9月, つぶやく:カリンの絵はがき

連休中、友達のSちゃんと共通の友人、矢嶋玲さんの絵画展に行った。
場所は宿場町にある彼の親族が保有する明治時代の家屋で、蚕の卵を生産していた立派な古民家だ。
そこは町の歴史を物語る財産として未来へと継がれていくべき貴重な家屋。

古民家の1階の壁には矢嶋さんに描かれた植物たちが数十点、まるで山を散策しているみたい。
繊細でピュアな感性は光に現れる。
彼の五感に映った世界の光がありのままに描かれた絵画。
その光の前でSちゃんと私は癒された。
描かれた植物たちは偶然そこで咲いていたふうに思えなくて、それは彼の前にどこかから運ばれて来て、足元にそっと置かれたかのように、彼に頭を垂れていた。

画家の彼が10年以上も前にうちにやって来た時、ちょうど実をつけていたカリンが描かれていた。
うちの駐車場の向かいのご近所さんの敷地内にある古いカリンの木。
カリンはあれからずっと絶える事なく毎年実をつけている。

再会の喜びとたわいもない話をし尽くした後、しばらく連絡が途絶えていた背景に、それぞれの人生の背景が重なってくる。
それらをひとつにまとめた背景にカリンの絵が微笑んでいた。
日本の果実らしい淡い山吹色も
役目を終えた赤茶けた葉の色も、
ありのまま、そのままを愛おしさという色で描かれていた。
帰る頃には、私たちの人生のどの瞬間も全て愛おしい光で描き直されて、またの再会を約束して帰った。

私は絵のことはわからない。

一緒に行ったイラストレーターのSちゃんと私は彼の絵に心を揺さぶられた。
癒された私たちは、もっとたくさんの人に見てもらいたい絵だと言ってみたり、植物の細部にわたる観察と技法の凄さに圧倒されたり、描かれた草木の色への憧れも混じって、何度もすごいと言った。
何度もかわいいと言った。
何度もきれいと言った。
でも、本当に自分の心が言いたかったことは「ありがとう」だった。
ヘタな伝え方だったけど、ヘタなりにもうちょっと「ありがとう」が伝えられればよかったと思った。
控えめな彼は、そのままで十分なのに、
たくさんの人に見てもらいたいという気持ちが、彼の作品に足すものは何もないのに、彼自身に何か足すものがあると言ってしまったように思えてきてドキッとした。

そんなちょっと失礼な自分も植物に例えたら、
みずみずしいカリンの実よりも枝に残る枯れた茶色い葉っぱ、他の植物に隠れた毒を持つ小さな実、いい香りのする花びらの裏にトゲがあるとか、言うならヘンテコササクレ系植物なんだろうなと想像したら、悲しいような可笑しいような気分だ。

でも、彼の前に置かれた植物であれば、彼はその中に光を見て描く人なのだ。
だからこの件に関しては心配は無用だ。

彼を前にして、そのヘンテコササクレ系植物は「ありがとう」と頭を垂れるのだから。

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