3月, つぶやく:前提を書き換える

雪の中を振り返るドラちゃん。
うちのダブちゃんと仲良しで、毎日「あそぼ」と呼びに来るのが日課。
雪が降る日も、雨の日も、毎日欠かさずやってくる。
で、ダブちゃんは寒い日は外に行かない派なんで、
どんなに遊ぼうと誘われてもコタツから離れない。

昨夜はケンと小さい頃の話をした。
どんな子供時代だったのか、親はどうだったのか。
ウイスキーとエクレアという異質の組み合わせが起こした奇跡とでも言おうか、大人になった自分達と子ども時代が融合した時間みたいだった。
思い出されていく過去は苦かったり、しょっぱかったりするけど、
隠しておきたいほど、フタをしておきたいほど悪いものではなかった。
それがハンディキャップになっていることは、冷静に理解できた。

私がいつも緊張状態にあるのは、
「今、自分は普通に振る舞えているか」という緊張で、
普通というものがイマイチわからないので、自分の振る舞いに自信がない。
ドキマギした対応をしたり、大げさな反応をしでかしてしまう。相手の反応を見て、やりすぎたなとか、これ普通じゃないわ、ということを実戦で理解するんだけど、いつもメンタルは疲れている。
「どんなふうに振る舞えば普通なのか」という緊張感は楽しいときにも起きる。
普通に楽しむとはこんな感じ?という緊張を生み出すので、
ここでも大げさな反応をして自爆に至る。

そうなるとブロックがなく湧いてくる感情に身をまかせる時間、つまり普通かどうかを考える必要のないひとりの時間は私にとってすごく大切になる。
そんな時、しでかしてしまった記憶がよみがえって苦しんだり、
失敗の経験は自己肯定感を低くしてしまうので「頑張らないといけない」というところに着地することになる。
だから、ひとりの時の私はぐったりしていることが多い。

昨夜はケンと、ひととおり話した。
ほろ酔いで寝室に行っても、もう少し話したい願望。
寝言のように話していたらうん、うんと聞いていたケンの返事もなくなった。
話し終えたら、そろそろ「普通への憧れ」を終わりにしてもいいかなー、と思った。。
つまり、私の信じてきた前提を書き換えてもいいか、という気分。
そこを書き換えたらどうなる?
私は自分の個性を、整ったフラワーオブライフだと信じることになるし、
結果、そもそもハンディキャップなどなかったことに気づくことになる。
誰も悪者にすることもない。
私はありのままで生きていくことに恐れないから、
反応にビクビクすることもなく、相手のありのままも受け入れられるに違いない。いいことづくめ。

このことについてはもう少し考えて見たい。


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