12月, つぶやく:受け取る勇気

11月のおそうじの会は少ない参加者で開催しましたが、
それでも少ない時には、その様に、会は流れます。
滞ることなく。
コロナ以降、参加が難しくなっていた方が半年ぶりにおいでになって、
再会を喜びました。
不思議に喜びという感情には私という固有の感覚はなく、
実際には「私たち」というなつかしい感覚です。
今回は参加していないけれど彼女を知っている人も同じように再会を喜んでいるし、今回参加した私たちが、今回は参加していない人の分まで喜んでいます、という感覚です。わかりづらいですが。
さらに広がる意識では、知っている人であろうと、そうでなくても「私たち」という感覚が自分にマッチした自然なサイズ感になるので、喜びが「私たち」になると固有の意識が浮上する空間がないのです。
わかりづらいですが。

少ない人数だったせいか、
お寺の広い研修室にかけられたTさんが描いた絵に目がいきました。

癌を患っていたTさんは、おそうじの会が始まった当初から参加されていました。
闘病中で腫れ上がった腕は痛々しく、
病気のせいで生活も困難だったTさんの口から出る言葉はいつも刺々しく、
顔つきはお世辞にも優しそうには見えませんでした。
最初の印象は無礼な人、そして怖い人でした。
それでも彼女の不信感に真摯に向き合う会のメンバーたちとのやりとりを見ているうちに、私の中でもTさんに対する印象が変わっていきました。
とても正直な人であること、そして歯のない笑顔がすごくかわいいので悪態はひとつのコミュニケーションだと思えるようになりました。
Tさんのことだから、歯医者さんにまで悪態ついて出入り禁止になっても不思議じゃないと思ってました。
おそうじの会ではTさんの悪態に笑う人はいても険しい顔の人はいません。
そうしているうちにTさん自身がみんなの話を聞く心を持つようになりました。
この変化がTさんの癌を小さくしていくと信じていたところに、癌が再発します。
もう手術はできない状態でした。
それからのTさんは穏やかで仏さまのような柔らかい顔つきになっていきました。
前のような悪態を聞くことがなくなりました。
これまでとは別人でした。

Tさんの人生を知っているわけではありませんが、
彼女は長いあいだ人を信じられないまま生きてきました。
苦しかったと思います。
有名大学で真理を学び、その後も真理を追求し生きてきた人でした。
晩年は内面の恐れすら隠すことなく表した独創的なコラージュ作品が評価され、保存状態が悪いものは専門家が手を入れ展覧会も開催しました。
人に対して不信感があるので、いろんなところで人とぶつかってきましたが、
反面、動物には愛が深く、経済的に余裕がない時でも自分の食事よりも飼い猫のごはんを優先していたくらいです。

行き場を無くしそうになったTさんをおそうじの会に誘ったのは吉祥美玲恵さんでした。
思うようにならない体でも、元気だった頃には毎月欠かさず参加していました。
癌の再発後は吉祥美玲恵さんが呼びかけ人となり、
おそうじの会の参加者も彼女の家を掃除に行きましたし、
最後の入院中には付き添い、天に召される時には寄り添いました。
会を主宰する正眼院でお別れの会をし、亡骸はお寺で眠っています。
彼女のお別れ会にはたくさんの人たちが集まりました。
多くは私の知らない人たちでしたが、
彼女が悪態をついてきた人たちだと思うと、
Tさんは愛されるために生まれてきた人だと即座にわかりました。
闘病から解放されたTさんへの労いと、最後のお別れに集まった私たち。
長年疎遠になっていた遠方の親族たちも連絡を受けてお別れ会には来ましたが、
早々に帰りました。
その関係性も彼女が選んだ人生です。いいも悪いもありません。
同じく疎遠だった彼女の一人娘が最後まで残り、
葬儀の後も母親がお世話になった人たちに支えられて後片付けをしていました。
娘さんは母がこんなにもたくさんの人に愛されていたことに驚きを隠せない様子で、最後の挨拶では自分が知らなかった母を慕う言葉を涙で語りました。
親戚の方たちは、たぶんTさんが回りに迷惑をかけてきたのではないかと、親族であるがための苦しみがあったと思います。
親族であるがために、本当は愛しているのに愛せない苦しみ。

Tさんは愛を受け取った人でした。
そして、愛を受け取ることで愛を与える人に愛を与えました。
私には愛を与えることはそんなに難しいことではないように思えます。
愛は水のように流れるからです。
それよりも受け取る勇気の方が何倍も強い愛なのだと教えてくれたのがTさんでした。

Tさんの苛立ちは病気に対するものだったかも知れませんが、
「これでも私を愛してくれるの?」という反乱の人生だったように思います。
Tさんは不自由な体で会にやってきて悪態をつきますが、会のみんなは彼女に悪意がないことを知っています。
住職もおくりさんも慈悲の心で彼女を支えました。
病状がひどい時には体に良い水を届けられました。
Tさんがだんだんと人を信じることができるようになった時、
それは彼女が自分の死を受け入れた時だと思います。
歯のない口元を横に引き上げたかわいらしい笑顔を見ることが多くなりました。
葬儀の時に娘さんとお会いしたら、Tさんと似ているものの、とてもかわいいお嬢さんだったので、若い頃のTさんはべっぴんさんだったと知りました。

Tさんの抗がん剤治療が始まったと聞いて数ヶ月たったある夜、友人から連絡をもらい彼女に最後のお別れをするつもりで病院に向かいました。
覚悟はしていたけれど、また元気になっておそうじの会にやってくるかもしれないという希望も抱いていました。
病棟では看護師さんが慌ただしく業務をしているというのに、
それはTさんに対してではなく他の病室の患者さんの処置に追われていたのです。
Tさんにはもうすべきことがないように見えました。
点滴チューブにつながれてベッドに横たわっているTさんの横には、彼女の知り合いの女性がいました。
付き添いの女性から頼まれて、私がしばらく付き添うことになりました。
Tさんは薬で朦朧としていましたが、時々痛みがやってくるのか唸りました。
「わかる?Tちゃん、ユッコだよ、がんばったね、すごいよ、本当によく頑張ったね」と声をかけると、口を横にグーっと広げて笑いました。
たった一度きり笑うと、その後はフゥフゥと息をして意識が遠のいていきました。
最後に見せてくれたかわいい笑顔は少女のようなべっぴんさんでした。

おそうじの会で、何度も何度も何度も「頑張って」と言ってきたけれど、朦朧とする彼女を見て、頑張ってとは言えませんでした。
もう、頑張らなくていいよと、本当は言ってあげたかったです。
その日の夜遅く、Tさんは天に召されました。

彼女が亡くなって4年になりますが、
今でもTさんは愛を受け取る勇気がどんなに強い愛かを教えてくれた大切な友達です。

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