10月, つぶやく:日が昇る少し前、月を見た

日が昇る少し前、月を見た。
月の一部に太陽があたり、私から見ると三日月🌘と呼ぶ月に見える。

誰かの一部に光があたると、私から見ると🌘と呼ぶ人に見える。
その形に名前を付けて、そう呼んではいるけれど、
太陽の当たらない見えていない部分も間違いなくその人で、
宇宙の中を唯一無二の完璧さで調和しているから存在している。

あっ、三日月だ!

と、指をさす。

見ている自分が隠れた部分を見ることができないだけなのに。

あの人はひどい人だ!

と、指をさす。

見ている自分が隠れた部分を見ることができないだけなのに。

三日月を見るときに
人を見るときに、
名前をつける前に、
概念で決めつける前に、
隠れた部分を見ることができない自我の不確かさを知っておこう。

見ようとすれば薄っすらと透ける月が見えるかもしれない。
見ようとさえすれば、存在として完璧であるあの人が見えるかもしれない。
それが本当の月の姿、それが本当のあの人の姿。
私もそれが本当の姿。

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