9月, つぶやく:今日はダメなやつ

幼なじみのMちゃんと久しぶりに電話をする。
都会でキャリアを積んでたくましく生きていた。
前に話したのは一年以上前のことで、
その時の彼女も自分の仕事に誇りを持っていて、だからそれまで勤めていた会社を辞めて自ら希望する会社へと再就職をしたところだった。
今年届いた年賀状に書き添えられていた元気でいるという便り以降、コロナ自粛の時にも連絡はとっていなかった。
お互いに不精なところがよく似ている。

数十年ぶりに、Mちゃんは故郷へ戻った。
Mちゃんと私は故郷の家族同士もよく知る間柄で、うちの母とお茶をすることもあるほど仲良しなのだ。

10代の後半、Mちゃんと私は厳しい両親の元に生まれたことで自由を奪われたと、互いにその不幸な境遇を慰めあった。
音楽=バンド=不良、みたいな縮図がある時代に、親に反発するように私たちはバンドにのめり込んだりして。
私たちは早くに結婚して地元から離れた。
20代、30代、40代、50代と時々だけど長時間に渡って電話で話した。

・・・・・書けなくなってしまった。
いや、書いては消して、書いては消して。

書けない理由は、
50年以上の長い付き合いのMちゃんとのエピソードも思いも深すぎる。
ドラマの枝葉が多すぎる上に、毎度のことだが私は語彙力がない。
書き出したものの、書くほどに心から離れていくもどかしさ、何よ、これ。

書こうと思った理由は、
最近、Mちゃんが、私の母がどんなに今も私を愛しているかを語り出したから。
Mちゃんの声を伝って母の愛がダイレクトに流れ込んできたから。
泉が湧くように溢れたものに突き動かされたから。

溢れるものは愛だけど、自分が知っていると思っていた愛とは概念の違うソレを愛と仮定したいのに、自分が納得できる言葉が見つからんのよ・・・

すまん。

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