9月, つぶやく, 留め帳:生命の計画に感謝

私は感謝が少ない人だなと、つくづく思う。
感謝のエネルギーはとてつもなく大きくて、全てを包み込む。
それがわかっていながら感謝の習慣的シナプスが開通していないので感謝が単体で浮遊している感じ、教科書の「感謝」にマーカーで印をしている感じ。
それが最近になって意識的に、注意深く気づいていることで習慣的シナプスが繋がってきた。ここからは経験から学ぶ。
新月のちょうどいいタイミングなので、
今日は試しにゲームのように、感謝で全てを受け取ってみることに。

流しに置きっぱなしになっているカップ類、テーブルにお菓子のクズ、汚れた軍手にタオル、日よけ帽子。
テーブルの上のそれらは、昨日の地区の焼肉パーティーから帰ってきたままのもの、流しの食器は夜食したまま洗わずに寝てしまったため。
洗うための水やお湯が蛇口をひねれば出てくること、疲れていても片付ける気力が自分の中に備わっていること、片付いたら気持ち良くコーヒーが飲める。
それは遠く離れたブラジルでどなたさまか知らないけれども栽培してくれたコーヒーを、どなたさまかは存ぜませんが焙煎してくれた人がいるわけで。

無限に生まれる感謝は「ありがとう」に置き換えて、ハートのエメラルドグリーンを大きくしていこう。自己愛も感謝も同じところで起きる。

感謝の少ない自分を選んで生まれてきたのは、いつか大きな感謝を経験するという目的があったのかもしれない。
緑の多い信州で暮らすことになったのも、ハートチャクラを活性化する目的があったのかもしれない。
生命の計画に感謝。


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