8月, つぶやく, 留め帳:自己愛が足らなかったのか 2

自分の中で愛する存在、守るべき存在を作り出している時、
自分は愛を与える存在で、守る側の存在としての選択をする。

気がつけば、私たちは「選択し決める」ことを繰り返している。
1日の中で、何度も何度も何度も・・・繰り返している。
その度に、
与える存在であること、守る側であること、その立ち位置からの選択肢は癖のように凝り固まって余地がない。
食べるものを選択するときにも、
太らないか、カロリーはどうか、健康的かと、慣れ親しんだ選択肢から決める。

愛される存在でもあること、守られている存在でもあることを意識してみよう。
罪悪感が妄想であることから目をそらせて生きることに慣れはしても、いづれ歪みとなってリアリティに現れる。

自己愛の枯渇がもたらす症状は様々だけれど、
ほとんどの不快と不調は自己愛の枯渇と言っていい。
マクロビオティックの食事は作る時も食べる時も、自己愛の表現だと思う。

自己愛からの選択肢をもっともっと増やしていってほしい。
特に私と同じ世代に生きてきた人たちは、
正しさという名のもとに多くをコントロールされてきた。
その呪縛から未だ逃れられずにいる人がたくさんいる。
中には、自由な選択をしている同世代に嫉妬して生霊のごとく批判して、惨めな自分を正当化している人もいる。

今からでも遅くない。
自分を愛そう。
そこから起きてくるリアリティーはすべてギフトだ。
自分を愛するだけで満たされている上に、ギフトがやってくる。

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