6月, HSPと偏頭痛, 留め帳:HSP夏の思い出。

小学生の頃、長期のお休みには家族で海に行った。
夏は海水浴、春は潮干狩り。
海は泳ぐところで、その他の楽しみがあったのかどうか記憶にない。
私は水が怖いので楽しい家族旅行でも海だけはストレスになる。
緊張は前日から始まる。

海は泳ぐだけではなくて開放感のある美しい場所。
美味しいものがたくさんある。
ただその頃の私にとって海は潮干狩りか、
泳げるようにする訓練の場所だった。

<変わらない海と、変わっていく私>

子どもの頃は自分の強烈な感覚に囚われてしまって、
本当の海を見ていなかったのかもしれない。
砂浜の砂がゴムサンダルと足の間に入ってくる感触が気になって仕方ないとか、
海の中の生き物が肌に触るのが気持ち悪くて鳥肌が立つとか、
顔に水がハネるとぞっとするとか、
父がそばにいても、浮き輪に入っていても怖いとか。
体が硬直、怖い、怖い、お父さん怖い。
父が沖に連れ出そうとするけれど、私は怖くて泣きわめいている。
全身のアンテナが日常ではない海の感覚に飲み込まれて、
もう二度と帰ってこられないような恐怖だ。
基本的には今もその感覚は変わっていない。
家族の集合写真に笑顔がないのは当然だけど残念。
その写真を見ながら、その時の私から感じられることを書いてみた。
………………
嫌だとは言わない、言うと空気が悪くなる、でも本当は嫌。
我慢して海にやってきた、今年こそは楽しいかもしれないと思ったから。
でもやっぱり砂が、においが、人ごみが嫌だ、お腹も空かない。
カメラのレンズを見ていながら、
砂の感触、見えるもの、触るもの、聞こえるもの、不快なものばかりだ。
これじゃあ、笑顔にはなれない。
こうして一緒にみんなで来たというだけではダメ?
乗り物酔い、着慣れない服。
知らない人の中で海に着く前にすでに情報の波に溺れている。
……………….
じーっと写真を見てるとにおいがしてきた。
母のコロン、お出かけ用の洋服の防虫剤のにおいだ(笑)

いつも忙しい両親だったけれど、
私の日常はひとりぼっちで寂しいものじゃなかった。
その日常は毎日同じことを繰り返していたけど、
学校から帰ると変わることのない日常があって、
それが最高にリラックスできたから。

大人になるにつれて経験して学んだことは、
辛かったこともあったけど、
自分の苦手なことを知って、
苦手なことを避けることを良しとして、
自分サイズのお出かけを楽しめるようになった。
ほとんどがおひとりさまだけど(笑)

つい先日、友だちと私たちサイズの日帰りドライブの海の旅に出かけてきた。
私たち、というのはどこか感覚が似ているふたりだから。

おしゃれなカフェはどこも人であふれて行列ができている。
浜の駐車場は駐車規制がされていて停められない。

私は海にやってきた人を見に来たのだと思うことにした。
人間ウォッチング。
駐車場のお兄さんにも、カフェの人にも「ありがとう」をたくさん言った。
子どもの頃にできなかった笑顔をたくさん置いてきた。
自然体で海を楽しむ人を見た。
こんがり焼けた肌に素敵なノースリーブのワンピースを着た女性や、
モデルのような金髪の外国人男性。
楽しみは無限にあった。
開放的な海の暮らしのエッセンスは、
広くて大きい海のように寛大で自由で、
太陽と海がコインの裏表のように調和して波の音は太陽の音に聞こえてきたし、
かき氷を食べたカフェは広い道路に並ぶとても小さなお店だったけど、
店主の子供のランドセルがソファに置いてあったり、
常連らしきおばさまが「こちらの席をどうぞ」と譲ってくれたり、
外人さんが片言の日本語で照れながらオーダーする場面とか、
私はもっともっといろんな景色を見たいと思った。

HSPの子どもは自分が感じてる敏感さを不快に思っている。
うまく説明できない感覚はいつか無くなるわけじゃない。
慣れるけれど、なくなりはしない。
長い長い付き合いになる。
でも自分仕様にカスタマイズできるようになる日が必ず来る。
自分らしく楽しむための楽しみ方は一生を通して変化し続ける。

今回のドライブで海の壮大さを一番体感しているのは波乗りサーファー達だったけど、
波は海だけじゃない。
この世界は無限の波がいつもいつも、絶えず、当たり前に誰のところにもやってきている。
自分が好きな波を捕まえて乗ればいいだけのこと、なのだ。

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