立っているということです。
そこではマクロビオティックの陰陽の羅針盤の正しさを伝えるよりも、その羅針盤を使って自分を知るという意味合いがとても大切に思うのです。
誰もが本当の自分を見ることはできません。
鏡に映して初めて自分を見ることができます。
その鏡が曇っていたり割れていては、間違った自分を見て生きていることになるではありませんか。
ごまかしていい気になっているより、本当は鏡に不調和な自分が写ることの方がどれだけ幸せなことかしれません。
自分の立っている場所、不調和を知っても自分を卑下したり自尊心を汚したりする必要は全くないどころか、それは初めてスタート地点に立った祝うべき瞬間なのです。

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寒い日の星はいっそう輝く。
子どもの学習教材には大人の趣味にも使えるものが結構あって、季節ごとの星の航海図を見ることができるセロファンはその中でも私のお気に入り。
方位を確認しながら見上げてみればほぉー!と感激する。
星を見たいと思う時は、いつも何か迷っていたりするときで、
私は多くこれまで、自分のことに関しては相談することができずに生きてきたけど、頭の中がぐるぐるしちゃってどうにも解決できそうにない時は星を見る。
実際に夜空を見上げるだけでなく、星に関する様々なものがたりを読む。
2月に入って、まだ星を見上げているのにも理由はある。
球状の頭に中のプラネタリウムには無数の星が広がっていて拡張し続けている。
新しく発見した時は間違いなく新しい世界が現れている。
まだ発見していないだけで、星は今ここで生まれて続けている。
迷っている時、解決できない時、まだ気がついていない星があるということ。
星と星が星座を作れば私だけのものがたりが生まれる。
そうして頭の中の星めぐりは今日も続く。

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