春の暦になって、まだ数日というのに・・・
毎日が1年を凝縮したように濃密だ。
その濃密さに欲しくもないおまけがついてきた。
2階の洗濯機の取水口と排水溝が凍って、
洗面所の水が排水溝へと流れず溢れてしまった。
水浸しになった1階の廊下をバスタオルで拭くと寒さのあまり廊下に氷がはりだす始末。
スリッパで歩くと転びそうになるのをこらえて拭く。
トイレに続く廊下で義母が転ばないようにありったけのタオルを敷き詰めた。
案の定、お風呂も凍ってしまった。
昨年修理したばかりのお風呂、管が割れてしまっていたら再修理になる。
原因を探るべく半日試行錯誤でやっと洗濯機が動いた。
お風呂も大事にはいたらず、でも対策が必要だと学んだ。
溜まった洗濯物に取り掛かるけれど、
厚手のものを乾かすのには午後からの日照時間では足らない。
ホッとしたので気が緩んだのか、文句のひとつも言いたくなった。
だけどたった一言の文句やため息も無駄なエネルギーなので使いたくない。
ただひたすら、もくもくと動いてエネルギーのベクトルを変えてやる。
節分過ぎてこの数日の顛末をあれこれと考えるだけの余裕もないほど、
考える余裕を持つ間もなく、
ただひたすらもくもくと家事をする。
そうでないと、濃密なドラマを作り出してしまいそうだ。
そう、ドラマティックに仕上げて感情に浸るのも悪くない。
その選択肢も残した上で、
然るべき時、そのタイミングでドラマは整理していこう。
そう思った日の夜ごはんの後で、
夫が「キレイなものを見せてあげる」と外へ連れ出すもんだから、
虫は嫌だからねと言いながらマフラーを巻いてしぶしぶと外へ出ると、満月。
雲のない夜空の満月独り占め。
凍る夜空にふたりで星座を眺めていると、
濃密な数日間のドラマが言葉の力を借りずにカテゴライズされて行く。
そうじゃないな、全て夜空に組み込まれてしまった。
濃密と感じていたものが「約束してきたこと」だとわかった時、
本当に心の底から湧いてきたもの、それが感謝だとわかった。
ありがとう。