8月, つぶやく:カナブン

家の窓は全て網戸にしてあるのに、
どこから入ってきたのか、カナブン。
小さい頃から虫が苦手だった。
突然、虫と出会ってしまったら・・・
私は勝つか負けるかの勝負に出るという具合に殺虫剤を使った。
その時の私にはゴキブリもカナブンも同じだった。
見たくない、触りたくない、虫たち。

ところが木が茂るこの家の庭は虫の楽園、クモも青虫もハチもヘビだっている。
越して来た当時からバリアを張ってこの先は知らないままでいようと決めた。
蜘蛛の巣や虫がうじゃうじゃいる庭は私には無理、それに庭で深さんに話しかけられてでもしたら、またたく間に私は虫の餌食になってしまう・・
信じられないかも知れないが、
ここに暮らすようになって20年、庭や畑に足を踏み入れたのはここ数年だ。

そのバリアを取り消したのはマクロビオティックの影響だった。
畑や庭の草花を観察をすることが楽しくなってきたから。
陰陽の魔法のメガネで庭を見るといろんな発見があった。
あんなに苦手だった蜘蛛も敵ではなく庭の循環の一部、害虫を退治してくれることもわかった。よく見て見ると、蜘蛛の巣はこの世界にたったひとつの形をしていて、斬新だけど独創的で芸術的で美しかった。
そのうち、庭に出るといろんなアイデアが湧いてくるようになった。
メロディや言葉、部屋の模様替え、料理、人生のドラマ、ステキな風景、あの人のこと、この人のこと、いろんなヒラメキ!

だだ、心は穏やかでも目に入ってくるのは敷地内に置かれたたくさんのゴミ。
しばらくは無視していたけれど、
これをこのまま次の世代に残していくのは嫌だと思った。
自生の花が咲いているだけでいい、素敵な庭と言われなくていい、ただゴミのない庭にしたい。

代々この家に暮らしてきた人たちの庭の概念は見栄えは追求していない。
自生の花が咲いて、お仏壇にはいつも庭の花が供えられている。
農機具、道具類、衣類は効率よくすぐに使えるように出したままにしている。
畑には壊れた冷蔵庫が放置されたままで、大きな鉄の塊のような機械も放置してあった。2つの小屋には家を新築した時に運び出したものの20年以上必要とされなかった雑多なものがぎっしりと入っていた。
オルガン、工場が稼働していた時の木工品、布団、どれを動かすにも力仕事。
小屋の回りには空き瓶や鉄くずなど雑多なものと材木が積み上げられていて、
土面積の半分以上が不要品で覆われている。
昨年、庭の復活を願い書き始めたのがこのブログ、というわけ。
私は小屋の中のものを分別して、ケンは外を整理、そんなふうに使わなくなったものを譲り渡したり廃棄し始めた。
やり始めて、覆われた土にお目にかかるまでには相当時間も労力もかかることがわかった。
コロナ自粛で暮らしのスピードがゆっくりになったことが切っ掛けで、いっそのこと業者に頼んで片付けてもらおうという話になった。
そうでないとケンと私の人生が、この家の不要品整理で終わってしまう気がしてきたから。
このまま、このゴミを残したまま、次の世代に手渡すわけにはいかない。

塞がれた大地が息を吹き返して、風が喜びを運んで来る。
喜びのボルテックスは幸せを遠くまで巻き上げて、やがて行くべきところへと運ばれて行く、そんな庭にしたい。
生命の循環を少しだけお手伝いした私たちも自然の循環の仲間に入れてもらいたい。今はまだ庭の虫たちとの距離を縮めている段階で、仲間には入れてもらえてない気がする。

はて、カナブンはどこからやって来たのだろうか。
もしかしたら虫たちもバリアを外してくれたのかも知れない。

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