11月, つぶやく:平安を恐れている

私の作品は恋愛系はほぼなく、
ライフワークになっているスピリチュアルな探求が根底の歌が多い。
生きることや死ぬこと、心について知りたいとずっと思ってきた。
はじめて挑戦したコンテストで歌詞の指摘を受けた。
どうしてこんなに苦しいのか、普通に生きられないのかと思っているのに、
世間は私が思っていることには関心がないのだと言われた気がした。
そりゃそうだと納得したけど、納得したからと言ってそんな詩が書けるわけもない。

自分がいつも思っていることを整理し話すことで理解が深まることがある。
歌にすることで感情がリアルになることがある。
でも探求者に会う機会はほとんどなかった。
時には聞き上手の人がいて共感してくれるし理解も示してくれる。
心の中が整理されていくのがわかるから有り難いなと思う一方で、
相手にとって苦しみだと思っていないことを、
相手の人生には全く不必要な苦しみの概念を、
私が押し付けているような気にもなった。

書籍の中で出会ったマスターたちの言葉には、
時代の変化には全く影響を受けない真理がある。
苦しみの根底にあるものの正体がうっすらと見えてきた。
違った苦しみが発生しているわけではなく、正体はたったひとつ。
目の前で繰り広げられるものごとに右往左往している時には、
真理は絵空事のように思われるし、
それよりも大事なことがあるような気がして真理は後回しになる。
人によっては宗教的だと敬遠してしまう。
それは深いところで真理に触れたくないという抵抗だと思う。
私たちはすでに深いところに平安を授けられていると、マスターたちは言う。
自己の内側深いところにすでに平安がありながら、それを外側に求めて、それなのに平安を恐れているとも。

すでに深いところで受け容れられているということは、
救いにはならないだろうか。

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