10月, つぶやく:神さまが私を田畑で使い物にならない人になさった

稲刈りから1日たって、手足は筋肉痛、腰はガチンガチンに固まっている感じで、痛かった親指の爪はテープで固定した。

ぬかるんで稲刈りできなかった場所は週末にやることになった。
今日は晴天、週末まで続いてくれると嬉しいのだけれど。

昨日は本当に疲れた。
それもそのはずで、これまでは2人か3人で運んでいた稲を、今回は私ひとりで運んだのだから💪
同居家族が多い頃には、たくさん収穫するために義父は肥料を入れて米を作っていた。
その時には稲の背丈も米粒も生育がすこぶるよかったので、手伝う家族の手も多かったけど、稲刈りは家族総出でやってほぼ1日かかった。
それでも前準備は念入りで、前日に田んぼの回りの稲だけは刈って束ねておく。

私たちが米を作るようになってからは化学肥料をやめて、しばらくは有機肥料を入れていたが、ここ数年は肥料を入れないので背丈も短かく粒も小さく、収穫量も減った。
知り合いで米を作っている有機農家さんに、粒が小さいと少し自虐的に話すと、うちの米が小さいわけではなく、これが普通だと笑い飛ばされた。

今は家族4人、米の収穫量も作業量も私たち家族にはちょうどよくなっている。
米は小粒ながらに甘みがあって美味しい。

私は稲を束ねるのが少しだけ前よりもマシになった。
初めて田んぼの手伝いをした時には田んぼにいるだけで疲れた。
稲刈り後に残っている稲の株の上を踏んではバランスを崩してよろけているものだから、家族から見た私は「使い物にならない人、アテにできない人」で、今も変わらない。

私は農作業の経験のない母から、それがどんなに大変な作業なのかを小さい頃から聞いていた。
なので農作業は自分の人生には無縁だと思っていた。
それが今や、汗をかきながら埃まみれで稲を運んでいるのだから、私自身が一番驚いている。
今でも私は田畑で使い物にならない人で、人足としてはアテにできない人。
農作業が好きかと聞かれたら、家で料理する方が好き。
世の中に農作業が好きでたまらない人もいるのに、なぜか神さまが私を使い物にならない人にしたのには何か意味があってのことだと本当に思っている。
これから先も家族の期待に応えるようにはなっていかない人なんだろうなと思う。

大変だからやりたくないという気持ちはとうに卒業したけれど、かといって楽しくやらなきゃいけないという強制もないので、この環境を受け入れるということが私の終着点でいいと思うようになった。
楽しくなくてもいい、情熱がなくてもいい、受け入れさえすればいい。
神さまが私を田畑で使い物にならない人になさったのだから、そのまま受け入れさえすればいい。

母は農作業の大変さを知っているので、
私が値段が高いと感じるものを安いと言い、
これを作るのにどれだけ大変かと、私を諭す。

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