7月, つぶやく, 留め帳:早朝滝掃除

今年も滝開き神事が近づいてきた。
毎年、神事1週間前の掃除要員は少なくとも5名以上、
ところが会員の高齢化で参加者は少なく、
今年は少ない滝掃除参加者の中でも予定日に都合がつかないために、
土曜日組と日曜日組に分かれて滝掃除。
今日はkenと私、ふたり仲良く?滝掃除。

小雨の中、カッパを着て掃除をさせていただく。
ありがたや。

1年ぶりの滝、雨が続いているので水量も多く滝の下には長くいられない。
小動物の死骸などが、木々と苔で堰き止められた場所にひかかっていたりして、一言にお掃除と言いましても、
自分の中に相当の覚悟や責任がない限りできません。
会員以外に「滝掃除を手伝ってもらえませんか」などと気軽には頼めない。

滝の掃除は、流れていくものを見ることだと思っている。
一年の間に葉っぱや小枝が積もり土になろうとしているのを見ることだと思っている。
滝行のために私は掃除をするけれど、
木々も苔も死骸があっても滝は一向に困らない。
滝にとってはそれらすべてが滝の一部であるから。
滝をする私たちは、忌み嫌ってそれらを排除する。
木々や苔や死骸を私が退けてもいいのかと迷う瞬間がある。
汚れなのか、それとも自然なのかと手が止まる時がある。

木々や苔も死骸すらも水は流していく。
祝詞には川の神さま、海の神さまと、同じ水なのに名前も物語も違う。
木々も苔も死骸も川から海へ運ばれながら有機物になり、
その時には木々ではないし苔ではないし死骸とも呼ばないけれど、
一つだけ言えることは、それは人間に真似できないということ。








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