9月, つぶやく:ゆるゆると、うさと服

春から着ていなかったうさと服を本日解禁。

久しぶりに自然の色をまとう快感。
体を締め付けず、体をふんわりと包む快感。

私が持っているうさと服の多くはライブ用なので、個性的なデザインが多い。
今年は出番が少なく、この先もライブの頻度は減っていく。
着ないままタンスの肥やしにするのは勿体ないなぁと思うし、
誰かが着てくれるなら譲り渡してもいいとさえ思った。

うさと服を1枚1枚並べてみると、過去のライブを思い出す。
「森のタネ」の伊藤さんの年に数回の展示会は毎回とても楽しみだった。
まりちゃんが「似合うよ!」と勧めてくれた服を手に取って涙がこぼれた。
だってもうまりちゃんはいない。

着よう・・・
うさとの服、着よう。

仕舞い込んだ理由は、暑い夏は機能性のある服の方がいいとか、目立ちたくないとか、大きく見えるとか、いろいろあった。
その時はどれも嘘のない着ないと決めた理由だったのに、
今ではどれもがちっぽけで、
いや、理由がちっぽけぢゃなく、
私の器がちっぽけだった。

例えば、体を締め付けないざっくりとしたデザインはぽっちゃりさんは、そのままぽっちゃりさんのままだけど、私のぽっちゃりさんはうさと服のせいなのか、いや、私はそのまんまぽっちゃりさんだ。

例えば、着合わせがうまくできなくてお出かけ前に悩むことは、うさと服のせいなのか、いや、自分が人にどう見られたいかを悩んでいるのだ。

試着の時にはイケると思ったのに、
いざ出かけるとなると一般的でないデザインに人の目が気になり出すのは、うさと服のせいなのか、いや、私の器が小さいのだ。

思えば、マクロビオティックもうさと服も、ずっと自然に同調したいと思ってきて、やっと出会えた事だった。
体も心もギュウギュウに締め付けられている社会で、
ぽっちゃりさんでも、痩せている人も、体型とは何も関係しない美しさ。
何が真実なのかわからなくなった時は自然を教師にすること。
私は色の波をまとったような衣類に、本当の豊かさを教えられた。
私の呼吸に衣類が馴染んでくると、それは私の一部になっていく。
もう手放せない。
柔らかく少し毛羽立った衣類は最後の最後まで、土に戻るまで、私と共にいる。
大切なものをふんわりと包み込むうさと服に包まれて、私はゆるゆると生きる。

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