8月, つぶやく:お盆

今年もお盆がやってきた。
夕方にお墓へ先祖をお迎えに行く。
お墓で藁を燃やし、さらに「ここが家ですよ」という目印のために家の前で藁を燃す。お墓へ先祖をお迎えに行くなんて、嫁いではじめて知った風習だ。
信じるためにどうしても形が必要、人格を持った故人が現れるというストーリー。

亡くなった父や親戚、知人は、季節ごとに花や雨や風、トンボになったり、てんとう虫になったり、蝶々になったりして現れるし、思えばすぐにそばに来てくれる。
お盆にだけやってくる、という体験はしたことがない私には不思議に感じる。

さてお盆、嫁は暑い日中に天ぷらを揚げて、そうめんを茹でる。
昨年エアコンを取り付けるまでは、娘たちと家族の大量の天ぷらを揚げ終える頃にはめまいがした。
準備が整う夕方からご先祖と子孫の宴会が始まる。
久々の再会で積もる話をしながらご馳走を堪能する。
後は酔い潰れて眠る人、お風呂に入る人、各部屋に戻って行く人、そして私は最後の最後まで後片付けに奔走されることになる。
当たり前の事とは義務なのだ。

形として当たり前に継がれてきたものに従いながら、嫁としてはずっと言えなかったことも発言していこうと思った。
今年はコロナ自粛で娘たちも来ない。
ここらで受け身の大変さは、やめてみようと思った。
ダメ元で意見してみようと思った。
夕方の墓参りをお昼前にというのはどうだろうか、と提案してみた。
朝の涼しいうちに私は天ぷらを揚げて、スーパーの開店時間に合わせてお寿司を調達、早めの昼食でご先祖と子孫の会食をするという運びはいかがだろうかと。
お昼だしアルコールはなし。
アルコールがなければ結果、おつまみはいらない。
最後に麦茶と寒天デザートでいいじゃん。

お供え物にも決まりがある。
天ぷらには人参の赤はいけない、かぼちゃのオレンジはオッケーとか、
最近はそうでもないけれど、少し前はお供えに黄色い花はいけなかった。
他にも天ぷらの数は奇数でなければいけないとか、
お墓に持参する線香は数本家に残して行くこと、さらにお墓に持っていった線香の残りは持ち帰ってはいけないとか、他にもいろいろな「いけない」がある。
何が、誰がそんなことを気にするのか、
いかにも先祖が言っているように見せかけて、
実は、生きている私たちが死を恐れて作り出した創作だ。
死して、そんなわがままな先祖がいるとは思えない。

庭で咲いている花がたまたま黄色なら、それでいいじゃないか。
家にたまたま人参があれば、それを天ぷらにして何が悪いのか。
これは延々と引き継いで行くようなことなのだろうか。

私がこの世を去ったなら、いつも庭に咲いていた花を懐かしむだろうし、家で採れた野菜は有り難い大地からの恵み。色や形を勝手な概念でジャッジして、故人との関係をますます窮屈にしているだけだ。

意外にも私の提案は誰ひとりとして反対する人はいなかった。
それならばと、お昼に合わせてみんなが準備を急ぎ始めた。
うちの家族は団結力がある!
私のリーダーシップも大したもんだ✌️
お盆用に飾られた花はオレンジとレモンイエローのひまわり、ツユクサやススキなど庭のあちらこちらに点在している花を集めて飾られた。
天ぷらは揚げたてがいいなと息子が言う。
そうね、私もその方が美味しいと思った。
今度は私が家族の要望を受け入れる番だ。

関連リンク