9月, つぶやく:二者択一の終わり

この夏は外出を控えて、ずっと家で過ごしていた。
それなのに、肌がこんがりと焼けている。
東側の出窓に向けた机で過ごすことが多かったからだ、間違いない。

それがシミの元になると知識としては知っていても脅かされたりはしない。
体は実用品だと知っている。実用品はメンテナンスをして大切に扱えば丈夫で長持ちする。でも永遠性はないということも知っている。
体は心に従順、
心が全体性の中にあるときに体が表現していることは受け入れられる。

真実は語れば語るほど遠くなっていく、それが真実。
人間の食べるという働きを使い、ゲーム感覚で真実に近づいていくというマクロビオティックは、無限の世界からやってきて二元の世界で現れた食べ物と環境を陰陽という魔法のメガネを使って体を丈夫な実用品にしていく。
最初の目的は実用品としての体を丈夫で長持ちさせること。
それはとてもシンプルな方法で、小さな子どもからお年寄りまで、お金持ちでなくても、誰にでも簡単にできることだったはずなのに、語って語り尽くされたために真理から遠ざかってしまった。
理論はむつかしくはないのに、実践すること、実際に料理をすることに抵抗を感じる尤もらしい理由だけが個々の台所から広がっていった。
もっと簡単にできる方法がそれに変わっていった。

簡単にできる方法の第二段階は何か、それはもっと簡単にできるもので、第三段階はもっともっと簡単にできるもの。
体は心に従順なので、手っ取り早く簡単にできるものを選択する心に従い、体は少しでも早く痩せることや、少しでも早く美しくなることを強いられる。
自我に体を支配させると、体は弱まる。

だけど二者択一の時代は、もう終わりのような・・・気がする。
面倒だけどマクロビオティックを選ぶか、それとも簡単にできる方法を選ぶかという二者択一はどちらかを否定するから心は穏やかでいられない。

・・・この二つの選択の前にひとつの前提を入れるたらどうだろうか。

それは「真理は誰もが当たり前に知っている」という前提。
そんなはずはないと思おうが、自信がないと感じようが、意識してなかろうが、それは本当のこと。
自分で心臓動かしてないでしょ、食べた物の消化活動って自分でやってる?
ほら、知らないことばかり。
健康は、最初から与えられていて、約束されている働きだということも、健康な体も愛も、私たちにはすでに備わっている機能であるという前提。
その前提のもとなら、どちらを選んでもいいと思うようになった。
その前提から今起きていることを見る。
もし病気や痛みや不調があるのなら、健康が本当の自分であるはずなのに、滞らせているものは何なのかを見ること。

気付いて抵抗が起きても、問題にしない大きな心、前提に戻っていく。

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