エネルギッシュな人たちに出会い、心が昂って眠れそうにない。
ワインをスプリッツァーにしていつもよりちょっぴり多く飲んだ。
コミュ障の私にとって、初対面の人との出会いは緊張して空回りするので、ほぼ苦い体験になる。
頑張って年相応に振る舞うけれど、ハズしてしまうことも多い。
相手を知ろうとするアンテナの感度が失礼なくらいに高くなって、
話しているのに言葉に集中できない。
それでも私は私って、そう簡単には思えないよ。
今日こそはマウスピースをして眠らないと、歯が欠けそう(笑)
笑えないけど(笑)って印をつけて、なんでもないように装いたい。
これがホントなんだ。
ここではじめて私は私、って受け入れた。

対応をマニュアル化できない私は損をしているのか、
コミ障を克服したら私は得なのか、
克服することで私は自分が期待する自分になれると信じているのか、
これはまさしく葛藤だと思って眠った。

朝、目覚めたらこの葛藤こそが無意味だと理解した。
それは、私は人が嫌いなわけではないことがわかったから。
この思いに救われた。

新しい人と出会うこと、自分とは相対的な人であっても、
あなたを全肯定したいと思っていること、
あなたのありのまま、本当のあなたを受け入れる準備ができていること、
だから、私はこのままでいいと思った。
その場で損に感じるのは錯覚にすぎない。
私の心は相手が嫌いではないどころか全肯定だから。
私のコミ障は、私の心になんの影響も与えられない。



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月末がやってきた。
おそうじの会の前日は買い物や最終準備の日。
当日、私がリラックスしてお料理できるようにと祈るような気持ちで、
数日前から準備を始める。
頑張ったり急いで料理をすると、体だけじゃなく心にも負担がかかる。
この負担は料理にも影響するので、理りに芯がなくフワフワと漂うばかり。
食べることの目的となるグラウディングが出来ないばかりか消化も悪い。
数日前からお米を選別したり、乾物を揃えたり、調味料を作ったり、漬け込んだり、一工程づつゆっくりと手順を踏む。
当日の朝、私がリラックスして不安なくワクワク迎えられた時、
私の役目の大方は終わったと安堵する。

マクロビオティックの中でもヒーリング料理と呼ばれている優しい料理を作る。
おそうじの会という名の通り、掃除と座禅という流れに乗って、料理もパンチより自然な甘さ、と考えたから。
苦手なものがあってもいいように、
料理は少量づつ盛り付け、玄米ごはんとお味噌汁はおかわり自由。
参加人数が確定ではないのでメインとなるような料理はない。
数品のお惣菜とお寺のお漬物が添えられる。
作った分だけを参加人数で分け合って食べるので、ひとり分が多い時もあれば少ない時もあるけど、
しっかりと漬かったお漬物とお味噌汁と玄米ごはんにごま塩で充分なので、どんな時でもどうにかなる。

今回は和え物が多くなった。
なので、茹でたゴボウと厚揚げの和え物を、金平ごぼうと厚揚げの和え物に変更した。
今回はサツマイモやカボチャ、小豆など秋の食材を使って、自然な甘さを引き出したい。
味見をしながら味覚って色々だなと思いながら、
稀に食べられなくて残す人のことを胸の痛みと共に思い出す。
その時の私は相当ショックだったに違いない。
そういう方は二度と参加しない。
私も最初の頃に小豆カボチャが食べられなかった経験があるから、わからないでもない。
今、私にできる最善を尽くすだけ。

私にとっておそうじの会は噛めば噛むほど味がでるスルメみたいな感じ。
前準備の時間と当日、二度美味しい。
そして、音楽という特別な立ち位置とは違う経験が私を待っている場所。
音楽が「私」という経験だとすると、おそうじの会は「私たち」という経験。
ひとりで完結させたいシンガーソングライターは、やっぱりひとりで料理をするし、人との間にちょっとした距離感が必要なんだけど。
ピアノから包丁へと道具は変わったけれど、私なりに人とつながっている。
この設定は私がどんなに一生懸命に考えたところで、
思いつくような人生設計じゃないなと思った(笑)

幸せは想定外からやってくる。

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音源を整理していたらMDに録音されたPat Metheny Groupの「If I Could」、
大好きな曲なのに、今日初めて曲名を知った。
昔からこの曲が本当に好きでリピートして何度も聴いた。
今日だって、聴きはじめたら朝からずっと流しっぱなしですもん。

”もし、私にできることがあれば”

押し付けでなく、寄り添う感じがする。
肌触りのいいタオルとか、ふわふわのお布団みたい。
優しさが天使レベル。
youtubeなので音質がイマイチだけど。

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うちの床の間には絹織物のタペストリーが掛けてある。
風変わりだけど、私はもともと変わり者なのであって、誰も普通を期待していない。

今日、人生初の掛け軸を買った。
友人の吉祥美玲恵さんの父上、水墨画の名立帰山先生の展示会で惚れ込んでしまった掛け軸。
高価なものだけど今回はチャリティー展示会、安価に販売されていたおかげで私にも購入できた。
天地の色が美しいブルー。
水墨画で描かれているのは、おちゃめな仙人。
食べてはいけないと言われていた桃を食べてしまったばかりに、
地上に降ろされ千年生きてしまったと言う中国に伝わる話が題材になった掛け軸。
描かれた千年生きる羽目になった人物は、
手のひらに果実を載せ、目と歯が妙にキラキラとしたイケメン仙人。
私は千年生きたくはないけれど、
不老不死という、人類の永遠の夢が描かれた縁起のよい掛け軸だ。

掛け軸の定番は山水画で、
季節を問わないので床の間のあつらえとしておすすめらしい。
3日間の展示会の最終日ということもあって、山水画の掛け軸は3幅ほど。
私の他にも何人か帰山先生のアドバイスを真剣に聞き入っていた。

家に戻り床の間に直行、仙人の掛け軸はすぐにうちの床の間に馴染んだ。
掛け軸の見立ては難しいと敬遠していたけれど、
ご縁のある帰山先生の掛け軸がかけられたことで、
やっと納得のいく客間として整った気がした。
部屋が整ったのはもちろんだけど、最初に整ったのは心の方だった。
私が選んだのか、仙人がうちを選んだのか、
わからないくらいに馴染んでいる。

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今朝はお線香を焚いた。
母と姉と私の3人で、何年か続けて温泉旅行に行っていた頃の思い出のお線香。
毎年、中津川にある加子母観音さまをお参りした。
隣にある仏具屋さんでお線香を買い、お茶をいただく。
ここ数年、母の体調を気遣って旅行は行かなくなったけど、
その時に買ったお線香は大事に使っている。
お香やテルミー芯を焚くことはよくあるけれど、
母を思い出した日にはお線香を焚く。
時々電話で話すくらいのドライな親子関係なので、
”思い出す”というコミュニケーションでも十分わかりあえる。

中学を卒業する頃、急に太り出した私は高校3年間もぽっちゃりしていた。
いつも不足感を感じていて、
その不足感を補うようにお菓子を食べた。
外食の時には料理がテーブルに運ばれると、少食の母は自分が食べる分をお皿に取り分け残りを私の横においた。
いや、私は自分の分だけでお腹いっぱいなんだ。
でも横に置かれたものを残すことが出来なかった。
私がすっかり食べ尽くすと母は満足そうな笑みをしていた。
美味しいものをたくさん食べさせることは、母の愛情表現だったから残せない。

その頃は、食べることで心を満たそうとしていた気がする。
音楽に親しむようになって、
今度は音楽で不足感を補うようになった。
そんな私にとってコンテストは自分の価値を高めるものだったし、
賞を獲得すると、しばらくは完全な自分になった。

しばらくの間は。

でも、また不足感がやってくる。
そのうち、どんなに頑張ってもうまくいかなくなった。
その時から私は今もずっとダメな自分と人生を歩いているんだと気付いた時、
ちょっとショックだった。
不完全な自分を補う何かを求めて彷徨いながら。
何でも一生懸命に頑張れば、なんとか満たされるものだけど、
これまでと同じで、それは長く続かない。
そして掴んだものを手放さないように、必死で守ろうとし始める。
それは絶えず恐れている状態だ。

もう不足感を外側のモノゴトで埋めることはやめた。
外側のモノゴトでは満たされない。
過去と未来から自由になる。

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今日も暖かい1日だった。
深さんは一日中、庭の落ち葉を集めては堆肥箱に運んでいる。

数日前に庭のゴミが片付いたことで(正確には庭の一部)ケンは先の見通しが立ったのか、朽ちた床材を壊したり、廃材をまとめたりと滞っていた作業を始めた。
今年中に残りのゴミ、多分トラック一杯分になるだろう粗大ゴミを業者に依頼する手はずになっていて、いよいよこの先は修理をしたり、作ったりと、やっと描いた庭作りに取り掛かることになる。
私には庭あそび程度だけど、
ケンにとっては自分の根っこと繋がるというか、大きな挑戦というか、私にはそう見える。
ケンの祖父はとてもキレイ好きだったそうだから、
その時の風景を取り戻したい思いもあるらしい。
そして祖母は今でいうところのミニマリスト、きちんと整理された物は少なかった。
私も義祖母のようにしていこうと思う。
2年前、ケンが中学生の頃に作った小屋を壊す事から始まった”大人の庭あそび”。
その時は、私にも描いていた庭があった。
でも描いてきたものを整理し始めると、形に残したいものなどひとつもなかった。
結局は何もいらない、大地が呼吸し始めるのを望んでいる。

この庭を描くのはケンの人生の課題なのかもしれない。
基本的に私は相談されたことに対して意見をいうくらいでいい。
私の希望はゴミが片付くこと、それ以上でも、それ以下でもない。
空いたスペースにはハーブを植えることでゴミを置かないようにするという提案をした。
本当に、何もいらないのだ。

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今日はとても晴々とした気持ち。
空もスカッと晴れ渡って暑いくらい。
上着を一枚脱いで、ベランダに面したベッドの上で干された布団にうつぶしてたらウトウトしてしまった。
おひさまの匂いを吸い込んでエネルギーチャージ終了。
新月の影響なのか、
ウトウトしながら心配事が浮かんできたけど、去っていくのも見届けた。
バイバイって。

ストレスがかかっているそうで、食いしばりで歯が欠けた。
歯も弱いけど精神的に弱いのも露呈した感じ。
さっそく歯医者へ。
結局3本欠けてた。
マウスピースの出番。

帰りに近所のスーパーで安いオーガニックワインを見つけた。
なんと680円。
夕食前に少し飲もう。
キースジャレットを聴きながら。

自分の心をちゃんと見ることができるようになるまで、私は変われない。
心の中を見るのは少し怖い。
それでも、見ていこうと思う。

不安な人の代わりに誰かが、誰かが恐れている人の代わりに何処かで祈っている気がした。
私が不安な時、恐れで祈れない時でも誰かが祈っている、そう思ったらひとりじゃない気がしたし、本当のコミュニケーションが心だと理解した。
歯医者さんの待合室で会計を待ちながら、
ひとりじゃない気がしたし、これをワンネスと呼びたいと思った。

私が青く晴れ渡る空を見て、晴々とした気持ちでいる時、
不安や恐れに苛まれている人の代わりに祈ります。
祈ることが難しい人の代わりに、私が祈ります。
いつも祈りと共に。

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私の作品は恋愛系はほぼなく、
ライフワークになっているスピリチュアルな探求が根底の歌が多い。
生きることや死ぬこと、心について知りたいとずっと思ってきた。
はじめて挑戦したコンテストで歌詞の指摘を受けた。
どうしてこんなに苦しいのか、普通に生きられないのかと思っているのに、
世間は私が思っていることには関心がないのだと言われた気がした。
そりゃそうだと納得したけど、納得したからと言ってそんな詩が書けるわけもない。

自分がいつも思っていることを整理し話すことで理解が深まることがある。
歌にすることで感情がリアルになることがある。
でも探求者に会う機会はほとんどなかった。
時には聞き上手の人がいて共感してくれるし理解も示してくれる。
心の中が整理されていくのがわかるから有り難いなと思う一方で、
相手にとって苦しみだと思っていないことを、
相手の人生には全く不必要な苦しみの概念を、
私が押し付けているような気にもなった。

書籍の中で出会ったマスターたちの言葉には、
時代の変化には全く影響を受けない真理がある。
苦しみの根底にあるものの正体がうっすらと見えてきた。
違った苦しみが発生しているわけではなく、正体はたったひとつ。
目の前で繰り広げられるものごとに右往左往している時には、
真理は絵空事のように思われるし、
それよりも大事なことがあるような気がして真理は後回しになる。
人によっては宗教的だと敬遠してしまう。
それは深いところで真理に触れたくないという抵抗だと思う。
私たちはすでに深いところに平安を授けられていると、マスターたちは言う。
自己の内側深いところにすでに平安がありながら、それを外側に求めて、それなのに平安を恐れているとも。

すでに深いところで受け容れられているということは、
救いにはならないだろうか。

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美しさの基準というか、ベクトルが変わっていく。

この世界の美しさは相対的だけど、
時々、絶対的な美しさに触れる瞬間があって、
その体験は普通すぎて記憶に留まらないのか、
言葉に変換するまでもないくらい身近なものだからなのか、
よくわからないけれど。
私はすぐに相対的な世界の美しさに惹かれてしまうけれども、
心のどこかに潜むその体験は、
一旦その美しさを体験してしまえば、
相対的な世界の中にもそれらを見ることができるようになる。

ただ、絶対的なものを見たいと決断するだけで、
誰の中にも相対的ではない絶対的な美しさが現れる。
絶対的なので個性はなく、全員が同じ美しさを秘めている。

これが、ワンネス。
これが、私たちがひとつだということ。

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11月の暖かい日、昨日は貴重な日だった。
それなのに、軽いけれど頭痛。
ここで無理をすると重症化するので午前中は刺激を避けて暗い部屋で休む。
おかげで午後、収納庫の新聞紙や段ボールを紐で結わえて整理した。
暖かいからと、はやる気持ちを抑えて午前中に休んでおいてよかった。

明日、業者が来て庭が片付く。
それまでに家の中を整理して、いらないものは出しておこう。
庭のゴミだけでもトラック2台、積めるかどうか微妙だけど。
庭が片付く日を思うだけで、毎日ワクワクしていた。
心が躍ります。
このブログを始めたキッカケ「大人の庭あそび」がやっと始動するから。
塞がれていた土が顔を出し、陽が当たる。
大地が呼吸を始めるイメージをするだけで、私の呼吸も深くなる。
心が躍ります。

「大人の庭あそび」を計画した頃、
まさか外出を控える時代がやってくることは予測していなかったけれど、
庭の有効利用が時代とマッチしているような気がして、
当初の計画よりも遊びの要素は広がった。
アウトドアは苦手だけど、自分ちの庭なら自分流で楽しめそうな気もしてきた。
心が躍ります。

冬でも、時々やってくる貴重な暖かい日は庭で過ごしたい。
あー、心が躍ります。

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