7月, マクロビオティック:玄米に固執してはならない

マクロビオティックは料理の名称だと思っている人が多い。
間違いではないが、料理は一部であり全てでもある。
宇宙の法則を野菜や穀物を使って知ることは一番分かりやすいし、
誰もが実践できる。
キッチンで陰陽五行ゲームをして遊んでいるのと同じ。
最終的には野菜の特性、住んでいる環境、体の仕組み、それらが一つの法則で成り立っていることを知る。
すでに先人たちがマクロビオティックの陰陽五行として残してくれた様々なノウハウや法則を発見するところから始めるには一人の一生では時間が足りない。
ならば実践弁証法で、その法則があることを弁証していく私はマクロビオティック実践者ということだ。
環境という自分より大きなものをツールとして学ぼうとすれば世界中を旅して学ぶことになるが、それは誰もができることではない。
体の仕組みも専門的な知識が必要になるし、体を引き裂いて成り立ちを見ることは不可能だし、カエル解剖みたく全ての生き物を実験するのも不可能。

しかし野に咲く花、野菜、穀物、季節からは何も傷つけることなく成り立ちを、宇宙の法則を学ぶことができる。
人は「食べて」生きているのだ。
食べることを止めない人類は、誰もが経験し学ぶことができる。
それだからこそ、マクロビオティックは基本、料理で学ぶ。

台所に立つと、陰陽五行を使って料理をする。
マクロビオティックは有機野菜でなければならないと言ったのは誰か。
マクロビオティックは自由になるための哲学なのだ。
慣例農法ならば野菜や穀物のどの部分に人工的なものが集まってくるのか、
部分を省き、陰陽理論で中庸にすることでそれらは減らし中和することができる。
どの野菜にも、どの穀物にも感謝は当たり前の前提としてありながら、
自分で作ってもいないのに、良い悪いで判断して偉そうにしているマクロビオティック実践者に出会うと、社会を複雑にしているのは自称自然食愛好家のこの人たちだと思うのだ。

体はそんなにヤワにはできていない。
マクロビオティックはセレブな人たちのものというのも嘘だ。
セレブな一部の人たちだけが実践できるようなものを、桜沢如一先生が後世に残すことはありえない。
久司道夫先生はマクロビオティック講師の資格取得にやってきた生徒たちに、そんなに資格が欲しいのはなぜかと厳しく説いた。
生徒たちの顔を見渡して、実践している人があまりに少なかったからだ。
玄米に固執する人は顔が浅黒くなっていく。
消化できないような玄米を「玄米でなければならない」としたのはあなただ。
体に聞いてみたらすぐに分かることだろうに。
体よりも世間体を、玄米に固執している自分にまず気づくべきだ。

桜沢先生の「魔法のメガネ」は働く勤労少年少女に向けて書かれたもの。
ダメダメ尽くしのマクロビオティックに仕立て上げられて本当に腹立たしい。
マクロビオティックはあなたが自由に生きられるためのツールであるのに。

ナスタチウムの花、暑くて葉は乾燥気味

ブラックマロウ、黒い花が咲くのが楽しみ。

スーパーで買った空芯菜の切れ端が大きくなりますな

おかひじき、夕方には収穫できそう。


赤唐辛子、庭の片隅で忘れてた!ごめんなさい。水をたっぷり。

今年の朝顔は立ち上がりが遅く、うだる暑さなのでよしずを下げた。

 

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